144 ばいきんまん
登場人物
・久保田友恵(トモちゃん)中一女子
・稲垣良美(ガッちゃん)久保田友恵の同級生でクリスチャン
・柊響(ひびきちゃん)久保田友恵の友だちで同級生
・堀井千代子(ホリー)中三女子(びびり担当、ギター)
「柊さん」とガッちゃんは呼びかけた。
ガッちゃんはひびきちゃんをじいっと見据えている。一方ひびきちゃんはばいきんまんの話をしているうちに興奮気味になっていた。
ガッちゃんはひびきちゃんが落ち着くまで静かに待った。
「柊さんは自分をばいきんまんに重ねているみたいだけど」とガッちゃんは言った。堀井さんも、床に車座になっているほかの三年生の人たちもじっと耳を澄ましている。
三年生のみんなも本当はガッちゃんと同じように何かを勘付いていて、しかしその優しさゆえに気づかないフリをしながら、ホントはずっと心配していたのかもしれない。そして、一番近くにいるわたしだけが何も気づいていなかったのかもしれない。
「もちろん、その真偽は他人のあたしたちには判断できない」
そう突き放すような言葉を言うガッちゃんは、しかし、ひびきちゃんからその真剣なまなざしを逸らさないでいる。
そしてガッちゃんの眼光にひびきちゃんのほうが折れた。
「……うん、ガッちゃんの言うとおりだよ。あたしは邪悪さを肯定できるばいきんまんが心底うらやましいと今でも思っているし、エゴのないアンパンマンの空っぽさは幼心にも不気味でしかなかった」
誰も何も言わない。そのことが幼少期のひびきちゃんの孤独さをわたしたちに教えてくれている。
「あんな気持ち悪い村なんかばいきんまんの手に落ちてしまえばいいのにって思ってたし、みんなドキンちゃんみたいにズルくてステキな女の子になればいいのにって願ってたんだ。でもみんながみんな、あたしが心底気持ち悪いと思ってるものに心を奪われていたんだよ。どこにも陰りのない愛、勇気、友情、信頼、思いやり、みたいなやつに。つまり、あたしは物心ついたときからどうかしてたんだ」
わたしはひびきちゃんが〈ばいきんまん〉というコトバを使って知的な悪ふざけをしているのだとすぐに決めつけてしまった。しかしちょっと立ち止まって考えればわかることだった──何度も〈自分は空っぽだ〉と悩みを吐露し、満たされるとはどういうことなのかをガッちゃんへ貪欲に尋ねていたひびきちゃんが、そんなゲスな悪ふざけを言い出すはずはなかったのだ。
「でも『そんなことないよ』って言ってもらえたらあたしは嬉しくなると思う」とひびきちゃんは言った。ああ、これはわたしのことだ。
「だからといって認識は変わらない」とガッちゃんがひびきちゃんの考えを代弁する。
しかしひびきちゃんは「いや」と否定した。「あたしはずっと……」
ひびきちゃんがそう言いかけると、ガッちゃんは立ち上がって身を乗り出し、ひびきちゃんの口を手で塞いだ。
「それ以上はここで言うべきではないと思う」とガッちゃんは言った。「ここから先は神にだけ語りかけてほしい。あたしたちには荷を背負えないかもしれないから」
そしてガッちゃんはひびきちゃんの口からゆっくり手を離した。そのときのひびきちゃんは完全に放心していた。が、正気を取り戻すと、弱々しく口を開いた。
「あたしにはね、そんな便利な神なんていないんだ」
「だったらあいみょんに語ればいいよ」とガッちゃんは優しく言った。
しかし、ひびきちゃんは静かに首を横に振る。
「あいみょんは、語りかけるにはあまりに遠すぎるんだ。たとえすぐ隣にいたとしても、永遠にたどり着けないような存在なんだよ」
「だったら、柊さんの一番信頼できる人に話せばいいよ」
そう言われて、ひびきちゃんはうつむいたまましばらく無言で考えていた。
わたしは〈一番信頼できる人〉ではなかった。
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