147 方向音痴
登場人物
・久保田友恵(トモちゃん)中一女子
・稲垣良美(ガッちゃん)久保田友恵の同級生でクリスチャン
・柊響(ひびきちゃん)久保田友恵の友だちで同級生
ひびきちゃん家を出たところで三年生の人たちとは分かれた。陽はだいぶ暮れて辺りは薄暗く、街灯の灯りを受けた地面の雪がほのかに光って見える。積雪があらゆる生活音を吸い込んでしまうので辺りは静寂そのものだ。
「あれ、ガッちゃん家もあっちじゃないの?」
わたしがそう言うと、ガッちゃんは両足を雪に突っ込んだまま立ち止まって言った。
「……あたし方向音痴なの。ここがどの辺なのかさっぱり分からないの」
「アハハ、ガッちゃんにそんな弱点があったんだ。でも、地図アプリを見れば分かるでしょ?」
「それが分からないんだ」
そう言ってガッちゃんは、ヘヘッ、と苦笑いした。
「そりゃあ重症だね。じゃあ路面電車の通りまで案内するよ」
わたしはそう言って踵を引き返した。
「演奏楽しかったね」とわたしはガッちゃんに言った。
「うん。早川さんの歌はうまかった。だけど、あのご両親は強烈だったね。演奏も言動も。なんだか柊さんが小者に見えちゃった」
「アハハ、そうだね」
「だけどあたしだけ何にもしなくて、ちょっと申し訳ない気がしたかな。トモちゃんだってケーキ作りをしてたし」
「そんなことはないよ」とわたしは言った。「ガッちゃんは聖書を語ってくれたじゃない」
するとガッちゃんは照れくさそうにうつむいた。
「ねえ」とわたしは言った。「ひびきちゃんが三年生たちのいる前でいきなり聖書の話を振ってきて、ガッちゃんはどう思った?」
「ムカついた」
「ああ、やっぱり」
しかし次の瞬間、ガッちゃんはとってもいい笑顔になってこう言った。
「でも、三年生の人たちがそのまま受け入れてくれたから、あたしはすっごく楽になれたんだ」
「ひびきちゃんはきっと、そうなることが分かって聖書の話を振ったんだよ」
「そうだろうね。ホントにムカつく」
口ではそう言っていたが、ガッちゃんの表情はとても穏やかだった。
「ひびきちゃん、もしかしたら教室でもあんなこと言っちゃうかもよ」とわたしは言ってみた。
「いや……」とガッちゃんは言い澱み、歩みを止めた。
「自分が大丈夫だと思ったら、言っちゃうんじゃないかなあ」
しかしガッちゃんは首を左右に一度振って言った。
「それはないね。大丈夫だなんてことは絶対にないから。狭量な人たちはあたしを断固として貶めるに決まってる」
「そうだね。今日みたいに、みんなが受け入れてくれるなんてことは絶対にないよね」
「だから、自分から動くしかない……」
その声は消え入りそうで、体までしぼんでいくように見えた。
「ねえ、そんなにしょげないでよ」
「自分なんかにできるのかなあ、って思ったの」
「ええと、正しい道ってのは狭いんだっけ?」
「そうだったね。仕方ないね」
そしてガッちゃんは歩き始めた。
「ほら、ここが大通りだよ」とわたしは言った。
「ありがとう。ここからはもう一人で帰れるよ」とガッちゃんは言った。
「でも、まだ心配だから」と、わたしはガッちゃんの手を握った。「もうちょっと一緒に帰ってあげるよ」
わたしが無茶な理由を口にすると、ガッちゃんは手を握り返して「あそこのマクドナルドに入る?」と尋ねた。
ガッちゃんが指さす先にあるのは、スーパーにいくつかの店舗がくっついただけの小さなショッピングセンター。富山市にはイオンがないので、こういった昔ながらのショッピングセンターが各所に生き残っている。
「いや、話はすぐ済むんだ」とわたしは言った。
「話ってなに?」
「ガッちゃん、あのときどうしてひびきちゃんの口を覆ったの?」
「やっぱ入ろう」とガッちゃんは言った。
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