第43話/彗澪
なんでもないんですね? 本当に大丈夫なんですね? 姫様方に何かあっては女王さまに顔向けができません! 本当に本当に大丈夫なんですね? え? 責任は取ってくださると? はッ……君のような子供の口からそんな言葉が軽々しく出てくる……ぶぐふはぁッッ!!
うわあああああああ!! 誰か、誰か来てくれぇぇぇぇぇ!! ……ッひッ……、ああ、そうですね、わ、わかりました、では、そのようにいたします。ですが、く、くれぐれも姫様方の……はいッ、出過ぎたことを申しまして申し訳ありませんでした!!
部屋の外に待機していた男たちを得意の精神攻撃でねじ伏せ、少年はにっこりと主に微笑みかけた。
「これでしばらくは大丈夫です、斎様」
「ありがとう、バティウス」と、紫紺色の瞳の女性が労えば、少年は俯いた先で青く腫れあがった顔面をぶら下げ、冷たい床に膝を折って正座している男と目があった。
なんだまだいたのか、とでも言いたげな少年の冷笑を無理やり視界から追放し、傷だらけの男、魔王は呟く。
「あのー……誰か、分かるように説明をしてくれないだろうか?」
寝台の上にどっかりと座りこんで一言も口をきこうとしない女性から視線を移動させ、部屋の一角で手に手を取り合って二人の世界にどっぷりはまっている褐色の肌の男と金色の瞳の女を見て嘆息し、それからチラリと勝ち誇った笑みを浮かべる少年を盗み見て、彼はとうとう黒ずくめの男の顔の上に目を止めた。
魔王の腫れあがった瞼の下の乞うような眼差しを受けた彼は一瞬身をすくめたのだが、咳払いの後に言いにくそうにぼそりと、
「すみません、私は部外者です」と呟いた。
「……は? 何を言ってるんだあんたは?」
あれだけ堂々と彗の従者を名乗っていたというのにここへきて一体何があるというのか。まったくもってさっぱり理解できない魔王は筋をやられていたことも忘れて首をひねり、あまりの激痛に短く叫んだ。
「大丈夫ですか?」
おろおろする蓮の声に被せるように、
「ばっかだねぇ」
の一声で魔王の注意を引いたのは、やはりと言うべきか、心底楽しそうに薄笑いを浮かべる少年、バティウス。
「何か言ったか? そこのガキ」
「ええ、申し上げましたとも。何も知らない魔王様」
魔王の鋭い視線さえも一笑し、少年は軽蔑の色を露わにして年上の、しかも現魔王という立場の男を楽しげに見下ろす。
「親切な僕が魔王様にでも分かるように説明してあげましょうか? いいですよね、斎様?」
「……」
少年の言うところの【斎】であり、魔王が探し求めた【彗】であるところの寝台の上の女性は、魔王を睨みつけながらやっとのこと不承不承頷く。
「というわけで、説明させていただきますが、聞き終わったらとっととお引き取りください。それが条件です」
物言いたげにもう一度寝台の上の女性に視線を走らせた魔王はほんの少し考える素振りをして、
「……いいだろう」と答えた。
同時に、美しくも険のある紫紺色の視線が疑わしげに男に注がれたのだが、しかし彼女が声を発することはなく、その代わりに少年がにやにやとほくそ笑みながらゆっくりと口を開いたのであった。
「発端は、オルナータという男を傀儡にザーク皇国が仕掛けてきた戦略だったことは知ってるよね。魔王を倒すことを条件に彗姫様を手に入れ、ひいてはこのリオネを左右しようと目論んでいたって話。あいつら、女王様に謁見する以前からその噂を吹聴していたものだから、国民たちは熱狂的に喜んだわけ。人の最大の敵である魔王を倒した勇者が自国の姫と結婚するんだってね。でも、困ったことに彗姫様にはディル様という将来を約束した方がある。つまり、彗姫様の意志は尊重したいけれど、民意は民意、疎かにできない。ってね。女王サンテノーラ様はとても心を痛め、打開策を求めてある国王に相談した。そこで、彼が登場するわけだ、マルーン国の蓮殿が」
と、少年が指さしたのは所在なげに佇んでいた長身の黒い男。
彼は突然名指しされると、あー、うー、などと唸りながら渋々といったかんじで少年のあとを引き受けゆっくりと一つ一つを思い出すように話し始めた。
「私は、マルーン国王からの命令で密かにオルナータという男を失踪させる役を担っておりました。けれど、どう説明したものか私にも分からないのですが、こちらのサンテノーラ様との謁見を終え、そちらの彗澪姫との面会を待っていた時から、突然ここに記憶が飛んでしまうのです。あなたが魔王様で、何度かお会いしたような気もするのですがどうもその詳細は霧がかかったようにぼんやりとしか思い出せないのです。他の皆様方についても記憶が欠落しているようで……」
