第50話/下僕
マルーン国王城。国王執務室。
報告書や書簡の山となった机のわずかな隙間に肘をつき、受け取った一枚の紙に目を通しながらマルーン国王は仰々しいため息をついた。
彼の前には王の密命を受け事を成し終えた従者が姿勢正しく直立している。
「それで?」
明るい栗色の髪に降り注ぐ窓越しの光を振り払うようにぐしゃりと頭を掻き上げ、国王は相変わらず表情に乏しい黒一色の従者を睨みつけた。反対に、主の不満げな表情に従者はますます表情というものを消してむっつりと口元を引き締める。
「報告はそこにある通りです。それ以上でもそれ以下でもありません」
揺らぎない確信に再び国王はため息をついた。
従者がもたらした報告によれば、魔王はリオネ国の次期女王である斎明姫に求婚をした。そしてその求婚は現在保留になっている。保留になっている理由は「魔王は魔王らしく魔王っぽいことをしなければダメ」という斎明姫の意志によるものであり、その一点さえ改善されたのなら、彼女は魔王の妻になる心づもりだという。魔国としてはリオネから妻を娶ることを歓迎しており、同じくリオネ国も魔国とのつながりを強固にする絶好の機会だととらえている。
魔族である魔国の王と人間の国であるリオネの女王が結びつく。リオネの現女王が何を考えているのかを思うと少々頭が痛い事案もあるが、と国王はその一枚の紙を元の通り折りたたんだ。
人間と魔族。相容れなかった存在が一つになる。それは人間と魔族の和解という美談として聞こえ、表向きはとても素晴らしいこと、世界をあげて歓迎すべきことである。
しかし、とマルーン国王は密かに頭を抱える。
元々魔族などいうものは存在しなかったのだ。魔王が率いる魔族。そんなものは初めから存在しなかった。彼らは魔力を持って生まれた人間、ただそれだけの存在でしかなかった。その彼らに魔族という人間の脅威となる役割を頼みこんでお願いしたのは遥か昔のマルーン国王と同じく遥か昔のシェン王だった。人間同士が互いに忌み憎しみ殺し合うことが常であった世界に人間の敵である魔族を作り上げ、人間の結束を強め共に闘うことで平和を築くために。
自分の代で魔族と人間の戦いが終わる。それは喜ばしいことであり、そして厄介で困難なことではあるが、たぶんきっとうまくいくだろうと、国王は比較的楽観的に考えていた。
故に、若きマルーン国王ロゥイが頭を痛めている問題はそういった魔族と人間の間のことではない。
彼が問題としているのは、目の前に立っている従者が彼の目の前に立っているということだった。
「蓮、お前なんで帰ってきやがった?」
不機嫌この上なく国王は呻く。
「失礼ですが、私が仕事を完遂して戻ってくることのどこに非があるのでしょうか」
「問題大有りだ。魔王には悪いが斎明姫はお前に恋する予定だったんだ。その為に彼女が魔国へ乗り込むのを俺が手伝ってやったんだし、お前をリオネに送ってやったっていうのに。あぁったく、彗澪は何をやってんだ」
「ああ、そうでした。そういえば彗澪姫からロゥイ様宛に個人的な書簡を預かってきてました」
無表情だった蓮の顔に爽やかな悪意に満ちた笑顔が広がっている。
差し出された紙をもぎ取って国王はその簡単な文面に目を通す。目を落としながら、もとから刻まれていた眉間の間の皺が本数増え、さらに深々と刻まれていく。
『ごめんなさいね、失敗しちゃったみたい』
簡素に悪びれることもなく、謝罪する気もさらさらない文面からは何とはなく幸せそうな雰囲気が漂っている気さえして、ロゥイは感情のままそれを破り捨てた。自分の思惑とは裏腹に進んでいく物事と、未だ欲しい花を手に入れられない苛立ちで。
「まったく。散々だな」
「まったくですね。ですが、斎明姫のおかげで幼馴染という厄介な男を排除できたのも確かなのでは?」
「……そうとも言うが、問題は……」
「ああ、ご本人にはまた逃げられたということですか? 朱里様に伺いましたよ。うまくまかれてしまったらしいですね」
「楽しそうだなぁ、おい」
くつくつと笑う蓮に、やはりどんな暗示をかけてでも他の女とくっつけてしまうんだった、と思う国王。一番身近にいて、けれど一番心を許せない存在にいつか自分の思い人を攫われてしまうのではないかと気が気ではない若い国王に、
