100 距離感
登場人物
・久保田友恵(トモちゃん)中一女子
・柊響(ひびきちゃん)久保田友恵の友だちで同級生
・稲垣良美(ガッちゃん)久保田友恵の同級生でクリスチャン
翌朝。
ひびきちゃんの家に行くのはとてもイヤだったが、どうせ学校でも会うんだし、行かないほうがかえって気まずくなると思い、わたしはがんばって足を向けた。
呼び鈴を鳴らすと玄関の扉が開き、
「トモちゃんおはよう!」
と、ひびきちゃんが憎たらしいほどに爽やかな声でわたしに挨拶をしてきた。
「昨日はありがとう。あれから爆睡したおかげですっかり元気になったよ」
「ふーん」とわたしは目を合わさないよう下を向いたまま言った。
「トモちゃん、昨日のこと怒ってるんだよね?」
「あ、あたりまえだよ!」
「もう気づいてると思うけどさァ」とひびきちゃんが明るく話しかける。
ああ、気づいてますよ。
「あたし、ここんとこ頭がおかしいんだ」
は?
「自分によくしてくれた人みんなにキスしたくてたまらなくなるんだ」
みんな、……だって?
「トモちゃんにも、ガッちゃんにも、三年生のみんなにも」
「もしかして、みんなにあんなこと……」
「しないしない! 自分からはぜったい」
「ほんとうに?」
「昨日だって、先にしてきたのはトモちゃんのほうだよ」
……それを言われると弱い。
「……だって、寝てると思ったんだもん。寝たフリなんかしちゃってズルイよ。それにあれじゃ百倍返しだよ。ぜんぜん釣り合ってないよ!」
「そうだよね。イヤだったよね。ごめん」
いいや、違うんだよ……。
違うのに、違うのに……。
コトバで説明するのはなんてむずかしいんだ。
「あたしはトモちゃんのイヤがることはしたくない。だからもう絶対にしないよ」
ひびきちゃんは道の石ころを蹴飛ばして言った。
「ホラあたし、親しい友だちってずっといなかったから、親しい人との距離感がわからないんだ」
「〈親しき仲にも礼儀あり〉だよ」
「だから自分からはしない。それがあたしの礼儀」
「で、されたら百倍返しするの?」
「だからもうしないって」
「あのさ、フツーはね、仲のいい友だちにキスしたいなんて思わないんだよ」
「だから〈あたしは頭がおかしい〉って言ってるじゃない。どうしてもうれしくて舞い上がってしまうんだ」
そう言ってひびきちゃんは口を尖らせた。
「困ってるんだよ、トモちゃん」
なにが〈困ってるんだよ〉だ。
「ひびきちゃん、あたしのほうが困ってるんだけど」
「そりゃそうだよね。朝っぱらから頭のおかしな人の話なんて聞かされたら困るよね」
「違うよ! この分からず屋ッ!」
「えっ? なにか気に障った?」
「障りまくりだよ! あのねえ、あたしは別にいいんだよ。百倍でも千倍でも構わないんだよ。でもね、みんなに、ってのはイヤなんだよ! すっごいイヤなんだよ!」
言ってしまった……。
そして当然ながら気まずい空気になった。
「……」
わたしのコトバにひびきちゃんは押し黙ったままだ。
「ねえ、なんか言ってよ」とわたしはひびきちゃんを肘で小突いた。
「……無理にとは言わないけど、よかったら教えてほしい。ほんとうにわからないんだ」
「なにが?」
「もしトモちゃんがどっかの男の子と付き合っていたとしても、あたしはぜんぜんイヤな気がしないと思うんだ。男の子との仲を応援したいと思うし、相変わらずキスしたいとも思い続けるんだよ」
「そうなの」
「トモちゃんのことは大好きだけど、これはみんなの言う〈恋〉とはちがう気がするんだ」
「うん、そうだね」
「やっぱりそうだよね」
それからわたしたちは一言も話さないまま学校に着いた。
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