事案6 スランプ漫画家、渚の探訪
昼間ながらも光の届かない部屋。
その中で男が一人、ただ黙々とペンを走らせている。
しかし、あるところで。
「ああああああ!!」
叫び、次々と机の上の物を落としていく。
嵐が去った後のような静けさの中、響くのはセミの鳴き声だけ。
「はぁ、はぁ・・・・・・。出かけるか―――」
立ち上がり、ノロノロと出かけて行った。
▲ ▲ ▲ ◆ ▲ ▲ ▲
彼の名前は陥先 閃斗。
月刊少年誌「ステップ」に漫画を連載している、人気漫画家だ。
その漫画のタイトルは『抗う者たちより。魔王へ憎悪を込めて』。略して『あらまお』。
『異世界で征服に失敗した魔王が、次はこの世界の侵略に来た。主人公立花 業火は街や命が奪われていく現状を目の当たりにし、魔王に立ち向かう決心をつける。異世界から来た”神器“と呼ばれる三つの武器に選ばれた業火と、まだ見ぬ二人は出会い、魔王討伐を目指す』
あらすじをまとめるとこんな感じだ。
アニメ化もされている人気作である。
来月は、魔王直属の幹部“五魔官”のうちの三体目と戦うシーンだ。
それは“オキュスノ”という名の悪魔で、妖艶な女幹部だ。
しかしイマイチ「これだ!」というビジュアルが思い浮かばない。
(クッソ・・・・・・性格や口癖、攻撃まで決めてるのに。大事なビジュアルが決められないなんて)
今までこんなことなかったのに・・・・・・。
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海にやって来た。
アイデア収集と気分転換のためだ。
様々なものを見ると漫画のネタになるし、歩いたり走ったりして体を動かすことで、頭が冴える。
運動と考えることは連動しているのだ。
それに、ここ数日ずっと部屋にこもりっきりだった。
たまにはこういった広いところに来るのも必要だ。
まぁ、ここの海は海水浴客でごった返しているが。
夏はアイデアが豊富に浮かぶ。
海や花火、夏祭りやお盆、スイカに冷やし中華。
イベントも食べ物も自然も、そしてそれらを楽しむ人間も良いアイデアにつながる。
(さぁてオキュスノのビジュにつながるいいネタ、ないかなー?)
キョロキョロ、情報を取りこぼすまいと見回す。
ドッ…。
前を見ていなくて、人とぶつかった。
「あ。すいません」
「こちらこそごめんなさい。怪我はありませんか」
相手は女のようだ。
足からゆっくりと視線を上げ、顔を見る。
その瞬間。
(ふぉう!?)
衝撃が走った。
灰色の髪に、こぎれいな顔立ち。
髪型はポニーテール。黒いピアスがよく似合う。
紺の水着と白のパーカーは大人っぽい印象だ。
眉をひそめた心配そうな表情は胸をときめかせる。
しかしその表情が段々、強張ってくる。
「怪我がないなら大丈夫ですね。さようなら」
さっさと去っていってしまった。
去りゆく姿を目で追ううちに、体も動き出した。
彼女は自分のパラソルに戻ったようだ。
座りこみ、ぼーっと海を見つめる。
その姿も画になる。
写真を撮るジェスチャーをして彼女を手の枠に入れる。
オキュスノが持つのは、大人っぽい色気である。
だから、単に胸や尻が大きいとかではダメなのだ。
細身で滑るような質感の肌が魅力になる。
それを持ち合わせ、なおかつ灰色という変わった髪色をした、彼女。
(オキュスノのモデルに最適だ!)