「そういえばロゥイ様、魔王様が近日中にこちらにお越しになられるようです」
腹の中で良からぬことを考えているらしい主を見透かして蓮が言う。
「ほーぅ。借金のかたでも返しに来るつもりかな」
「まぁそんなところだと思いますが」
帰って来たものは仕方がない、ととりあえずその方面の問題を放り投げ、話を変えようとする蓮に乗ってやることにして国王は意味ありげにニヤリと笑う。
「それはそれでちょっと楽しみだな。あいつどんな顔するだろうな」
くくく。国王は可笑しそうに低く笑い、従者は他人事ながら何日か後にはいいようにおちょくられまくるであろう魔王に深く同情した。
そして、魔王城。
「……おい」
「なぁに?」
魔王の私室、寝台の上で寝ころびながら書物を読む斎に彼女が書いた書面を読み終えた魔王が言う。
「なんだこれは?」
「何って、結婚の条件」
「……本気か?」
「本気ね」
「母親は何と言ってるんだ」
「もちろん大賛成してるわ。むしろ私より乗り気よ」
「…………」
ルゴが見たらなんと言うのか。リオネからの条件を常識的に却下してくれれば良いのだが、と思ったところで魔王はキリキリと胃が痛むのを感じた。魔国の宰相たるあの暇人ならば絶対にお祭り騒ぎで条件を飲んでしまうだろうことは容易に想像がついた。
世界征服。荒々しい文字で書かれたそれをそっと懐にしまい込んで魔王はルゴが言うであろう言葉を思いついた。
『いいですねぇ。どうせ暇ですしぱーっとやりますか』と。
魔王らしく。それを証明するのには一番手っ取り早い方法であろうが、それを一度は望んだことのある魔王自身だったが、今となっては彼にはどうでも良かった。
ただ、目の前に寝転がる人物が自分を好いてくれさえすれば。
その為に世界征服が必要だというのであれば、知恵を絞ってどうにか遂行したいと思っている。恐怖による征服ではなく、穏便な征服を。できないかもしれないが、できるかもしれない。可能性はゼロでないことを信じて。
ぱたぱたと足を上げたり下ろしたりする斎の仕草。頬を緩ませそうになるのを思い直し魔王はうんざりしたような顔でため息をついた。
「聞きたいんだが、いいか?」
「んー?」
警戒心を知らない無邪気な少女のように返す斎に魔王が真顔で迫る。
「あんた、どうして男なんだ?」
ひょっこりと窓から忍び込んだ時から彼女は彼だった。
銀色の髪も紫紺色の瞳も顔の作りも斎という女性のものであったが、その体つきはごつごつと丸みのない男の体躯。抱き寄せたところでなんの面白みもないであろうその体に魔王は顔を思い切りしかめる。手を伸ばせばすぐそこに思いを寄せる人がいるというのに、手出しできない苛立たしさもあって魔王はますます無愛想になる。
これを逢瀬というのにはあまりに無粋すぎる、と魔王は思う。
「だって、これだったら手出しできないでしょう? 彗がかけてくれた魔法だから絶対に解けないから安心なわけ。あ、それともこっちの趣味があるとか? それは困るわね」と、軽く首をひねる斎に、
「ないわっっ!!」魔王がすかさず声を荒げた。
「あー、それはよかったわ。……あ、そうだ。襲われたかったら遠慮なく言ってね。そっちがマオになってくれたら遠慮な……・」
「ぐわああああああ!! それ以上言うなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そうして今日も魔王の絶叫が魔王城に響き渡る。
斎の高らかな笑い声と共に。
これで終わりです。ありがとうございました。お疲れさまでした。
最後までおいしいところのない魔王が私の好みです。笑
でも最後にはちゃんと結婚してもらえるといいねぇ、なんて他人事です。(どっかの王様の時にもこんなこと言ってた気がしますわ)
頂戴した評価や感想を踏まえまして、そのうち作り直せればいいなと思っておりますが、長い目で見てやってくださるとありがたいです。
最後にここまでお付き合いいただきまして本当にありがとうございました。評価されるほどのものじゃありませんので、一言感想でも頂けると励みになりますのでご一考いただければと思います。




