一話 ゴブリンの騎士
「出ろ」
ガシャンと音を立てて牢の扉が開く。
俺はぎょろっとした瞳で扉を開けた兵を睨みつけてみるが「粋がるな」と一蹴され、手足につけられた枷と鎖を引き摺りながら牢を出る。
ひたひたと素足が冷たい床を叩く音。
コツコツと兵士が大層立派なブーツで床を蹴る音。
シャラシャラと鎖が床と擦れる音。
かちゃかちゃと兵が帯刀している剣が揺れる音。
そんな音をしばらく聞きながら歩いていたら、明る場所に出た。
手枷を嵌められていると明るさに手をかざすのも億劫で、顔を顰めながらも歩いていく。
「ここで待て」
そう言われて俺はため息をついた。
離れていく兵士。
周りを見れば数十を越す兵士——どうやら若い者が多いが——に囲まれ、流石に素手であれを超えていくのは難しい。
なにより俺は俺であっても、人間だった頃の俺ではない。
今は、誰がどうみても一介のゴブリンでしかないのだ。
禿げた頭に緑の肌を持ち、耳は長く、食い物は満足に与えられていないのにでっぷりとした腹をもつ、あのゴブリンだ。
最初も今も、何がどうなっているかわからない。
ただ俺が俺として目覚めた時にはすでにあの牢屋の中で囚われの身、いや囚われのゴブリンとなっていた状態であり、日に日に数体ずつ減っては帰ってこない他のゴブリンを見送って過ごしていた。
(俺はここで殺されるのだろう)
所詮ゴブリンだ。若い兵の糧となる程度の存在に過ぎない。
その思いを裏付けるかの如く、俺の目の前には飄々としたチャラいとも言える一人の兵士がゲスとも呼べる笑みを浮かべて立っている。
そんな相手に殺されるほど悪行を重ねてきた覚えはないのだが、思えば前世では魔物共を一瞥することもなく切り裂いてきたので、魔物からすれば通り魔にあったかの様なものでもあるのかと、下卑た笑いが漏れる。
「おいおい、ゴブリンってのは自分の死ぬことすら笑いなのかよ」
ゲヒャヒャとゴブリンと同じ様な笑いをあげる兵士。
だが話は思わぬ方向へと転ぶ事になる。
「隊長さんよ。こんなゴブリンをただ殺したところでなんの意味もねーぜ。こいつにも棒切れくらい持たせねーと経験値もたまらないだろ?」
その言葉に背後にいた禿頭の、周りの兵士より一回り老けた強面の男が考える素振りをし「いいだろう。枷を外して木刀と小盾を渡してやれ」というではないか。
すると先ほど牢から俺を連れ出してきた男が近づいてきて、剣を抜く。
ガキン。
男は手足の枷を文字通り剣で断ち切ると、木刀と小盾を投げよこしてきた。
「グゲゲ・・・アリガタイ」
俺で自信でも耳に残る様な荼毘声だが、礼を言わずにはいられない。木刀と小盾を拾い上げれば、懐かしい感情が込み上げてきた。
——戦いで死ねるのであれば悪くない。
「マタセタナ」
「はっ、たかが木刀を手にしただけで強気ってのは、ゴブリンってのはオツムまで低級かよ」
それについては人間だった時の俺にも「川で泳いでいたゴブリンがワニに喰われた」ところを見たことがあったりするので否定はしないのだが、なるほどどうして、今となれば得物があるだけでゴブリンが強気になるのもわかる。
魔物は心臓に魔石を有する特性上、魔力を有しているといってもいい。人間でも一部の才能あるものは魔力を扱うことができるが、一端の兵が魔力を扱えるなんてことはそうそうない。
だからこそ、魔力を武器に通すという自然な行為に慣れと驚きの両方を感じていた。
(思い返してみればゴブリンが持っていた棒切れも、駆け出しの頃はどうしてあんなに硬いんだと思ったこともあったな)
それは単純に剣術の腕が足りなかったのだと思い込んでいたが、ゴブリンになってよくわかる。微々たるものだがゴブリンも魔力を扱い、武器を強化していたのだ。
これでただの棒切れなら芯の通った武器となるだろうし、木刀であれば剣と同等の硬さになるであろう。
じゃり、と兵が土を蹴る音がして、思考の海から意識を戻す。