そう思わせるほど、素晴らしい材料だ。
閃斗は無意識に彼女を覗き見ていた。それも12分。
時々、こちらを気にするようにチラチラ見ているが。
気のせいだ。茂みに隠れているから見えないだろうし。
言い換えれば、彼女は泳ぐこともせずに12分座り続けているのだ。
(何してるんだ?泳いでくれないかな)
それが願望だが、応えてくれる様子はない。
「オグー!お待たせ〜!」
すると、海の家から大声で出しながら女が来た。
長い黒髪の巨乳の女だ。水着は紫のビキニだ。
手にかき氷を二つ持っており、一つを手渡した。
二人は並んで座り、かき氷を食べ始めた。
離れているため、何を話しているのか全く分からない。
だが得られた情報もある。
(あの人、オグさんっていうのか)
偶然にもオキュスノと名前が似ている。
もはや運命かもしれない!
彼女がオキュスノのモデルに、いや!オキュスノになるべきだ。
そんな考えでいっぱいになる。
こうなった人間はもう誰にも止められない。
彼女たちの話の内容を聞くべく、距離を縮める。
「ええ?そんな奴いたのー?」
やっと聞こえるところまで来た。
今のは黒髪の女の声だ。
そんな奴・・・・・・?誰の話だ?
「今まで私のことを『空想の題材』として見たのは、虚子さんとさっきぶつかった、あの人だけですよ」
俺のことか!
自分の話だとは思わなかった。
もしかして今までの行動は失礼だったんじゃ?
今更ながら反省する。
「エロい目で見られたことは結構あったんじゃない?」
「まぁ、それは慣れてますが。空想の題材にされるのはまた違って。何だか奇妙な感覚で緊張しますよ」
「ふーん」
黒髪の女は残り少ないかき氷をかき混ぜる。
「聞きたかったんですが」
「え?何?」
オグは海の方から女に体の向きを変えた。
「そなさん。なぜ今日、私を海水浴に誘ったんですか?」
「社長に特別に休暇もらったんでしょ。せっかくだから誘おうかと思って」
「本当にそれが理由ですか」
「んー」
そなと呼ばれた女はすぐには答えない。
「やってみたかったから」
少しして、氷をかき混ぜながら答えた。
「へ?」
オグは間の抜けたような声を出した。
「今の子たちみたいにさ、友達と海に遊びに行って、はしゃぐ。そういうのやってみたかったの。わたし―――」
そなは視線だけをオグに向けた。
顔は恥ずかしさからか、紅潮している。
「あんた以外にそういうことしたいの、いないから」
すぐに視線をそらし、かき込むように氷を食べる。
オグはきょとんとした表情だ。
沈黙の時間が少しばかり、訪れた。
「何か言いなさいよー!!」
そなは立ち上がり、声を張った。
「何て言えばいいんですかぁ・・・・・・」
オグは困惑しているようだ。
「なぁ、何か言うことあるでしょ!」
「えっと。じゃあとりあえず、ありがとう」
「はぁ?何で感謝するわけ?」
「そんな風に思ってくれるのは嬉しいことです」
「っ―――」
そなの顔はトマトみたいに赤く染まった。
そのまま座り込み、顔をうずめる。
なんか、良い。
この二人の微妙でぎこちない関係はどこか良い。
(どんな関係なんだ?ただの友達ではなさそう)
ぜひとも聞いてみたい。
ここはもう、意を決して―――!
「あの!すいません!」
「え!?誰!?」
彼女たちの前に姿を現した。
そなは驚いているが、オグは無表情だ。
「えー。私、こういう者でして」
名刺を差し出す。
「なになに?え?漫画家!?」
「陥先先生・・・・・・あなただったんですね」
「あの?『あらまお』の作者の?」
「そう!そうです!そうなんですー!」
とりあえず知ってくれているようだ。
「私たちに何か?さっきからずっと見てましたよね?」
え・・・・・・?ええ!?
「気づいてたんですか!?」
「ええ。ぶつかったのもあなたですよね」
「は、はい。そうです」
なんか、恥ずかしい。
その感情が、頭を掻く動作に表れる。
「気づいてたなら、何で追っ払わなかったのよ?」
「なんだか切羽詰まってるみたいで。追い払いのは可哀想かと思いまして」
「ええ・・・・・・。確かに焦ってはいます」
そこも見抜かれていたのか。
少し困惑する。なぜそこまで分かるのだろうか?
