第46話/親子
黒髪に黒瞳、涼やかな目もとは少々下がり気味だが反対に意志の強そうな眉がうまく均衡を保ち彼の精悍な顔立ちを印象付けている。
蓮の仮面を脱いだそれは魔王の顔によく似た作りの男であった。
が、
「いっやー、久しぶりだなぁ。アレか、お前が魔王になって早々世界征服だーとかぬかして殺りあった時以来か? だとすると、えーと、何年前だ? ま、いいか。とりあえず再会の熱い抱擁だな。泣いてもいいんだぞ。いや、泣くべきだな。感涙で前がよく見えなくって転んでしまいそうになっても大丈夫。私がちゃんと抱きとめてやるからな」
魔王が【重】であるならば、ぺらぺらとよく喋るこの男は【軽】。
さぁ! と、気前よくその二つの腕を広げたところで、息子のこめかみに青筋がたった。
「とりあえず、二、三発殴らせろ」
「相変わらず照れちゃって可愛いのー。さささ、誰も見ていないしどーんと父の胸に飛び込んで」
「どーん」
ばこ。
皺ひとつなかった男の顔に魔王のゲンコツがめり込み、鼻を中心とした放射線状の深い溝を刻む。
「むむむ、息子よ、私はそんな暴力的に育てた覚えはないぞ!?」
「育てられた覚えはないわ。と言うか、少し静かに喋ってくれ。あの女にこちらを探られると具合が悪い」
「だって、ここ何年かずっとひとりで寂しかったんだよ! そりゃあこの国に滞在してる間にはサンテノーラやらその連れ合いと思い出話に浸ったもんだが、やっぱり自分の国が一番だ。それなのにお前が国にも城にも変な結界を張るからなかなか簡単には入れなかったんだぞ? お前のこと心配で心配で何度城に潜り込もうとしたことか!」
「一人身は寂しいから新しい嫁を探す旅に出るとかほざきやがったあげく【魔王】を押しつけたバカをどうして俺が厚く遇してやらねばならんのだ。刺客を差し向けなかっただけでもありがたく思え。というか、新しい嫁は見つかったのか? どうせどの女にもすぐにそのちゃらんぽらんなのがバレて叩きだされた口だろう? いっそこの俺の手で母上のもとへ旅立たせてやろうか? こんなバカをこちらに残していたのでは母上も安らかに眠れないだろうからな」
「ぐ」
一瞬言葉に詰まった男。
それを愉快そうに笑う魔王。
これではどちらが父でどちらが子であるのか一目で見極めることは難しいだろう。だが、言い返すことを封じられた男が軽くため息をついて切り返すと、突然形勢は逆転した。
「ふ、やはりお前の母親のように私の良さがわかるいい女がまだ見つからないだけのことさ。それよりも。息子よ、むかしはあんなに可愛かったじゃないか。父上と慕ってくれたお前はどこへ行ってしまったんだ? ほら、お前が私の誕生日にくれた肩たたき券、まだ持っているんだぞ? 百年分だぞ? お前、小さい頃はからかいがいがあってすごく可愛かったのになぁ。覚えてるか? お前がエルシーちゃんに淡い恋心抱いた時なんてそりゃあもう面白くて面白くて。女の子はみなドレスの中に小さなドラゴンを飼ってるんだって教えたら、お前思い切りめくっちゃってなー。いっやー、あんな大胆にがばっと行くとはね。我が息子ながら見込みがあると感心したものだよ。あと仲直りの贈り物に私が選んだやったアレ。まさか何の疑いもなく女の子に贈ってしまうとは思わなかったぞ。その後の城をひっくり返したような騒ぎったらなかったよなぁ。いっやー、あのころのお前は可愛かった!」
耳をふさいでうずくまる魔王にもはや反撃の意志なし。
己の無知を恥じ、父を絶対と信じて疑わなかったがために引き起こされた数々の悲劇がどっとあふれ出して今すぐにでも穴を掘って埋まりたい衝動にかられている。目の前に「無」の穴があったなら自ら進んで飛び込んだかもしれない。
「でも、お前がいまだにエルシーちゃんに思いを寄せてたなんて、なぁ。うん、いいもの見せてもらったわ」
