二話 師の重み
「ドウシテ俺ハ生イテイル」
暗い牢の中。
昨日と変わらない景色と、変わったこと。
それは手足の枷が増えたこと。さらに魔法封印の大きな首輪まではめられ、おかげで寝る時に邪魔になって寝れやしない。
見回りにくる兵士も一人から三人となり、誰もが防具をしっかりと身につけ、抜き身の剣を手に持つなど、あたりには異様な緊張感が張り詰めていた。
昨日の戦いの後、俺は牢屋に再び閉じ込められた。抵抗する気もなかったので大人しく連行された形だ。
正直戦いの中で死ねないという事実に後悔したのだが、一方で自分が開いた流派が、程度はどうあれ今に引き継がれているという事実も見れたことには満足している。
(そもそも、俺が死んでからどれくらい経ったのだ?)
前世の最後の記憶を呼び起こす。
平原を埋め尽くさんとばかりの魔物の群れ。そこに投入された英傑にして決死隊の隊長であった自分。
魔物を屠り、屠り、屠った。
どれくらいの時間が経ったか、太陽が何度廻ったか。
ついには手足の感覚もなくなり、口に剣を加えて突撃すること数度。
胸を爪で裂かれ、手はもがれ、足は食べられ。
それでも首を回して数体の魔物を殺したところで、俺の記憶は途絶えている。
とてもあの状態で助かるとは思えないし、現にいまはゴブリンだ。これで助かっているとは思えない。
あの戦争はどうなったのか。兵士たちが異国の者には見えないからおそらく同胞だとは思うのだが、ということはあの戦争に勝ったということなのだろうか。
(いや、膠着状態といったところか)
もし戦争に勝っていたのならばわざわざゴブリンを拉致してきて、新兵の訓練には使わない。
ということはまだ人類と魔王との戦争は続いているのだろう。
まったく、嫌なことだ。
「出ろ」
思考の海に耽っていたら、いつのまにか見回りの時間だったようだ。物事を考え始めたら周りが見えなくなるのはゴブリンになっても変わらないようで、うすら笑いをしたら「ゲヒャ」と大きな笑いが響いてしまった。
その声に三人の兵士が害意を剥きだしにして扉を開け、「歩け」と命令する。
連れて行かれたのは昨日と同じ場所。しかし昨日のような大勢の新兵はおらず、見回せばそこが詰所に併設されているような訓練所だとわかった。
そして、中央に立つのは一目見てわかるほどに屈強な男、それに昨日いた隊長と白髪の老婆だ。
いや、老婆という言葉は似合わない。
ピンと伸びた背筋にすらりとした手足は老いを感じさせず、腰に佩いた細剣がよく似合っている。相当の手練れだろう。
「あのゴブリンが?」
「はっ。確かにこの目でスラッシュ、それも二連を使うところを大勢の新兵と共に目撃しております」
「ふぅん・・・」
こちらを興味深そうに睨みつける老婆。
その顔に、どこか覚えがあった。
(いや、まさか。しかし・・・)
側から見ればギョロリとゴブリンが獲物でも見るかのような眼差しではあったが、他のゴブリンと違い襲いかかるわけでもない俺。
「面白い」と聞こえたのは気のせいではないだろう。
「誰か木剣・・・いや真剣を。私が試そう」
「マリアンヌ様自らが!?それは——」
「危険だと?たかがゴブリンであろう?」
「いやしかし——」
「ぐずぐずするな!そもそも貴様たちのゴブリン狩りなどという悪趣味が発端であろう!」
隊長を顎で使う老婆マリアンヌ。その様子をみて確信した。
(やはり、マリィか・・・!?)
