赤いジャージの姉妹
神流 聖:31才。178センチ。やせ形。端正な顔立ち。横に長い大きな目は滅多に全開しない。大抵、ちょっとボンヤリした表情。<人殺しの手>を見るのが怖いので、人混みに出るのを嫌う。人が写るテレビや映画も避けている。ゲーム、アニメ好き。
山本マユ(享年24歳):神流剥製工房を訪ねてくる綺麗な幽霊。生まれつき心臓に重い障害があった。聖を訪ねてくる途中、山で発作を起こして亡くなった。推理好き。事件が起こると現れ謎解きを手伝う。
シロ(紀州犬):聖が物心付いた頃から側に居た飼い犬。2代目か3代目か、生身の犬では無いのか、不明。
結月薫:聖の幼なじみ。刑事。角張った輪郭に、イカツイ身体。
山田鈴子(ヤマダ スズコ50才前後):不動産会社の社長。顔もスタイルも良いが、派手な服と、喋り方は<大阪のおばちゃん> 人の死を予知できる。
1月15日
空は雲一つ無い。
昨日降り積もった雪が
陽の光に輝いている。
真冬とは思えない暖かい朝だった。
「セイさん。剥製のご相談です。犬です。展示の剥製を見て興味があるそうで……」
山田霊園事務所、桜木悠斗から電話があった。
午前10時のことだった。
神流聖は、死んだ犬を引き取るのを想定し、車で霊園事務所向かった。
シロは勝手に乗ってきた。桜木の犬と遊ぶつもり、らしい。
霊園事務所前に、ピンク色の軽自動車が停まっていた。
随分古い型で和歌山ナンバー。
辺りは、足跡が一杯だ。
5センチほど積もった雪に、くっきりと。
それは林の中へ続いている。
車を降りシロを放せば、木立の中へ駆けていった。
木立の間に
凄い早さで走って行くモノが見える。
赤いのがあっち、と、こっちに。
暫くして
林の中から犬2匹、駆けてくる。
アリスとシロ。どっちも嬉しそうな顔してる。
続いて桜木が、小走りで、こっちへ。
「スミマセン、待たせちゃって」
マッチョな男は冬でも薄着。
黒ズボンにワイシャツ、ネクタイ。
ワイシャツの袖をめくり上げている。
続いて赤い服着た2人、林の中から出てきた。
(あれが客かな?)
2人とも長い黒髪なびかせて……。女性か?
聖は取りあえずその場で頭を下げた。
2人は、揃いの赤いジャージの上下。足下はスニーカー。
(運動部のユニフォームか?)
高校生か大学生に見えた。
「剥製屋さん、ですね」
1人が、言いながら側に来る。
息が弾んでる。
頬が赤い。
さっき、林の中で走っていたよね?
「はい。神流と申します」
聖は白衣のポケットから名刺入れを出しかけた、
が、
「事務所の中でお話ししましょう。続きは、後にして」
と桜木が言う。
(なんの続き?)
気になりながらも、立ち話は終わりにした。
若い女2人は姉妹だった。
姓は、<一本松>
姉の<椿>は20才。大学生。
妹<楓>は中学三年。
和歌山県H市から来たという。
此処から50キロの距離だ。
姉妹は共に高身長(170センチ位)。
小麦色の肌と、切れ長の目が同じ。
体つきはスリムで筋肉質、身のこなしに無駄が無いのも、そっくり。
アスリートに違いない。
(陸上? 水泳? バレーボール? 武術? 舞踏?)
丸顔でメイク有り、ピアス有りが姉。
細面のノーメイクが妹。
椿が童顔だからか
楓が大人っぽいからか
5才の年齢差は感じなかった。
犬はビーグルの雄だった。
桐の箱にぴったり収まっている
何年生きたのか見当も付かない。
毛並みは艶が無く、ところどころ剥げている。
腰は曲がり腹に贅肉がたっぷり。
つまり……とことん醜くなるまで老いている。
ちっとも綺麗じゃ無い。
毛の長いモコモコした犬なら老いを誤魔化せるんだけど。
「この子を、剥製に?」
聖は確認する。
「はい。ここに来るまで、あんな可愛い剥製、知らなかった」
椿は事務所内に置かれたトイプードル(剥製)に熱い視線を送る。
「お人形みたい。でも生きてるみたい」
楓は携帯電話で写真を撮る。
「その子は……3才で事故死です。マンションのベランダから転落したんです。打撲による脳出血ですね。複数の骨折もありましたけど。かなり傷んでいましたが、若いんで毛並みはきれいなので復元できました」
聖は、このお爺ちゃん犬は綺麗に出来ない、と臭わせたつもり。
「じゃあダディも、このまんまで、生きているみたいに、出来るの? 今の姿でずっと」
妹が奇跡を見たような目で、聖を見つめる。
犬の名がdaddy?