「……!!」
しかしどれだけ魔王が動揺しようとも父の攻撃の手を緩めはしなかった。
「すごい美人になってたよな、あの子。【蓮】君の設定じゃなかったら口説いたんだけどなぁ。まさか、あそこで息子の告白とか見るとは思わなかったわ。アレだな、あのエルシーちゃん追っかけてきた男には敵わなかったけど、お前はがんばった。がんばったぞ!」
魔王悶絶、恥辱死寸前。
本物の蓮からルシカにいた彼は偽物だとは聞いていた。その偽物がもしかすると自分の放蕩父かもしれないというのも、ディルやレジィの婚約の件である程度確信を持っていた。
けれど偽物の【蓮】を演じている時に見聞きしたものをこうもはっきりと父という立場から告げられると、恥ずかしさの余り消えたくなってくる。
それに、
「うん、でもなんだな。お前には斎姫のほうが似合ってると思うぞ。だって、ルシカにいたときには斎姫の方から迫られ……」
「頼むから――――!!」
リオネに帰る直前の彗と魔王とのことも全て筒抜け、ということだ。
「頼むから、それ以上は……ッ」
「分かればよろしい」
にっこりとほほ笑む男とは反対に魔王はがっくりと項垂れた。
「さて、と、撃魔の剣は渡してやったし私の出番はここまでだ。くだくだ話しこんでる暇はないだろう? あとは自力で勝ち取れ。欲しいものは自分の手で手に入れろ。でなければなんにもならないからな。わかってるよな?」
「……ああ」
その撃魔の剣でさえ本来ならば魔王の手元にあって然るべきもの。だが今の彼にそれを言い返す時間はない。
ただ元の魔王が言うところの自分の欲しいものを想い、それを手に入れるための手段としての剣を強く握りしめる。
「それと、使い終わったらちゃんとマルーン国王に返しておくようにな。今でも借金のかたになってるんだからな。もちろん借金を返す予定はない」
「いったいいくらの借金作ってるんだよ」
「うちの国家予算五年分くらい、だったか? 撃魔の剣がそんなに安いわけないだろう」
さらりと言い切る父に魔王の拳が固まる。
「お前はもう二度と帰ってくるな」
「まさか。レジィの婚礼の儀には必ず参加するさ。もちろん、お前のもね」
「……勝手にしてくれ」
「勝手にするさ。そのときには若くて綺麗なお母さんも一緒だからな」
楽しみにしていろよ。と、消えて行く父を見送って、魔王は盛大なため息をついたのだった。
本当ならばもっと聞きたいことも問いただしたいことも山ほどあった。
だが今はそんなことに時間を割いている暇はない。
欲しければ勝ち取れ。
言われた言葉が胸をよぎる。
だから彼は決めた。
真相など二の次。大切なのは、今自分が妖剣と対峙する力を手に入れたということ。そしてその力さえあれば欲しいものを勝ち取る確率が格段に増えたということ。
ただそれだけ。
剣を抜き魔王はほんの少し笑った。
「せっかくの味方だったのに帰して良かったの?」
小さな石が転がって来たその先に、どうしても欲しいものがある。
いつのまにか四方から「無」に浸食されていた。残るは魔王の立つ位置と彼女が占める岩の上だけ。
ぞわりと足もとまで迫る黒い炎に剣を突き立てる。
「彗、話を聞く気はないか?」
「ないわね」
にべもなく言い放つ彼女の顔は一切の表情がない。
その代りなのか、一筋の冷たい炎が魔王の背に襲いかかった。
もちろん彼が手にしている剣によってあっさりと切り捨てられるのだが。
「結構それって厄介な剣ね」
「おそらく、今のあんたとやりあえるのはこれだけだろうからな」
見せつけるように足元に迫る「無」を裂けば、そこに石と草が蘇る。
「話を聞いてもらうために俺はあんたをねじ伏せる」
「そう。じゃあやってみれば? 今度こそ手加減なしよ」
そして魔王を黒く冷たい「無」の津波が襲った。