第6話/強者
悲しいことに、魔族であれば多少の傷は一晩眠れば塞がってしまう。
体内に秘める魔力が高ければ高いほど、つまり、魔王くらいになれば、傷口をなめているうちに完治してしまうわけだ。
が、彗はそんなことは知らない。
具合が悪いといって部屋から出てこない魔王を気遣い、その日の皆の朝食とは別メニュウで血となり肉となるようなものをと四足の獣肉の調理をしていた。
彼女を手伝っていた兵士たちは、もちろん魔王のそれが仮病だということは実は承知していた。わざわざ主を売るようなことをするものがたまたまいなかっただけで、彼らはいそいそと彗の指示の通りに体を動かしている。
「彗殿、焼き加減はいかがでしょうか?」
「うーん、もう少し焼いてもらえますか」
「こういった味付けでよろしいでしょうか?」
「・・・あぁ、ちょっと甘すぎじゃないかしら?」
「彗殿、盛りつけはこのようでいかがでしょうか?」
まだあどけなさの残る少年のような細身の兵士が、わざわざ皿を掲げて尋ねてきたのを可笑しく思った彗はくすりと笑った。
一瞬、大輪の花が咲いたのかと見紛うばかりの笑顔にその若い兵士をはじめ、野菜を切り分けていた老齢の兵士でさえ作業中の手を止めて見惚れた。
「ああ、ごめんなさいね。その盛り付けでいいんじゃないかしら?おいしそうだわ」
頬を染めて下がって行く後輩。それを見ていた他の兵士たちが自らの仕上げた料理の出来栄えを競って彗に見せたのはいうまでもない。
さて、そのころの魔王はというと、
「ふふふ・・・これで誰もこの部屋には入れはしまい」
私室の扉を内側から何重にも施錠していた。
まずは物理的な鍵をかけた。次に、ルゴやフロウ級でなければ解くことのできない魔術的な鍵を。そして、そこまでする必要はないと自らも感じていたのだが、念には念をということで、魔王自身にしか知りえない言葉の鍵をかけた。ようするに、魔王自身の魔力を流し込み、魔王がある言葉を紡がなければ解錠できないようになっているのだ。
ここまで念入りに鍵をすれば、いくらあの非常識なお姫さまも手出しはできないだろう。
腕力で及ばなかった分、知力で相手を凌ごうというのだ。
しかし、私室に籠城を決め込んだまでは良かったのだが、重要なことを彼は忘れている。
そう、兵糧のあてがなかったのだ。
お昼近くになり、ようやく魔王は自分の空腹に気が付いた。だが、食べ物はない。
どうしたものかと部屋の中をぐるぐると歩きまわっているうち、扉がノックされた。
「魔王、ごはん食べる?お腹空いてない?持って来たよ」
外で彗の声がする。どうやらすぐそこに御馳走があるらしい。
丁度よかった。
そう、それは丁度よい機会ではあったが、魔王はふと思う。
傷が治っていることがばれたらどうなるのか。いや、正確には仮病がばれたらどうなるのか。
「まぁ、御好きになさってください。我々は邪魔はいたしませんよ」
今朝、魔王が彗を追い返した後、こっそりやってきたルゴが吐いた台詞だ。
事の成り行きを面白がっている、いや、主の意志を尊重し口裏を合わせてくれている臣下たちのおかげでこの時間まで嘘がばれることがなかったのだ。しかし、ここでのこのこ出ていってしまっては嘘がばれるどころか、自分の手でせっかく築いた鍵までも崩してしまうことになる。
「それはまずい」
そうだ、ここはひとつ食欲がないからと嘘をつこうではないか。
腹の虫は泣きやまないが、仕方がない。せめて今日一日は静かに過ごしたいのだ。彗にふりまわされることなく。
「魔王?」
呼びかけてくる彗に向かい、魔王はベッドから答えた。
「すまないが食欲がないんだ。また後にしてくれないか」
と。
しかし、このときすでに彗は気が付いていたのだった。
魔王の様子がおかしいこと。料理を運んできたはずの兵士が料理の乗った台を残して消えていたこと。そして、魔王の部屋の扉にはおかしな術が施されていたことに。
その時、長い廊下の奥からこちらに向かってくるフロウに気付いた彗。
彼女が声をかけようと片手を上げた途端、彼はくるりと踵を返し、巨体を揺らしてもと来た道を慌ただしく戻って行った。
「なぜ?」
何か嫌われることをしただろうか?と思い返してみても、思い当たることはない。だとすれば・・・。
彗のなかで疑惑が確信へと変化した。
「いい度胸してるじゃない、魔王のくせに」
にやりと笑い、彗は拳を振り上げた。
そして、扉は破られた。
「・・・・・・・・・!!!」
もちろん、ベッドの上でくつろいでいた魔王は驚いたどころではない。
にっこりとほほ笑む彼女と、彼女の足元に平伏した扉とを交互にみやっては、その都度顔色が悪くなっていく。
「魔王、怪我はどうしたのかしら?あんな小細工する元気があるってことは、治ったってことよねぇ?」
「ええええええッ!?いや、待て待て、怪我はアレだ、ついさっき治ったばかりでな・・・」
「ふぅん?じゃあこの鍵は何のためなのかしら?」
「はあ?ええー・・・と、ええー・・・と・・・」
しどろもどろで嘘も思いつかない魔王に、扉をぶち破った拳をぱきりぱきりと鳴らしながら彗が迫る。もちろん笑顔だが、その眼は瞳孔が開いていて決して笑ってはいなかった。
「ごはん食べたらリリーくんとお散歩に出かけてくれないかしら?」
「もちろん、行かせていただきます」
ベッドの上で折り目正しく正座をした魔王が深々と頭を下げ、この瞬間に二人の間の上下関係がはっきりしたのだった。
やはり、彗に逆らってはいけなかったらしい。
ルゴの言っていた言葉をようやく理解した魔王である。
弱肉強食。焼肉定食。ぐふッ…。