119 泣き虫
登場人物
・久保田友恵(トモちゃん)中一女子
・柊響(ひびきちゃん)久保田友恵の友だちで同級生
・畠中祐生(ハタケ)久保田友恵のとなりの席のチャラい水泳部員
帰り道には朝と同じような粉雪が舞っていた。
アスファルトはうっすら白く、雪はわたしのスノーブーツの上をつるつる滑り落ちていく。これは積もらない雪だ。しかし北陸の雪は気まぐれなので、明日の朝には二、三〇センチ積もっているなんてこともぜんぜんありうる。
今日はまだ十二月五日。冬はまだまだ長いというのに、もう長いこと太陽を見ていないような気がする。次に太陽を見れるのは三ヶ月後の三月。受験が終わるか終わらないかという頃。
暗く低い雪雲に圧迫され、真っ白な壁となった立山に立ち塞がれたわたしたちは、とりもなおさず家中へ逃げ込み、暖房の熱で身を炙り、長湯を貪りアイスを頬張る。
わたしは誰もいない家に帰ると、真っ先に風呂に栓をし、フタをして、風呂自動のボタンを押した。そして浴室にかかっている洗濯物を取り込んだ。
冬の風呂はなかなか沸かない。ウチの場合は軽く二〇分はかかる。
わたしはキッチンに入って冷蔵庫を開け、どんな食材があるか物色した。
日曜日に作り置きしたタッパーはもうきんぴらごぼうしか残っておらず、少しだけあったほうれん草のおひたしはもう腐っていた。
袋のままの厚揚げがあった。空けて隅っこを少しちぎって食べてみる。まだ腐っていない。とりあえず切り干し大根を水で十五分戻し、いっしょにめんつゆで炒め煮にすることにする。
野菜室に少しだけ黄色い花の開いたブロッコリーがあったので、切ってレンジで三分チン。
冷凍室の豚コマをとりあえず外に出しておく。お母さんがなにか作ってくれるだろう。冷凍ご飯も出しておく。
味噌汁も作ってしまおう。鍋に四〇〇グラムの水を張り、茅乃舎の出汁をひと袋入れて火を入れる。沸騰したらタイマー三分。火を止め味噌を溶き、小さく切った豆腐を入れる。
料理は頭を空っぽにしてくれるのでわたしはけっこう好きだ。
厚揚げと切り干し大根の炒め煮ができたところでちょうど風呂が沸いた。
桶で足にそっと湯をかける。四十二度がおそろしく熱く感じる。そしてこわごわ浴槽に浸かると、自分の体がどれだけ冷え切っていたのかがわかって驚く。自分がバカなせいなのか、毎日毎日同じように驚いてしまう。わたしはこの、浴槽に浸かった直後の皮膚がマヒしたような感覚が大好きだ。
やがて湯温に慣れるとマヒは消え、体の芯まで熱が行き渡る。
寒さからくる体のこわばりはすべて消え、目を閉じると体が湯に溶けたような錯覚を覚える。
そしていくらでも風呂に入っていられそうな気分になる。
今日は泣いてしまった。
小学四年生の頃、クラスにすぐに泣く女子がいて、からかわれては毎日のようにビービー泣いていた。彼女が泣きだすと男子たちはきまってオロオロしだすのだが、あまりにも頻繁に泣くので、ある日ひとりの男子が、
「泣けばすむと思いやがって」
と彼女を非難した。
それを境に彼女は一切泣かなくなった。というのも、その男子は彼女がひそかに好意を抱いていた人だったからだ。
わたしのことだ。
わたしだって泣きたいときはある。しかし少しでも涙が出そうになると、
「泣けばすむと思いやがって」
というあの声がいつも頭をよぎって心が冷んやりとクールダウンするのだ。現実世界だけでなく、映画やドラマを見てたり、マンガを読んでたりするときもそう。
しかし今日だけは、あの冷たい声がなぜか聞こえなかった。
なぜだろう?
わからない。
ただ、びっくりするほど爽快だった。
今日は涙を見せたせいでいろんなことがうまく行った。こういうのは〈女のあざとさここに極まれり〉みたいな感じがしてとってもイヤだったのだが、わたしはその嫌悪感に少し拘泥し過ぎていたのかもしれない。
あのひびきちゃんですら泣くときはリミッターが外れたようにざめざめ泣くのだ。そしてその涙は、計算ばかりしている心の汚れたわたしの中に〈なんとか助けてあげたい〉というナイーブな力を漲らせ、怠惰なわたしを前へ前へと突き動してくれるのだ。
そう考えると、ハタケが極端に涙を嫌う理由もわかる気がする。
読書家なのもわかる気がする。
ハタケは本来的に、わたしと同じ泣き虫なのだ。
幼いころに泣き虫だとバカにされたのだ。
今もなお呪われているのだ。
そして人前では涙をこらえ、かわりに自室で読書に耽り、こっそりと、思う存分泣いているのだ。
ぜったいにそうだ。
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