146 Bright size life
登場人物
・久保田友恵(トモちゃん)中一女子
・稲垣良美(ガッちゃん)久保田友恵の同級生でクリスチャン
・柊響(ひびきちゃん)久保田友恵の友だちで同級生
・お母さん 柊響の母
・式波里砂(りさりさ)中三女子(クール担当、ベース)
・堀井千代子(ホリー)中三女子(びびり担当、ギター)
「〈Bright size life〉いくよ」
ひびきちゃんのお母さんはそう言ってベースを手に取った。そしてアンプのスイッチを入れ、その上に座る。
いっぽうのひびきちゃんもギターを手に取ると、ずらりと並ぶエフェクターに足で順にポン、ポン、ポンと慣れた調子でスイッチを入れ、アンプの電源を入れて背もたれのない丸椅子に座る。
お母さんの左手が弦に触れ、右手が弦を弾くと音叉のような高い音が響く。それに合わせてひびきちゃんがチューニングをする。堀井さんが豪快に掻き鳴らしていたからか、音が少しずれてしまっていたようだ。
母子の、せーの、で演奏は始まった。
それは、息がぴったり、というレベルのものではなかった。一生懸命弾いている、というのでもなかった。
二人ともほとんど手元を見ない。そしてとてもリラックスしている。それはお互いが相手のメロディにあわせて気持ちよく鼻歌を歌っているような、そんな穏やかさに満ちた演奏だった。
ひびきちゃんがちらっと顔を上げてわたしたちの様子を見る。そしてハニカミ気味に小さく微笑むと、横のお母さんに顔を向ける。
お母さんはずっと娘の様子をちらちらと伺っていた。だから娘が顔を向けるとすぐに微笑み返した。そして満足げに視線を落とした。
お母さんは涙ぐんでいた。
演奏が終わると、わたしたちは心から拍手を送った。とりわけ式波さんと堀井さんの二人は手のひらが内出血しそうなほど熱烈な拍手を送っていた。
「お母さん……」とひびきちゃんが心配そうに声をかける。
「みんな悪いね」とお母さんは涙をこぼしながら詫びた。「この子はぜんぜん友だちがいなかったから、こんなにたくさんの友だちが家に来てくれるなんて、もう夢みたいで……」
「ねえお母さん、そういう湿っぽい話はやめようよ」
「お、まだみんないるな」と男の人の声がした。
「お父さん! 今日は遅く帰って来てって……」
「響にそう言われたから、がんばって仕事を早く片付けてきたんじゃないか」
いったい何なんだこの両親は⁉──と感じていたのはわたしだけではなかった。三年生のみんなもガッちゃんも懸命に笑いをこらえていた。
ひびきちゃんのお父さんに会うのは初めてだった。おなかが少し出ていて、髪の毛が少し薄くなっている、絵に描いたような中年男性だった。
「どうもおじゃましました」とわたしは言った。
「あれ、もう帰っちゃうの?」とお父さんはがっかりした顔をして言った。
「お父さん、みんな受験生なんだよ。呼び止めちゃ悪いよ」とひびきちゃんが言った。
「じゃあ五分だけ。母さん、〈Bright size life〉いこう」
「それさっき演ったばっか」とお母さんが言った。
「んー、じゃあ四曲目」
もう仕方ないねえ、と言いたげにお母さんは苦笑いをして私たちにこう言った。
「ねえみんな、イヤだったら遠慮なく帰っていいんだからね」
そしてお母さんは言ってビールをもう一口飲んだ。お母さんはもうすっかり泣き止んでいた。
演奏が始まるなり、わたしたちはガブッと丸呑みされてしまった。
すさまじい演奏だった。母子の演奏とは躍動感がまるで違った。この演奏を聴くと、さっきはお母さんがひびきちゃんに合わせてかなり手加減していたのがよくわかる。
二人とも自由奔放に弾いているようでいて、二匹の蛇が一本に絡まり合うようにひとつの曲が紡ぎ出されていく。
わたしたちは床に座ってノンアルをあおりながら、極上の音楽にすっかり酔っぱらっていた。
Bright size life - Pat Metheny
https://www.youtube.com/watch?v=0Ozv_S1fuis
四曲目(Missouri Uncompromised) - Pat Metheny
https://www.youtube.com/watch?v=d6gWjr0rQ1o
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