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第48話/魔王

「で?」

 凍てつく視線で突き刺され、魔王はじんじんと痛む頬をおさえて固まった。

 腕を胸で組んで威圧感たっぷりの仁王立ち。その背後からはゆらりと不穏な何かが立ち上っている彼女に見下ろされるのはこれが初めてではない。

 おかしい。魔王は冷たい地面にかっちりと正座をしながら密かに自問する。

 彼女の魔力の源であったはずの妖剣を吹き飛ばし、地上に向かって落下していくその力尽きた体を抱いた時にはこれでようやく落ち着いて話ができると思ったのに……。

 大地に足をつけた途端、しおらしくしていた腕の中のお姫様はギロリと殺意を含んだ瞳で一瞥すると無言のままいつものように魔王を張り倒した。その重く抉るような一撃は、ちょっぴり優しさの含まれる平手ではなく、本気の握り拳だった。

「で?」

 もう一度繰り返される恐ろしいまでの静かな声に魔王の体がぞわりと浮く。

「……いや、その、なにが、なんのことか、分からないんだが……?」

「あんた、結局は何しに来たのよ」

「は?」

 間をおいて考えることしばし。相変わらず鬼の形相の彼女が、もしかしたら自分の話を聞いてくれる気になったのでは、とようやく思い至り、彼は勇気を振り絞って視線を上げる。

「えー……と、それは話し合いに応じてくれるってこ……」

「素直にこちらの負けを認めて平和的に話し合いましょってことよ」

 にっこりと口元だけが動くものの、その瞳孔が開きっぱなしの彼女に、どこが平和的だと腹の奥の奥底で毒づき、魔王は姿勢を正して真っ直ぐにその瞳を見ようと試みるも、さらにきつく睨みつけられて瞬時に俯いてしまった。

 怖いっ。何かそんなに悪いことをしたんだろうか。

 完璧なまでの迫力負け。こんなことならばさっきの戦いでもっと気力体力ともに奪っておくのだったと思っているところへ、頭の上からこれでもかというほどの威圧感が降ってくる。

「さっきの威勢はどこへ行ったのかしらねぇ。話すこともないというのならとっとと帰ればいいのよ。お互い暇を持て余しているような体じゃないでしょ」

「い、いや、話し合うことは山のようにあるぞ。とりあえず、落ち着いて話し合おう」

「私は落ち着いてる」

「話し合いというのはお互いの目線の高さを同じにするところから始まるのだと思うぞ」

「あぁ、私に地べたに膝をつけと? そうね、勝負に負けたのは私なのだからそれも当然でしょうね」

 ひくりと頬が引きつるのを見てとり、魔王は慌てて首を横に振った。同時に、先ほどの勝負に負けたことを彼女が少なからず根に持っていることを知る。

「いやいやいや、そんなことは言ってない。とりあえず、とりあえずだな……」

 どこか適当に腰を下ろせるものはないものかときょろきょろと首を動かすのだが、生憎とちょうどいい岩や木の枝などは見当たらず。

 仕方ないなと呟いて、魔王が自分の膝をぽんと打ち、真顔で、

「俺の膝を貸してやろう」

 と本気とも冗談ともつかない台詞を吐けば、有無を言わせず女の踵が男のつむじを直撃した。

「ぐおおおおおおおおおおっ!! って、殺す気かああああ!!」

「もちろん。死んでしまえと思ってやってるのよ。ここへきてそんな寝言が吐けるようなら違う世界でもちゃんと生きていけるから、思い切って羽ばたいてしまうがいいわ」

「冗談に決まってるだろう!? 少しは察してくれ」

「嫌だわ」

 にっこりとほほ笑みつつ、彼女は地に膝をつき少々の手加減を加えて魔王の腫れていない側の頬を抓る。

「……ったく、本当に何なのよ、あんたは」

 ため息に乗せて彼女が言葉をこぼせば、ばちりと、二人の視線が鉢合わせした。

 その紫紺の瞳に滲むほんの少しの憂い。先ほどまでの怒りと混乱に捕らわれた表情とは全く違う、緩やかな線を持つ彼女の顔に魔王は息を飲んだ。

「それはこっちの台詞だ。あんたは、一体誰なんだ?」

 頬に爪を立てる冷たい手を包み込んで魔王は静かに問うた。

 彼の長すぎる前髪の下から覗く真剣な眼差しに捕えられ、本能的に身を引こうと銀色の短い髪がさらりと揺れる。

「そんなの、今さらじゃない……」

「まぁな、全くその通りだと思う」

 それならば、と口を開きかけた彼女を制して、魔王はゆっくりと一音一音はっきりと自分の言葉を続けた。

「だけど、あんたのことをなんて呼べばいいのか困ってるんだ。さっきは咄嗟に彗と呼んでしまったが、そうじゃないだろう? いつまでも偽りの名であんたを呼びたくないんだ」