「なぜ分かったんですか?」
「ん〜?どれどれ?」
聞いているところ、そなが横から割って入ってきた。
こちらをまじまじと観察する。
「確かに健康ではなさそうね。クマ濃いし、なんかやつれてるし」
「え。そういえば最近ちゃんと寝てないな」
「食べてもいないでしょう。何かあったんですか?私でよければ話を聞きますよ」
(情けないかもしれないけど。ここで正直に話せば許可を得られる可能性が高くなるかも)
それを期待して、閃斗は正直に話した。
自分がスランプであること、二人を遠くから見ていたこと。
「気持ち悪いわね」
一通り話し終えた後、そなから言われた。
「そんなダイレクトに言わなくても分かってますよぉ!」
ショックのあまり座り込み、うなだれる。
オグが目の前にしゃがみ、閃斗の顔を覗きこむ。
顔を上げると彼女と目が合った。
驚きと、ときめきで目を逸らしてしまう。
「それで私を題材にして、そのキャラクターを登場させたいんですね?」
「は、はい・・・・・・。ダメ、ですかね?」
「いいえ、構いませんよ。どうぞ使ってください」
「え?いいんですか!?本当に」
「ええ。私、困っている人を助ける仕事をしてまして」
オグが差し出してきた名刺を見る。
「便利屋エスピトラ?初めて聞く会社だ」
「まぁ。全然大きくないものねぇ」
「便利屋ですから、人助けのために色々しています」
そなの嘲笑を無視してオグは説明した。
「は、はぁ。なるほど。ちなみにどんな仕事してるんですか?」
「さすがはプロの漫画家。ネタになりそうな事は取り逃がさないのね」
「えっと。まぁそれも目的ですけど―――ね」
オグは顎を手で支える仕草をした。
「ほとんど仕事はありません。時々、ペットの世話や散歩を頼まれたり、徘徊されてる高齢の方を探す手伝いを頼まれたり、ただ話を聞くだけだったり」
「はぁ・・・・・・?」
なんか思ってたのと違う。思わず首をかしげる。
雑務をただ頼まれているような仕事内容だ。
「地域密着型、みたいな?」
「いいえ。依頼があるならば、北は北海道から南は沖縄まで。海外にだって行きますよ」
「すごいですね、その気持ち。それで今まできたのってどんな―――」
「話が脱線してしまいましたね。とにかく、困っている人を見過ごさないという訳です」
質問を止められてしまった。
「これ以上話すと長くなるので、今日はここまで」
「えぇ?まだ聞きたいことが―――」
「名刺に電話番号あるでしょ?電話して聞けば?」
そなに言われてから気づいた。確かに。
「じゃあ今日はここまでということでぇ―――」
「我慢しなさいよ。こんな場所に、二時間三時間も居るわけにいかないでしょ」
どうやら不服な態度が表れていたらしい。
(今度は絶対聞いてやる―――!)
変な闘争心を燃やして、心にそう誓う。
▲ ▲ ▲ ◆ ▲ ▲ ▲
その数日後。その月の『あらまお』には。
灰髪のポニーテールに、やけに露出度の高い服、といったビジュアルの“オキュスノ”が登場していた。
よりにもよって、今月は巻頭カラーだったようだ。
「これって・・・・・・」
そのページを開きながら、オキミは振り返る。
そこには、わなわな震えるオグがいた。
彼女も同じところを開いている。
「なあ、このキャラのモデルって―――」
「き、きかき、か、聞かないでください!」
ここまで動揺するオグの姿は初めて見た。
「こ、ここ、こんな状態だったらぁ―――」
「誰でもオグがモデルだって分かるだろうな」
「ひゅ!う、ううぅ・・・・・・」
変な音を出したと思えば、顔を手で覆う。
「死ぬほど恥ずかしい・・・・・・」
その場に崩れ落ちてしまった。
翌日から閃斗からの連絡および、なぜかファンレターが尽きなかったのはまた別の話である。