158 道
登場人物
・久保田友恵(トモちゃん)中一女子
・柊響(ひびきちゃん)久保田友恵の友だちで同級生
・稲垣良美(ガッちゃん)久保田友恵の同級生でクリスチャン
今朝は雪は降っていないが、明日は大雪になるかも、という予報。もっとも、北陸の冬の降雪はメンヘラちゃんの涙のように気まぐれなので、予報を気にする人はあまりいない。
メンヘラと言えばサウル、そしてあの疫病神──しかしこれを口にすると例の人たちに鞭打ちにされそうだから声には出さない。
「トモちゃんに勧められたマルコを読んでみたんだ」とひびきちゃんは言った。
「いやあ、勧めたのはガッちゃんだけどね」とわたしは言った。
「まあ、いずれは読まないといけないと思ってたし」
「なんで?」
「行きたい高校がカトリック系だから」
「えっ? 初耳!」
「言ってなかったっけ? 櫻葉学院、東京の外れにある女子校」
学校名はちらっとだけ聞いた記憶はあるが、覚えているのはそれだけだ。
「そうなんだ、遠くに行っちゃうんだね」
「トモちゃんと離れるのはさびしいけど、ここには行かないといけないんだ」
ひびきちゃんはそう言った。
普通の女子は、話を聞いてほしいときにこんな情報の欠落した言い方をするが、ひびきちゃんは逆で、こういう物言いは何も訊いてほしくないというサインなのだ。
「で、マルコがどうかしたの?」
「さっぱりわからなかったんだよ」とひびきちゃんは言った。
「ひびきちゃんでもわからないことがあるんだ」
「まずね、矛盾が多すぎるんだ。山を海に沈めることができるとか言ってる人が、されるがままに処刑されている。ほかにも小さな矛盾ならたくさんある」
「そうなんだ」とわたしは言った。少なくともサムエル記にはそういった矛盾は感じなかった。
「そういう明らかに矛盾のある話を、無矛盾の神の言葉だと信じる、そのロジックもあたしにはわからない」
「うん」
「しかもそんな離れ業をできる人が世界に何十億人もいることもわからない」
「うん、そうだね」
「矛盾だらけの話を、無矛盾の神の言葉だと簡単に信じることができるのが普通の人だというのなら、あたしは頭がおかしいことになるけど、それを治してもらいたいとは思わないし、それを理由に罪人と呼ばれてもかまわない」
「ひびきちゃんにキリスト教は向かなかったんだね」
「でも、あたしにはガッちゃんがそんな意味不明な人だとはとても思えないんだ」
「うん、ガッちゃんはだいたい理路整然としてるよね」
「だから、あたしがマルコを読んだ感想を、思い切ってガッちゃんにぶつけてみたんだ」
「……怒られなかった?」
「ムッとされると思ってたけど、ぜんぜんだった。あたしの言ってることはいちいち尤もだって」
「ガッちゃんも丸くなったのかな?」とわたしは言った。
「おなか周りはちょっと丸くなったかもね」
「それは言っちゃダメだよ」
「アハハ、言わないよ。で、あたしは、ガッちゃんの言う〈信じる〉って何なの?って尋ねたんだ」
たしかガッちゃんは〈自分は自然と聖書のロジックで考えるようになってしまっている〉みたいなことを言っていた。
「ガッちゃんはあたしにね、〈聖書は理科の教科書じゃないんだ〉って言ったんだ。実にうまい喩えだよ。そして〈あいみょん語録に矛盾があったら柊さんはあいみょんに失望するのか?〉とも言ったんだ。もう参っちゃうよね」
「あたしは二人のやりとりが面白いよ」
「でもガッちゃんはあたしの質問には答えてない。そこを突くとね、〈宇多田ヒカルの『道』を聴いて〉って言うんだ。あれこれ理屈をこねるより、あの歌を聴けば、〈信じる〉というのがどういうことなのか分かるから、って」
ひびきちゃんはそう言ってカバンからイヤホンを取り出すと、片方をわたしに貸した。
「この曲は単に死んだお母さんを懐かしんでいるだけの歌なんだと思い込んでたんだけど、ガッちゃんに言われて改めて聴き直すとね、まさにそうなんだ。キリスト教徒か仏教とかの垣根も越えてるし、宗教と非宗教という垣根も越えて、ただ純粋に〈信じる〉というのがどういうことなのかが歌われてるんだ」
「ベタ褒めだね」
「くやしいけど、こういう曲はあいみょんには作れない」
「アハハハ」
わたしたちはあとは無言で、その妙にポップで軽い〈道〉を聴きながら通学路を歩いた。
宇多田ヒカル - 道
https://www.youtube.com/watch?v=6i4OwF19n_Y
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