兵士は正面から切り込んできていた。ゴブリン程度であれば体格差もあるので正面からでも問題ないと思ったのだろう。実際、ゴブリン程度を正面から切り崩せないくらいと兵役は務まらない。
そう、普通のゴブリンであるならば、その対応でなんら問題はなかった。
「アマイ」
「!?」
こちらを一刀両断にする一刀を弾くことなく受け流し、バランスを崩した兵士の足を軽く蹴れば、兵士は転んで隙を見せる。
だがそこにつけ入る様なことはしない。
この場所を囲む兵士からは笑いが上がり、転がった兵士もすぐに立ち上がる。
「・・・てめえ」
額と鼻を赤くし、激昂した兵士。
一刀で終わると思った勝負で、まさか自分に土が着くとは思わなかったのか。
(戦えるといっても、新兵研修ではな・・・)
どうせこの後俺は殺されるのだ。戦いの中で死にたいとなれば、たとえ新兵で練度が低くても本気で来いと要求する。とはいっても、ゴブリンを本気で相手するなんてことは自分の技量が足りていないことを喧伝する様なものであり、だからこそ少しでも本気にさせるために怒らせてみたのだが。
「逆効果カ・・・」
向かってくる兵士は怒りで剣を振るう。
単純な太刀筋。弾かれ、蹴飛ばされ、簡単に致命的な隙を見せる。
これでは戦いではなく単なる稽古だ。
もっとも転ばされた後の瞬間的な復帰には光るものを見たので、しっかりと経験を積めばいい兵士に育つだろうとも思う。本人の性格次第だが。
さらに撃ち合うこと数度。俺はやめることにした。
「ヤメダ。弱イ者、殺スノモ面倒ダ」
ちなみに人間の言葉を喋るのも面倒だ。ゴブリンの状態で喋ろうとすると「ゲヒャヒャ」だとか「グヒャヒャ」だとかしか出てこないのを、無理やり喋っているので、戦闘より神経を使う。
「抵抗ハシナイ。サア、オレヲ殺セ、弱キ者ヨ」
「見ろよあいつ、ゴブリンから同情をもらってるぜ」
「いくらなんでもダサいわ」
俺からの「殺されてやる」というのは、これ以上やっても意味がないという諦観からきているのだが周りからは嘲笑が漏れる。
「てめえ・・・ふざけんなよっ!」
「オヤ・・・?」
兵士が構えた。
その構えは見覚えがあった。いや、全くといっていいほど様になっていないのだが、そこに目を瞑れば確かにそれは、俺が開いた流派の型だ。
「くらえ!スラッシュ!」
斬撃が飛ぶ。
魔力によって魔法が使えるのでこの程度不思議でもなんでもないのだが、魔法使いからはこちらの方がよっぽど理解できないと言われている。
なぜなら、この斬撃は魔力を消費しないからだ。
消費するのは体力、気力。使えば疲れるというという、非常に曖昧なことしかわかっていないので魔法使いからは「脳まで筋肉でできている野蛮な者が使う技」とよく毛嫌いされていたものだ。
「・・・ガ、当アタラナイナラ、意味モナイ」
俺と兵士との距離は十メートルもない。
だというのに、スラッシュは忽然と俺に届く前に消える。練度が低ければ飛ばせる距離も短いのだ。
一方で、放った兵士は最早立っているのもやっとといった状況だ。
自分からスラッシュを使っておいて、その結果動けなくなるなど、なんと頭の回らないことか。俺も駆け出しの頃よく経験した。「だから脳筋なんだ」と魔女に言われたことを思いだす。
ともあれ、こういった脳筋バカには同じ技で返すのが躾として有効だ。
「ソコヲ動クナ」
動くなとは言ったが、とてもじゃないが動く気力さえ残っていないだろう。
構える。
威力は最小。それでも当たったら腕一本は切り落とせてしまうだろうが、大丈夫だろう。
「スラッシュ——二連」
振り上げと振り下げ。
素早い動作で行われた素振りから発せられる全く同時の縦の斬撃派は、兵士のすぐ両脇を抜ける様に駆け抜け、ズガアン!と訓練所の壁を抉る。
何が起きたのか、ともはや誰一人笑うものはいない。
ただわかるのは一介のゴブリンでしかない俺がスラッシュを放ち、それが壁を抉ったという事実のみ。
「興醒メダ」
ゴブリンの荼毘声が、虚しく響く。