「魔王……」

 しっとりと熱っぽい視線をからめ合う二人。

 潤んだ瞳で男を見上げた彼女が空いていた片手をそっと口元へ運び、そして、

「ぶはっ……!」

 その甘い雰囲気を粉砕すべく、突然ふき出した。

 あははははははははははははははははっっっ。ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ。くはははははははははっっ。ぶふふふふふふ、いや、っく、くっくくくくくくく……っ。

 予想だにしない彼女の大爆笑に、魔王はその目を疑い己の耳を疑った。

「く、苦しい、苦しいっ……、し、死ぬ。笑い死ぬ……っ。顎が死ぬっ。お腹痛いっ……よじれるっ」

「おいっ、そこで笑うかっ!? こっちだって死ぬほど恥ずかしいわっっ!」

 赤面の魔王が地面を叩いて笑い転げる彼女に訴えるも、それに何の効果があるはずもない。ぽろぽろとこぼれ落ちる涙もそのままに彼女は笑い、せき込み、むせ、ひぃひぃと声にならない声をあげて盛大に転げまわる。

「だっ……て、そんなくさい台詞、ありえないわっ。ひぃ、ふはははははははっ。ば、ばっかじゃないの? 今時どこの乙女よっ。くふふふふふ、あーっはっはっはっはっはっはっは。魔王が乙女、って、あー、おかしいっ。いや、最初に会ったときからね、そんな感じはしてたんだけど、真顔でそんなこと言われちゃあもうダメっ。おもしろすぎるっ」

「……おい、いい加減にしておけよ?」

「ぷくくっ……、ごめっ、……悪気があるわけじゃないのよ? ただ、おもしろくって!」

「なお悪いわっ」

 国の宰相から散々同じような扱いを受けているにも関わらず、流すということを学習しない魔王は胡坐のうえに頬杖をついて本格的に拗ねだす。元は自分の言動が引き起こしたことにもかかわらず、居直り、ふんと鼻を鳴らして。

「だいたいな、ややこしいんだよ。俺のところに来て彗と名乗ったのはあんただろ? それなのに、本当のあんたは彗じゃないって、そんなのおかしいだろう?」

「そうよ。私は彗じゃない。斎よ。でも、だからって本物の彗を夜這う理由にはならないわよ。そりゃあ、私よりも彗のほうが女らしいし、大抵の男は向こうに走るのも十分すぎるほどわかってるけど」

 ひとしきり笑って気が済んだのか、彼女は目じりの涙をぬぐい真っ直ぐ魔王を見据えた。しかし、その目はひとかけらも笑ってはいない。

 だからってひと一人丸ごと間違ったりする?

 彼女の体中から発せられているような無言の抗議に胸がチクリと痛み、魔王はまた正座に戻って姿勢を正し、一度深々と頭を下げた。

「悪い。あんたと別の人間を間違えるなんて考えられないよな」

「…………は?」

「だから、あんたと本物の彗澪とを間違えたんだよ」

 大きく目を見開いた彼女と、不意に金色の瞳の別人とが魔王の目に重なって見えた。

 その先はどうかあなたが本当に想っているあの子に言ってやってください。きっと喜ぶでしょうから。

 金色の彼女と共に、思い返しただけで顔から火が噴き出しそうになる自分の勘違い行動の一部始終が脳内に流れ出しそうになり、魔王は叫びだしたくなる衝動を必死で堪え目の前の紫紺色に意識を集中させた。

「あんたに、今俺の目の前に居るあんたに伝えたいことがあって来たんだ」

 指の先にまで心臓ができたように彼の全身が大きく脈打つ瞬間だった。

「私に?」

 彼女はそれきり口をつぐみ、不安と期待を込めた瞳で魔王の言葉を待つ。

 ざわりと、穏やかな風が森を撫でていく。彼女の短い髪が舞い、魔王の黒髪も無造作に乱れた。

「斎」

 躊躇いがちに伸ばされた魔王の手が彼女の艶やかな銀色の髪の端に触れ、一瞬、彼女の体がこわばる空気が伝わった。

「はい」

「俺の所へ嫁に来い」

 世界からすべての音が消え、ただ二人の鼓動だけが響く。

 緊張で氷のように冷たくなった魔王の手に、同じく緊張でこわばった彼女の手がゆるゆると重なる。

「あんたの母親の思惑なんて知ったことではないが、あんたを連れて帰るためならなんだって利用してやる。利用されてやる。だから、あんたはその身一つで俺のところへ嫁に来い」

「……でも、私は……」

「いいから。……もう頼むから、黙って愛させてくれ」

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