148 罪人
登場人物
・久保田友恵(トモちゃん)中一女子
・稲垣良美(ガッちゃん)久保田友恵の同級生でクリスチャン
・柊響(ひびきちゃん)久保田友恵の友だちで同級生
わたしたちはともにマックシェイクバニラのSを注文した。冷え切った体に冷え切ったシェイクを入れ、寒さで震えるのが北陸人にはたまらないのだ。
「口を塞いだ理由はね、怖かったからよ」と、ガッちゃんは座るなり言った。
「怖い?」
あのときのひびきちゃんは、ずっと自分のことを〈ばいきんまん〉だと、もっと直截的に言えば〈邪悪な存在〉だと思い続けている口ぶりだった。
そして〈そんなことないよ〉と言われるのを待っていた。
そう誰かに言ってもらえれば自分の邪悪さが消えるとでも思っているのだろうか?
いいや、そうではない。そうなってしまったら自分自身が消えてしまうと怖がっているのだ。
しかし、それでも言ってほしい──なぜ?
そして、
──あたしはずっと……
ここでガッちゃんはひびきちゃんの口を塞いだ。
ひびきちゃんはずっと、何だったのか?
「以前、教会に来てた人に雰囲気が似てたの。その人は飲酒運転で人をひき殺した人で、刑務所でキリスト教に出会って、出所後そのまま教会へ流れてきたの」
うわ、なんて重たい話なんだ……。
「その人は誰がどんな慰めを言っても断固として自分を否定する人で、まあそれはムリもないんだけど、そこが同じだなって柊さんを見てて思ったの」
「〈自分を否定〉って、ばいきんまん?」
「そう。かたくなだったよね」
わたしはうなずいた。
「で、その人は神に救われることだけをひたすら願っていたの。そういう、御利益だけを一方的におねだりするのって、あたしは嫌いだし間違ってると思うんだけど、とにかくその人はそうだった」
「その人にとっての救いって、もしかして、死ぬことなのかな?」とわたしは尋ねた。
「あたしには分からない。でもキリスト教では自殺は罪だから、そんなことはしないと思う」
「そう」
「でもその人はたぶん、〈私をお救い下さい〉みたいなことを声に出して祈るだけで、ずいぶん楽になったんじゃないかな、生きながらえたんじゃないかな、とは思う」
「だから……」
「うん。〈ここから先は神にだけ〉って言ったのはそういうこと。あたしたちに言ってもどうしようもないし」
「その人はまだ教会に来てるの?」とわたしは尋ねた。
「いいや」とガッちゃんは答えた。「ふっつり来なくなったよ。たぶん職場や近隣に噂が立って居づらくなって、どこかへ引っ越したんじゃないかな、ってみんな話してた。神父様はご存じだったかもしれないけど、守秘義務があるからね」
「そう」
「ご年配の人に訊くとね、そういう人は少なくないんだって」
「そうなんだ」
「柊さんみたいな人にこそ聖書を読んでほしいんだけどね」とガッちゃんは言った。「こんな句があるの。〈医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである〉*」
「〈私〉って?」
「イエス様のこと」
「じゃあ新約のほうだね」
「よく分かったね」とガッちゃんがわたしを褒めてくれた。
「ちょっとだけ勉強したんだ」と私は言った。「で、その句はどこにあるの?」
「マルコによる福音書。短いからわりとすぐ読める」
「じゃあ明日勧めてみるよ」
夜の雪積もる路地では目からも耳からも情報が入らない。世界がまるごとノイキャンになった感じだ。
わたしは一人歩きながらガッちゃんのことを考える。
ガッちゃんがスゴいのは、ひびきちゃんのことを心配しつつも、ひびきちゃんの抱えるものについてはホントに何の興味も持っていない点だ。そういったプライベートで下世話なことはぜんぶ神さまに丸投げしている。わたしたちとは心配の仕方が根本から違っているのだ。これもまた、あの〈世界観〉の流儀なのだろうか?
それはたしかに潔くてカッコいい。
しかしひびきちゃんはこちら側の世界の人間だ。ここに〈便利な神〉はいない。そしてあいみょんはあまりにも遠すぎる。だから、玉砕覚悟で身近な生身の人間に自分の中のどろどろをぶちまけるか、我慢するほか手の打ちようがない。
わたしは夜空を見上げた。
無数の真綿が音もなくゆっくりと、しかし間断なく、容赦なしに落ちてくる。
その一点透視図の消失点はまったくの暗闇の中。
今夜はきっと積もるな。明日は早起きして雪かきだ。
(*)聖書協会共同訳 マルコによる福音書 2-17
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