1 絵が描けるようになりたい理由
登場人物
・柊響(ひびきちゃん)中二女子
・久保田友恵(トモちゃん)柊響の同級生で友だち
わたしの名前は柊響。公立神通川中学の二年生。
学校は飛騨高山から富山湾に流れる神通川沿いにある。
石畳の川沿いはとても静かで緑が多い。雪解け水は透き通り、ゆらめく金色の水面にときおり川魚が跳ね、それをねらう鷺が光を乱しては、どこかへ悠然と飛び去っていく。そんな川沿いをわたしたちは毎日通学している。
「ひびきちゃん、おはよっ!」
うしろから駆け寄ってきたトモちゃんがわたしの肩を抱きしめる。わたしはそうされるのが少し苦手なのだが、言い出せないままもう一年になる。たぶんこれからも慣れることはないし、いやだと言えるようになることもないのだろう。
「ねえひびきちゃん、中間テストおわったし、あそび行こうよ」
今は五月下旬。富山市で遊ぶところといえば富山駅前か立山くらいしかないのだが、立山はまだ雪が残っているので子どもだけで行くのは危ない。
「あそび行くって、どこ? 富山駅?」
「……飽きたよね」
「ちょっとね」
「思い切って金沢行っちゃう?」
「え、……それはちょっと、電車代が、ムリ」
だめだ。電車代だけで一カ月の小遣いが飛んでしまう。
「トモちゃん、あたしさ、海辺でまったりしているだけでいいんだけど」
「で、てきとーにしけた店に入って、テーブルに突っ伏して、義務のようにスマホを延々と触り続けるの?」
「いいねえ」
「よくないよ」
「あたしはその横で、退屈そうにしているトモちゃんの絵を描いてみたいな」
「絵?」
誰にも話していないが、わたしは絵が描けるようになりたいのだ。
マンガ絵やアニメ絵ではなく、正統派の油絵の肖像画。
とは言っても、油絵なんてぜんぜん描いたことがない。
しかし、心を突き動かす油絵に出会ってしまったのだからしかたがない。だから帰宅部だったわたしは二年になって美術部に入った。
大好きな女の子を実物の百倍かわいく描いて、彼女の美しさを布教できるようになりたいのだ。
描くことで自分の中の〈好き〉という感情をどんどん深めていきたい。
わたしはどこまで人を〈好き〉になれるのだろうか?
頭がおかしい?
仕方ないじゃないか。わたしは歩く性欲なのだから。
しかし、〈好き〉はわたし一人では成り立たない。
モデルの人が、わたしの〈好き〉を認めてくれてはじめて〈好き〉は成立する。もちろんわたしのことを好きになってもらう必要はないが、〈あなたのこういうところが好き〉というわたしの〈好きポイント〉は相手にちゃんと理解してもらう必要がある。
あなたの髪が好き、
あなたのまなざしが好き、
あなたの姿勢が好き、
あなたのふくらはぎが好き、etc....
モデルの人には、そういったわたしの〈好きポイント〉に、なるほどね、と納得してもらう必要がある。ありがとう、とまでは言ってもらわなくてもいいけれど。
そうした上で、とどのつまりは〈あなたが好き〉なのだ、ということを、相手が拒絶せず、「やれやれ」でも苦笑いでも「しょうがないねえ」でも何でもいいのだが、形はどうであれ受け入れてくれるとき、わたしは堂々と胸を張って〈好き〉だと言えるようになる。
同意のない〈好き〉はただの妄想の押し付けだ。モデルの人は不快になり、わたしの描く〈好き〉は嘘になる。
あなたはこんなにも美しい。なぜなら、わたしは──。
……といったことをあえて口にせず、絵だけで分かってもらうのもアリなのかな、と逃げたくもなる。習作と称すれば、相手が不快にならない程度の薄味妄想で独りよがりに描くのもアリだろう。
しかしわたしは習作を描きたいのではない。
〈好き〉を描きたいのだ。
だから、どこかで覚悟を決めなければいけない。
絵が描けるようになりたい──。
わたしがそう思うようになったいきさつを、少し長くなるが、つらつらと書いてみたい。
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