手足の枷が外され、昨日とは違い多少は鉄が使われた盾とショートソードが渡される。
それを受け取る動作も、受け取ってから握りを確かめる動作もつぶさに見られながら、俺は老婆と相対し、礼をする。
「・・・ますます興味深い。まるで親善試合でも行うような空気だな」
「オマエニハ、必要ダト思ッタマデダ」
「殺すつもりでこい。私も、殺すつもりで攻撃する」
開始の合図はない。いや、そんなものは必要ない。
マリィの戦法はよく知っている。相手が攻めてきてところに合わせて受け流し、弾き、逸らし、カウンターを叩き込む後の先。だからこそ俺は彼女の訓練をするときはこっちから踏み込んでいたものだ。
「・・・ユクゾ」
地面を蹴る。
でっぷりとした腹を抱えてはいるが、それでも比較的俊敏に動くのは魔物の特性だろうか。
ゴブリンの身長は低い。マリィは見たところ170cmはあるのに対し、こちらは100cmとちょっと。さらに地を這うように姿勢を低くし、駆ける。
懐に飛び込めば下段からの切り上げだ。
しかしその切先はマリィに届かない。
いつのまにか彼女の細剣が抜かれ、こちらの剣を外に弾き出すように受け流されているのだ。
(そう、お前はいつも下段をそう弾くよな)
だから、剣を捨てた。
さらに左手に構えた盾に右手を添え、正面から突き上げるようにシールドバッシュを敢行する。
殺すつもりで来いといったのだ。そこに手加減など存在しない。いや、そもそもどうして俺はマリィと戦っているのだろうか。俺が誰だか話せばそれで済むのではないか。
しかし心が「戦いたい。戦いの中で死にたい」とうるさく叫んでいるのだ。そのチャンスがあるならば、どうしても抑えられない。
「ぐっ!?」
ゴブリンと油断したか、マリィは迫り来るシールドを左手の小手で弾こうとする。
だが甘い。
俺のシールドにはすでに魔力を通してある。それに最初から狙っていたこの攻撃を簡単に弾けるなどと思ってもらっては困る。
「グガァ!」
裂帛の掛け声での体当たりはマリィを宙に吹き飛ばした。
もっとも、彼女は空中で翻ると何もなかったかのように足から着地し、素早く細剣を構える。
俺もその隙にショートソードを回収し、戦況は振り出しに戻った。
しかしマリィの意識は先ほどと今では雲泥の差がある。
「・・・なるほど。手加減されているのは私だったか」
「殺スツモリガナイノナラ剣ヲ置ケ。ソノヨウナ誘イ、通ジヌゾ」
「うるさいねぇまったく。どこかでのたれ死んだ師匠みたいだよ」
「・・・・・・」
まだ本気度が足りぬと思い、俺は構えた。
どれくらい打てばマリィは本気になるだろうか。手始めにまずは、そうだな、十連にしよう。
「スラッシュ——十連」
「っ!」
縦横無尽に飛びゆく斬撃は、十連ともなると一度に飛んでいくことはなく、連続派としてマリィに襲いかかる。
斬撃のいくつかは弾かれ、地面に激突して土埃を巻き上げ、いくつかは空に弾かれてビョウ!と大気を切り裂く。
「・・・お返しだよ。スラッシュ——十五連」
砂煙でマリィが見えぬ中、飛んでくる斬撃。
それを丁寧に処理しつつ、ほくそ笑む。
(腕を上げたな、マリィ!)
老婆に対してその表現が適当かどうかはわからないが、かつて稽古した中でマリィはスラッシュを十連までしか扱えなかった。それが全盛とは言い難い年齢でありながら十五連も扱えるのだ。
だから、次に行く。
「「剛・スラッシュ!」」
俺とマリィが同じ技を同時に放つ。
斬撃が地を這い、衝撃を巻き上げながらぶつかり合う。
ぶつかりあった衝撃は絡み合いながら空へと登り、肉眼で見えなくなるほどにまで小さくなってようやく霧散した。
「な、なんてことだ・・・」
腰を抜かした隊長が視界の片隅に見えるが、一方でマリィの付き人であろう屈強な兵士は眉を顰めた程度である。あちらもなかなかの強者だろう。
「ヨイ太刀筋ダ。遅レテイタラ危ナカッタ」
「まったく、いちいち勘にさわるゴブリンだね。黙って戦えないのかい」
「スマナイナ。シカシ死闘ノ中ダカラコソ、余興ハ必要ダロウ?」
とはいっても、どうしたものか。
技は他にもあるが、一対一の試合だと使いにくいものばかり。なら、さっさと次にいくとしよう。
構える。
瞬間、マリィから凄まじい殺気が迸る。
「貴様、その技は!」
「——始ノ型、閃」
ショートソードを振り抜いた時、目の前には誰もおらず、背後で土を踏む音が聞こえた。