139 Walk on the wild side
登場人物
・久保田友恵(トモちゃん)中一女子
・稲垣良美(ガッちゃん)久保田友恵の同級生でクリスチャン
・柊響(ひびきちゃん)久保田友恵の友だちで同級生
・バンド〈デッド・ムーン〉メンバー
・早川智子(チーちゃん)(元気担当、ボーカル、リーダー)
・式波里砂(りさりさ)(クール担当、ベース)
・谷絵里奈(えりな)(顔面担当、ドラム)
・堀井千代子(ホリー)(びびり担当、ギター)
・杉本鈴美(すずみ)(厨二病担当、キーボード+打ち込み)
「ここでーす!」
イヤホンで耳の塞がった三年生にひびきちゃんが手を大きく振って合図する。
三年生はイヤホンを外してケースにしまうと、伸びをしたり首や肩を回したりと思い思いの所作をした。
あらためて、この家に八人も入るのかなとわたしは不安になった。
「おお、普通の家とは聞いていたけど、ホントに普通の家だな!」と早川さんが着いていきなり失礼なことを言う。早川さんはきっと、その幼児のようなちびっこさゆえに大概のことが大目に見られてきた人なんだろう。
「ご両親とも市役所勤めならけっこう稼いでいるんじゃないの?」と今度は谷さんが下世話なことを訊いてくる。谷さんもきっと、その顔面ゆえに大概のことが許されてきた人なんだろう。
「柊家では、給料の大部分は酒とツマミと音楽にむなしく消えていくんです」とひびきちゃんは説明した。「ウチの家族は、家なんて屋根と壁があればいいや、ってくらいにしか思ってないんですよ」
「りさりさン家に住まわせてやれよ」と杉本さんが式波さんに冗談を言った。ひびきちゃん曰く、式波さんの家は大豪邸なのらしい。
「べつにいいよ」と式波さんはこともなげに言った。
「だめです」とひびきちゃんが断る。「そんなこと言ったら、ウチの親、本気にしますから」
ひびきちゃんは単にはしゃいでいるのか、あるいは三年生の手前、心配させないように気丈に振る舞っているのか、それはわたしにもわからない。
ただ、両方なのかな、という気はなんとなくする。
わたしたちは一階のリビングに通された。途端、式波さんと堀井さんが色めき立った。ご両親のベースとギターがスタンドに鎮座していたからだ。
「ねえひびきちゃん、ちょっと触らせてくれよ」と式波さんがおねだりする。
「あたしもいいかな?」と堀井さんも言う。
「いいですけど」とひびきちゃんは言う。「ギターのエフェクターだけはぜったいに触らないでください。パット・メセニーっぽい音が出るよう絶妙にチューニングされてるんで」
「わかった」と堀井さん。
「ベースは?」と式波さんが訊く。
「ベースはディストーションが一個挟まってるだけなんで気にしなくていいです」
「なんでベースにディストーション?」
「ジャコパスはラフなプレイをするときディストーションを使うんですよ」
「お母さんはジャコパスなんだ。かっこいいな」と式波さんがベースを手に取り、左手でネックを撫でる。「ホントだ、フレットレスだ! フレットレスって初めて触るよ!」
「簡単にビブラートが出せて面白いですよ」とひびきちゃんが言う。
式波さんはさっそくアンプのスイッチを入れて音出しをする。角の取れたモコモコと柔らかい音が部屋に響いた。
三年生のほかの三人はみんな床に座り込んで和んでいる。その間にわたしはキッチンでホットケーキの手直しをする。
「ねえひびきちゃん、失敗したホットケーキは?」
ひびきちゃんは冷蔵庫を開けて、これ、と黒ずんだ物体を差し出した。想像以上に黒い。
「ミックスはどこ? あと、ココアってあるかな?」
ココアがあれば不気味な黒ずみがごまかせる。
「ええと、ミックスはこれで、ココアはないけどミロならこれ」
「冷蔵庫開けるね」
「好きにしちゃって」
「ボウルはどこ?」
「そんなの見たことないなあ」
仕方がないので、わたしは棚から深めのタッパーをあるだけ手に取り、そのひとつで材料の卵、牛乳、ミックス、ミロを混ぜた。
そして三つのタッパーにラップを敷いて、そこに混ぜた材料を均等に入れ、中に失敗したホットケーキを1センチ角に刻んで入れて混ぜ合わせた。
最後にラップでフタをして一個あたりレンジで三分。これでチョコバナナホットケーキが完成するはず。
リビングでは式波さんがメロディを奏でている。
「それ、ルー・リードですね!」とひびきちゃんがキッチンから大声で言う。すると、普段は無表情の式波さんがにっこりとうなずいた。
式波さんが楽器を慈しむようにベースを奏でる。
そのベース音の上に早川さんが「Hey babe, take a walk on the wild side〜♪」と流暢な英語で語りかけるように歌を重ねる。
「チーちゃん、それ歌えるんですか⁉」
しかし早川さんはひびきちゃんの質問には答えず、目を閉じてそのまま歌い始めた。
ベースと生歌だけの、ものすごくシンプルでステキな演奏。
そして〈ただ座ってればいいんだよ〉と早川さんに言われたガッちゃんは、ひとり律儀にダイニングテーブルの椅子にすわって、ものすごく居心地が悪そうにその演奏を聴いていた。
Lou Reed - Walk on the Wild Side
https://www.youtube.com/watch?v=oG6fayQBm9w
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