108 あだ名
登場人物
・久保田友恵(トモちゃん)中一女子
・稲垣良美(ガッちゃん)久保田友恵の同級生でクリスチャン
・児玉くん 久保田友恵の同級生で稲垣良美の片想い相手
・柊響(ひびきちゃん)久保田友恵の友だちで同級生
・吉田夏純 久保田友恵の同級生でクラス一おっかない女子
今朝はふわふわの雪が少しだけ舞っている。
「来週ね、三年生たちがウチ来るんだって」とひびきちゃんが眠そうな顔をして白い息を吐いた。
「知ってるよ」とわたしも白い息を吐いた。
「なんで知ってるの?」
ひびきちゃんは驚いた様子でわたしの顔をまじまじと見る。今ので目が覚めたようだ。
「あたしも誘われたの。早川さんに」
「チーちゃんに? でも、なんでだろ?」
「ねえ、ガッちゃんも誘っていい?」
「は? なんでとつぜんガッちゃんが出てくるの?」
「ガッちゃん来るのイヤ? まだ気まずい?」
「いいや、そういうのはぜんぜんないけど、でもなんでとつぜんガッちゃんなの?」
「じゃあ声かけてみるね」
「教えてくれないの?」
「ごめん。今は言えないんだ」
「ふーん。まあいいや」とひびきちゃんはあっさり引き下がった。「それより、あの狭い家に七人も来るなんて生まれてはじめてだよ」
「ひびきちゃんってさ、三年生のことを〈チーちゃん〉とか〈りさりさ〉とか、フツーにあだ名で呼んでるよね」と、わたしはずっと感じていた違和感を投げかけた。壁を作るタイプのひびきちゃんがなぜ、まるでタメのように年上の人をあだ名呼びするのか、わたしには全然わからなかったのだ。
わたしの質問にひびきちゃんは「がんばってるんだよ」とだけ答えた。
「がんばってあだ名で呼んでるの?」
「ほら、バンドってのはさ、気心が知れてないとうまくいかないんだ。あたし一人が〈早川さん〉とか〈式波さん〉みたいに堅苦しく呼んでたら、全体の空気も固くなっちゃって、演奏が死んでしまうんだよ」
「そういう理由があったんだ」
「うん」
「でも、もうバンドはやってないよね」
「だって、今さらチーちゃんを〈早川さん〉なんて呼べないよ。無理してがんばってたのがバレちゃうじゃない。バンドをやる中で育った人間関係がまるっきりウソになっちゃう」
なるほど、言われてみればたしかにそうだ。あんないい人たちとの関係は、罪のないウソが少々混じっていたとしても、ぜったいに守り通さないといけない。
「ひびきちゃんって、対人関係のこともちゃんと考えてたんだね。意外」
「いいや、ふだんはぜんぜん考えてないよ。でも相手が三年生となったらさすがにキチンと考えるよ」
「ひびきちゃんでもそうなんだ」
ひびきちゃんが馴れ馴れしい失礼な人ではなく、ちゃんと常識がある人なんだとわかってわたしはホッとした。
「児玉くんとかガッちゃんとかは、あたしのこと野生のサルみたいに思ってるけど、それは90%しか正しくないんだから」
「90%は正しいんだ」
わたしは笑ってしまったが、ひびきちゃんはべつに冗談を言っているふうでもなかった。
「うん。だって、数人とかの小さなグループの中で嫌われないように汲々とするなんて、なんの苦行?ってしか思えないし、そんなの女子力ゼロのあたしにはムリなんだよ。それがあたしの90%」
わたしもムリ──と最近思うようになってきた。完全にひびきちゃんのせいだ。
「じつはあたしも最近そんなふうに思ってるの」
「やっぱり? なんかそんな気がしてた」
「うん」
「で、残り10%はサルじゃなくてモンスター」
「モンスター? 礼儀正しい人間じゃないの?」
「自分で自分を振り回す制御困難なモンスター。がんばって人間のフリをするんだけど全然ダメなポンコツ。こんな面倒なヤツ、前はいなかったのに」
じつはあたしも──と言おうとしたが、この話題はスルーしないといけないなと思い、わたしは言うのをやめた。
教室に入って席につくなり、わたしのほうへ吉田さんがヅカヅカやってきて、
「久保田、こっちへ来い」
と、わたしの腕をガシッとつかんで廊下へ引っ張っていった。
昨夜の吉田さんの LINE、
──大丈夫か?
あれは誤爆じゃなかったんだ、と思いながら、わたしはなんの抵抗もせず、されるがままに着いていった。
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