そっか。中学生なんだ。産まれた時から、この犬と一緒なんだ。
父親のような存在なのかもしれない。
聖は、依頼主は一般的な美しさを望んでいないと了解した。
もう1点、確認すべきコトがあった。
「手間がかかります。材料も必要です。結果制作費は安くはありません。このトイプードルはお客様が受け取りに来られなかった。後になって高すぎると。新しい犬が買える値段だと」
大学生と中学生が小遣いで払える金額では無い。
大人の了承が欲しいと思う。
「あの……お金はあります。でも今は無いんです。来月の20日にお支払い、は無理ですか?……今5万前払いできます、」
椿は財布から5万出す。
埋葬費にと持参した分であろう。
「姉ちゃん、私3千円、持ってるよ」
楓も財布から千円札と小銭を取り出す。
聖はお金を差し出す姉妹の手を、見てしまった。
もちろん<人殺しの徴>など無い。
普通の若い女の手であったが
酷使して荒れた手だった。
あかぎれ
傷跡、やけどの跡
短く切った爪の先は割れている。
大学生と中学生の手が
何をしたら、ここまで<可哀想な手>になるのか。
「前払い、ですか……お客さん、特別割引4万8千円でお受けします」
禿げている部分の修復が不要であれば材料費は低いと見積もった。
「そんな安くていいんですか?」
と姉妹は喜んだが若干不安げ。
「ここまで長生きした犬は初めてなので自分としては勉強になります。前払いも滅多に無い。だから特別割引いたします。ただし絶対他所で言わないで下さい」
キッパリ言うと、
姉妹は(ラッキー)と抱き合った。
「では、ダディの写真貰いましょうか」
携帯電話の犬の写真を、聖のパソコンに送って貰った。
「ダディ、起きて……って言いたくなるわね」
マユはビーグルの亡骸が気に入った様子。
「眠ってるように見えるだろ。それでね。解体は明日に延ばした。一晩、此処に寝かせてやりたかった」
薪ストーブのおかげで部屋の中は暖かい。
犬の死骸など、臭くて置けないはずなのに
余り臭わない。
獣臭も死臭も感じない。
それでシロも無関心。
一度は臭いを嗅ぎ、その後は全く気にかけていない。
「胃も腸も空っぽなんだよ。老衰で食欲が無くなり、水だけで暫く過ごして水も飲めなくなって……なだらかに死んでいったのだろうね」
「赤いジャージの姉妹に、とっても愛されていたのね」
「幸せな犬だよ」
「箱、手作りじゃない?」
「そうなの?」
聖は、日本人形か壺の入っていた箱と思い込んでいた。
改めて見てみると、板を裁断した跡があった。
「……わあ-、メチャ丁寧な作業してるよ。釘も接着剤も使ってない……棺桶だから?」
「2人が作ったのかしら?」
「どうだろ……家具職人並みの技術なんだけど。……謎だな」
「謎の姉妹?……ところで彼女たち、林の中で何してたの?」
「あ、それ聞くの忘れた」
「アリスも一緒だったのよね」
「うん。……鬼ごっこでもしていたのかな」
「鬼ごっこ?……赤いジャージの姉妹と茶色い犬が、雪が残った山で鬼ごっこ。メルヘンちっくね」
聖は、ちょっと違うと思う。
「桜木さんも一緒だったよ」
「そうなの?」
「身長180センチのビジネススタイルの男と、身長170センチの赤いジャージ女2人が、林の中を、もの凄い早さで走り回ってたんだ。メルヘンチックじゃ無いでしょ」
「ええ……一体何してたのかしら? ……謎の姉妹、なのね」
「そう。赤いジャージの、謎の姉妹だよ」
聖は姉妹の荒れた手を思い出した。
あれも謎だと。
何よりも、醜く老いた犬を、復元したがるのが謎だ。
どの謎も解いてみたいと思わない。
あの姉妹に立ち入るべきではない、
そんな気がした。
もう会うことも無いのだし。
剥製が完成すれば宅急便で届けるだけ。
それで二度と会うことは無い。
彼女たちの顔はすぐに忘れた。
だが、名字の<一本松>は記憶に居着いていた。
1月31日、和歌山県H市の民家で5人の遺体発見、強盗殺人か?
と報道された。
翌日、遺体の身元が発表
一本松 満(42才)
一本松 あかね(13才)
一本松 あゆみ(10才)
佐川 久美(39才)
佐川 夢花(11才)
聖は<一本松>の名字に姉妹を連想し、報道記事に目を留めた。
犠牲者に<椿>も<楓>も無いので一安心。
被害者住所の詳細は報道されていない。
が、事件現場のおおまかな地図が、剥製の送り先を含んでいる。
「親戚かも知れないな」
と、考えた。
同姓の(親戚の)家が近隣に数軒在るのだろうと。
それでも気になってニュース動画を見漁る。
一本松家は畑の真ん中の、ぽつんと一軒家だった。
敷地は広い。
石灯籠、松、
丸い池。井戸もある。
瓦葺き純和風の母屋と
他に2棟。一つは平屋の小さい建物(離れか)。
一つはコンクリート2階建ての築淺の建物。
空からの庭の映像に、
犬小屋が映り込んでいる。
赤煉瓦と木の手作りの小屋。
随分前に作られた感じ。
犬小屋の前に、在るはずのトレイは無い。
長い鎖が地面に無造作にある。
小屋はあるが、犬は居ないのだ。
そして犬小屋近くの地面に
所々穴が。
犬が長年掘った穴か?
聖はこの犬小屋は
穴掘りビーグルが十数年、住んでいたと解った。