101 ノーアイディア
登場人物
・久保田友恵(トモちゃん)中一女子
・柊響(ひびきちゃん)久保田友恵の友だちで同級生
・円谷先生 保健室の先生で〈エンヤ婆〉と呼ばれている
ちょっと言いすぎたかな、と頬杖をついて後悔していたら、わたしはひびきちゃんの姿を見失ってしまった。そして一時間目が始まってもひびきちゃんが教室に戻ることはなかった。
一時間目は数学だ。空間図形の最初のほう、体積=縦×横×高さ。予習はしてあるから内容は話を聞かなくてもわかる。
先生の声からすーっと意味が消えていく。
たぶんまた保健室だ。授業が終わったら様子を見に行こう。
ひびきちゃんが視界から消えて、わたしは次第に冷静さを取り戻した。逆だったらいいのに、決してそうなってはくれない。
あーあ。
まったく、ちょっと考えれば当たり前の話じゃないか。
友だちに彼氏ができたら応援したくなるに決まってる。
そして友だちに彼氏ができたからといって、わたしと友だちの関係が変わるはずもない。
ひびきちゃんが言っていたのは、要はそういう当たり前の話だったのだ。
わたしはキスに惑わされすぎた。友だちとの距離感がわからないひびきちゃんにとって、キスはわたしたちにとってのハグ程度の意味しかないのだろう。
舞い上がっていたのはわたしのほうだった。
一年生の教室は一階で、別棟ではあるが保健室も一階なので、保健室へは早歩きですぐに行き来できる。
「失礼します」とわたしは小声で言いながら保健室に入った。
消毒液の匂いとオイルヒーターの温熱がふわっとわたしの体を包む。
「今日も来たね」と円谷先生が言った。「そこで寝てるよ」
「ありがとうございます」
わたしは仕切りのカーテンを開けてベッドの隣に座った。
「ごめん。さっきはちょっと言い過ぎたよ」
「じゃあお詫びのキスをして」
もう、なんだよそのひょっとこみたいなマヌケ顔は。
「いま言ったの取り消し」
「アハハ、ひどいなァ」
なんだ、ぜんぜん元気じゃないか。
「ねえ、保健室が癖になってない?」
「トモちゃんがいじめるからだよ」
「あたしが悪者?」
わたしはそう不平を言って両手の人差し指で鬼の角を立てた。
ひびきちゃんが笑って首を横にふる。そして「正直言うとね」と小声で言った。
「トモちゃんの感情が一気にどわっと入ってきて胸が苦しくなるんだ。それに応えられない自分のポンコツさに泣けてくるんだ。自分の中がもうむちゃくちゃで困ってるんだ」
そう言い終えるとひびきちゃんはまぶたを閉じ、眠ったように静かになった。
ゲロの理由がなんとなくわかってきた。
きっと三年生に対してもそうなんだ。三年生の感情が一気にどわっと入ってきて胸が苦しくなってるんだ。
何人分もの正の感情と負の感情がひびきちゃんの中でぐるぐるになって、キャパオーバーで疲れ果てていたんだ。
あふれそうな感情の重荷を相手に引き請けてほしいから、キスしたい衝動に駆られるんだ。
「なんとかするよ」
わたしはそう言ってひびきちゃんの肩をポンと叩いた。
「あたしがなんとかするから」
「どうするの?」
「ノーアイディア」
「アハハハ、いいかげんだなァ」
「さ、もう少し寝ようよ。あたしは教室に戻るよ」
「ねえ……」
「……うん、いいよ」
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