138 対話
登場人物
・久保田友恵(トモちゃん)中一女子
・稲垣良美(ガッちゃん)久保田友恵の同級生でクリスチャン
・柊響(ひびきちゃん)久保田友恵の友だちで同級生
・児玉くん 久保田友恵の同級生で稲垣良美の片想い相手
ひびきちゃんはガッちゃんの告白にひどく驚いた様子で、すっかり言葉を失っていた。そしてガッちゃんも、固まったひびきちゃんを前にしてなんだかバツが悪そうにしている。
「あの聖書はガッちゃんが貸してくれたんだ」とわたしは言った。
「いやあ……」とひびきちゃんが嘆息する。「もうぜんぜん、まったく、これっぽっちも気づかなかったよ!」
「だよねー」とわたしも同意した。
「ガッちゃんのそしらぬフリはホントすごいよ!」とひびきちゃんがなおも感心する。
するとガッちゃんは「でも柊さんにはかなわないよ」と言ってニヤッと笑った。「あたしは柊さんがなにを隠しているのか、ぜんぜん、まったく、これっぽっちもわからないんだし」
「あたしはクリスチャンでもなんでもないよ」
「でも、なにかを隠していることだけはちゃんとわかってるんだからね」
ひびきちゃんが動揺している。またゲロでも吐かれたら台無しだ。
「まあまあまあ」とわたしは二人の間に入った。
しかし、せっかくわたしがひびきちゃんのために二人をクールダウンしようとしたのに、当の本人はかまわずガッちゃんに話しかけていく。
「でも今は、言われてみればそうだよな、ってしか思えなくなっちゃった」
「ねえひびきちゃん、もういいじゃない」とわたしは制止した。しかしわたしの制止なんかひびきちゃんに効いた試しがない。
「ガッちゃんって、ふだんはそうでもないのに、いざとなったら信じられないくらい肝が据わるよね。ふつうは逆なのに、不思議だな、って思ってたんだ」
「そう? 自分じゃわかんないなあ」とガッちゃんは言った。
「あの理科室のときも、ガッちゃんならぜったい大丈夫だと思ったんだ」
児玉くんとの一件のときだ。あのときのひびきちゃんはホントに無茶苦茶だった。わたしもひびきちゃんの非道さにブチ切れた。なのに、この期に及んで〈ぜったい大丈夫だと思った〉だなんて……。
「ねえひびきちゃん、あのこと反省してなかったの?」とわたしは呆れた。
「ほかの人にはあんなひどいことはやらないよ。ガッちゃんだったからあたしはああしたんだ」
ひどいことだという認識はあったんだ。
「〈御意のままに〉って心の底から思えたら、そりゃあ肝も据わるよね」とひびきちゃんはガッちゃんに言った。
「〈御意〉じゃなくて〈御心〉ね。〈御意のままに〉はスターウォーズ」
「そういう時ってさ、体に力が満ちてくるような感覚があったりするの?」
「なんでそんなことを訊くの?」
「あたしはね、つねに空っぽなんだ」とひびきちゃんが言った。けさ話していた愚痴の繰り返しだ。「だから、満たされるってどんな感覚なのかな?って考えたりするんだ」
「ねえ柊さん、人間は水の入ったコップじゃないんだよ」とガッちゃんが諭す。「満たされるってのはコップにいっぱい水が入ることじゃない。ちいさなコップが海に沈んで海と一体になることを言うんだよ」
「なるほど。じゃあ、人間が満たされるときって、もはや自分なんてのはなくなってるんだね」
「ちがうんだよ」とガッちゃんが畳みかける。
すごい、ひびきちゃんが続けざまに二度も反論されている! なんだかゾクゾクしてきたぞ。二人の間にいたわたしは、邪魔にならないよう後ろへ退いた。
ガッちゃんはこう反論した。
「人間の浅知恵が考える〈自分〉なんて概ね誤ってるんだ。でも、大きなものと一体になり、大きなものにすべてを委ねるとき、人は〈あるがままの自分〉になれるんだよ。むしろそっちのほうがほんとうの〈自分〉なんだ」
「ガッちゃん、ステキだよ。コップなんてのはしょせん人間が作ったかりそめの姿で、本来の姿は土を構成する粒子のひとつ、ってわけだね」
「地球上のコップがぜんぶ土に還ったら水が飲めなくて困るけど、まあ比喩的にはそういうことだね」
「でもね、もし自分のすべてを委ねる大きなものが実は邪悪なものだったら、って危険はないの?」
「ある。大いにある。教会に邪悪な要素がないと言ったらそれこそ大嘘。教会だってしょせん人間が運営している組織だからね。だから、特定の人間を大きなものだとする教えは避けないといけない」
「ガッちゃんってカトリックなんだよね。今の発言ってローマ教皇の全否定になんないかな?」
「ちがうよ。ローマ教皇は社長さんで、あたしは平社員なんだ。平社員が社長の文句を言うなんて別に普通にあることでしょ?」
「そっかあ、そうだね。アハハ」
わたしは二人の会話にまったく入っていくことができなかった。ひびきちゃんと同じレベルで対等に話ができる人をわたしは初めて目にしている。
わたしはひびきちゃんのことも、ガッちゃんのことも、ともに親友だと信じていた。しかし二人の殿上人のような語らいを見ていて、はたして自分なんかが親友と名乗れる資格があるのかな?、と自信がなくなってきてしまった。
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