125 ケーキ
登場人物
・久保田友恵(トモちゃん)中一女子
・柊響(ひびきちゃん)久保田友恵の友だちで同級生
週末は大して雪も降らず、歩道は黒いアスファルトが轍のように細く覗いていた。みんながその細い一本を通るので、そこだけ雪がきれいに溶けるのだ。
「おはよっ!」
わたしはひびきちゃん家の玄関ドアを開けるなり、大きな声で挨拶した。今朝のわたしはサムエル記を読破できた充実感でいっぱいだったのだ。
しかしひびきちゃんは、
「おはよー……」
と覇気がない。その声はまるで、ドラマでダイイング・メッセージを残す人のようだった。
「あれ、また体調悪いの?」
「大丈夫だよ」
「もしかして学調の解き直しが悪かったの?」
「いいや、みんなすばらしい出来だったよ……」
「じゃあどうしたの?」
「じつは、ケーキを焼こうとしたんだ……」
体調が悪くないとわかったので、わたしたちは歩き始めた。わたしは10センチほど雪の残る道に足を入れ、ひびきちゃんを雪のない轍のほうにそれとなく誘導した。
「今日は大勢来てくれるから、なにか用意しないと、って思ったんだ。で、〈簡単なケーキ〉で検索したらバナナケーキが一番上に出てきたからそれを作ろうとしたんだ」
「へえ、どうやって作るの?」
「切ったバナナとホットケーキミックスと卵を混ぜてオーブンで三〇分焼くだけ」
「そりゃあ簡単だね」
「で、材料を混ぜ終わったあと、ウチにはオーブンがないことが判明したんだ」
「えー⁉︎」
フツー自分ん家の調理家電の有無くらい把握してるでしょ⁉︎
「けど捨てるのもったいないから、牛乳を少し混ぜてホットケーキにしたんだ」
「うん、いいんじゃないかな」
「でも材料を全部フライパンにぶちまけちゃったから、うまくひっくり返せなくて、ぐっちゃぐちゃになっちゃったの」
「あー、初心者あるあるだね」
「今度は〈オーブンがないならゼリーを作ろう〉と思って挑戦したんだけど、待てど暮らせどぜんぜん固まらないんだ」
「分解酵素の入ってるくだものを入れちゃったのかな?」
「よくわかるね! そう、パイナップルがいけなかったんだ。けど捨てるのもったいないから、タッパーに冷凍してフォークで削ってガリガリ食べることにしたんだ」
「そう」
「だからなんにも用意できてないんだ。せっかく大勢来てくれるのに……」
「そういうことなら声をかけてくれてもよかったのに。あたし料理は毎日してるし、けっこう得意なんだよ」
「でも、トモちゃんだって今日はお客さんだし……」
「もう、水臭いなあ」
あ、水臭いわたしが〈水臭い〉なんて言ってらー。
「ねえ、ミックスと牛乳と卵はまだ残ってる?」
「うん」
「作ったバナナのホットケーキは?」
「たくさん残ってるけど、バナナも黒ずんじゃって、見栄えは最悪だよ」
「じゃあまかせて。10分以内で用意するから」
「〈いやいや、いいよ〉って言いたいところだけど、頼む」
そう言われて、わたしは唇をひびきちゃんに向けて突き出した。
「えっ……、路上はまずいよ……」
「ヘヘッ、コレ以外でひびきちゃんに頼まれるの初めてかも」
「あっちゃー、まんまとやられてしまったよー」
「ところで、ひびきちゃんって料理はしないの?」
「うん、コメを炊く以外はまったく。うちの家族はみんな〈食べられればなんでもいいや〉って人間なんだ。おかずは毎日スーパーのお惣菜で、たまに刺し身、あと塩辛みたいな酒のつまみ。スーパーに何にもなかったら外で牛丼とかかな」
「殺伐としてるね」
「酒呑み夫婦なんてそんなもんだよ」
「もしかしてひびきちゃんも呑むの?」
「ノンアルで付き合ってるよ」
「すごいね」
「家族サービスだよ」
「三年生の人たち、きょう何をくれるんだろね?」とわたしは言った。
「えっ? なんかくれるの?」
「あたしね、ひびきちゃんがほしいものを与えてほしい、ってお願いしたの」
「えー! なにその厚かましいお願い! ダメだよダメ!」
「でも、わかった、って言ってくれたよ」
「ダメだって! もし能作のマグカップとかもらったらあたしお返しできないよ。こづかい少ないんだから」
「ねえひびきちゃん」
「なに?」
「ひびきちゃんって、誰かからプレゼントとかもらったことある?」
「親」
「親以外で」
「ない」
「じゃあわかんなくても仕方ないよね」とわたしは言って、ため息を一つついた。「与え続けるってのはラクなんだけど、お返しもできないまま受け取り続けるってのは、けっこうしんどいんだよ」
「……それはそうかも」
「気前よく与える人にはね、気前よく受け取る義務があるとあたしは思うんだ」
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