127 消しゴム
登場人物
・久保田友恵(トモちゃん)中一女子
・柊響(ひびきちゃん)久保田友恵の友だちで同級生
「ひびきちゃんが価値のない人間のはずがないよ」
「いいや、なんの値打ちもないんだ」とひびきちゃんは頑なに言う。「あたしは単に、消しゴムをたまたま二個もっていただけの人間なんだ。二個もっているから、隣の人が消しゴムを忘れたときには一個貸すことができる。そしてあたしは感謝される。でも、その感謝はあたしに対してではなく、消しゴムに対してなんだ。あたしには何の関係もないんだ」
「ちがうよ、ひびきちゃんが貸してくれたことに感謝してるんだよ」
なんだか今日のひびきちゃんはちょっと病んでいるような気がする。消しゴムを貸したら「ありがとう」と言われた──そんなささいなことになんで疑問を抱くのか? もちろんひびきちゃんはわたしの言葉なんか意にも介さず、こう続けた。
「いいや。もしあたしに価値があるとするなら、消しゴムを貸そうと貸すまいと感謝するはずだよ。でも隣の人は消しゴムを貸さないあたしには決して感謝をしない。なぜならあたし自身には何の価値もないから」
「ひびきちゃんは間違ってるよ」
「消しゴムを貸したお礼に、隣の人が飴をくれたとするよ。それを拒むと気を悪くされるから、あたしはその飴を快く受け取るフリをする。でもその飴はきっと、隣の人が自分の小遣いで買ったものなんだ。一方あたしの貸した消しゴムには何の元手もかかっていない。つまりあたしはタダで一方的にもらっただけなんだよ」
「もう、全然ちがうよ。お金の問題じゃなくて気持ちの問題なんだよ。嬉しいことをしてもらったから、嬉しいことをしてあげたくなっただけなんだよ」
消しゴムを貸してくれたお礼に飴ちゃんを一個あげる──こんなの、ただのほのぼのエピソードじゃないか。なんでそれがわからないか?、とわたしは少し苛立っていた。だが、ひびきちゃんはすこし強めの口調でこう続けた。
「トモちゃん、そういうことを言いたいんじゃないんだ。あたしは二個も消しゴムはいらない。だから貸したもう一個の消しゴムはあたしにとって何の価値もないものなんだ。そんな無価値なものがあるばかりに、あたしは飴という価値のあるものを戴かざるを得なくなってしまってる」
「だからさあ……」
「トモちゃんには聞いてほしいんだ」とひびきちゃんはわたしの言葉をさえぎった。
「〈勉強ができるあたし〉というものと、〈あたし自身〉はなんの関係もないんだ。〈勉強ができるあたし〉はたまたま筆箱に入っていただけの余った消しゴムなんだ」
「でも……」
ひびきちゃんみたいに勉強ができたらいいのにな、とクラスのみんなが羨んでいる。それを「余った消しゴム」だなんて……。
「みんなは余った消しゴムの〈勉強のできるあたし〉に飴を与え続け、〈あたし自身〉はそれを拒めないでいる。みんなにとって〈あたし自身〉のほうには何の価値もないのに」
「そんなことないよ!」
「ほとんど強制的に、一方的に受け取らされてしまう。トモちゃんの言うとおり、受け取るばかりってのは結構辛いんだ。だからあたしは〈あたし自身〉を守るために人と距離を置かざるを得ないんだよ」
「でもさっき、学力と人格は分けられないって自分で言ってたじゃない⁉︎ それを分けて考えるからそんなおかしな考えになっちゃうんだよ!」
「分けられないってのはあくまで自分にとってだよ。他人から見れば、テストっていう物差しで測れる〈勉強のできるあたし〉ってのがあたしのすべてなんだ。みんなにはそういうあたししか見えていない」
「でも、少なくともあたしはそうじゃないよ!」
「トモちゃんにはもうバレちゃってるけど、〈あたし自身〉のほうはホントにただのダメ人間なんだ」
「そういうダメなひびきちゃんもあたしは大好きなんだよ。だから〈何の価値もない〉なんて言わないで!」
「ありがとう。今だから白状するけどね、最初はトモちゃんのことも〈勉強ができるあたし〉目当てで近づいてきたのかなと警戒してたんだ」
その言葉にわたしは何も言い返せなかった。その通りだったからだ。ひびきちゃんはクラスの陰の実力者だったから、仲良くできたらパワーバランス上有利だと計算して、わたしは恐る恐る近づいていったのだ。
「チヤホヤしてくれる人はそれなりにいたけど、〈あたし自身〉のほうはずっとひとりぼっちだったんだ。中学に入ってから色んな人と話してみようと頑張ってみたけど、やっぱりみんな〈勉強ができるのに、意外と〜〉って感じなんだ。どうしても〈勉強のできるあたし〉ばかりが前面に見えてしまう。でもそれは〈あたし自身〉とはなんの関係もないんだ」
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