お恥ずかしい話ですが。と、言ったきり蓮は口をつぐみ、曖昧で抜け落ちた個所の多い自分の記憶を補完してくれる誰かの声を待った。
そして。
「それは、……仕方ありませんわ、蓮様」
今度は金色の瞳の女性が魔王の前に進み出た。もちろん傍らには柔らかな笑みを湛える恋人を伴って。
「私が蓮様にある暗示をかけたのです。あなたが私付きのリオネの従者であると。次にそこにいる斎とは幼なじみであると。そして最後に斎が私のふりをして勇者様を闇に葬る計画を補助することが任務であると。もちろん、蓮様に斎の同行をお願いしたのは我が国のために快く協力してくださったマルーン国王様の絶対の信頼を得る方だったから、ですわ」
「しかし、本来ならば私が単独でオルナータを討つはずだった。それがなぜ?」
納得のいかない蓮が漏らせば、本物の彗澪の合図で今度は寝台の上の女性がようやくその口を開いた。
「申し訳ありません。それは私の我儘です」
ただ様子をうかがっていただけの魔王の瞳が困ったように俯く女性に注がれる。
「彗に代わってあの小悪党を討ちたいと私が願ったから。彗は半ば諦めてしまっていたのだけれど、私にはどうしても許せなかったの。どうしても彗には好きな人と結ばれて欲しかった。だけど、それには私の身の安全が保障されるよう腕が確かな方がどうしても必要だったの。それも、絶対の信頼が置ける方が」
「そう。それで私があなたに強い暗示をかけました。次にこの国の結界に触れるまで絶対に解けない暗示を。説明申し上げれば快く引き受けてくださったこととは存じますが、でも、これは私たちの母の出した条件であり、どうしても逆らうことのできなかったのです。本当に失礼なことをしてしまいました。心よりお詫び申し上げますわ」
「ご迷惑をかけてしまって本当にごめんなさい」
深く頭を垂れる女性たちに男は混乱した。
「とんでもありません! いえ、事情は分かりました。分かりましたから、どうかそれ以上はお許しください。私ごときが頂戴するお言葉ではございません」
身を寄せ合って謝罪の言葉を口にする二人の女性に対し、その対象である男は大いに慌てふためいて彼女らのその言葉を遮ると、顔を青くさせたり赤くさせたり、挙句には膝をついて頭を垂れてしまった。隣で眺めている魔王の目にも尋常ではない量の汗が吹き出しているのが見え、彼が本気で恐縮している様が分かった。
「ですが、いくつかよろしいでしょうか?」
問う男に、金色の瞳の女性が小さく頷く。
「そちらの斎様はどこまでご存じだったのでしょうか?」
ザーク皇国での主に振るわれた制裁をぼんやりと思いだした彼は、ただの好奇心から疑問を口にしてみたのだが。それは斎と呼ばれた紫紺色の瞳の女性の頬を見る見るうちに赤く染めあげた。
「……ッッ、あの……」
「実はこの斎にも暗示をかけておきましたの」
言いよどむ斎を遮って金色の瞳の彗が歯切れ良く答えれば、傍らの女性はばつの悪そうにますます顔を真っ赤にして身を縮ませた。
その初めて見る困ったように眉根を寄せる様がなんとも可愛らしく、魔王は己の置かれた立場やら一切のことを忘れてほんの少しだけ見惚れていた。が、そうしている間にも彗の説明は続く。
「斎が、妹が私の名を名乗るというので、私達は自分達の瞳を取り換えたのです。皆に、城に残っているのは間違いなく時期女王の斎明だと知らしめるために。もちろん、父や母は騙せるものではありませんが、その他の者には一切知れませんでしたわ」
瞳を交換する? そんなことが可能なのかと改めて目を剥く魔王にバティウスがにやりと笑う。しかし、気にかかったものの意味を問いただす機会は訪れることなく彼の注意は自然と言葉を紡ぐ斎に移った。
「その、瞳を交換した時に私も彗から暗示をもらったのよ。蓮様、あなたを彗の従者と、そして私の幼なじみだと思い行動するように」
「……行動が不自然にならぬよう従者という暗示は分かるのですが、どうして彗様の従者なのですか?」
「なんとなく、かしらね? だって、自分の幼なじみが姉の従者になるなってちょっと複雑じゃなくて? あなたには斎は斎、私は私と区別できるような暗示までかけていましたのよ? うふふふふ」
「……あの、もう一ついいでしょうか? どうして幼なじみという要素が加えられる必要があるのでしょうか?」
全くだと皆が説明を乞う中、斎が耳まで真っ赤になったところで、彗は破顔一笑、
「だって、斎が蓮様を好きになったらちょっと面白いかなって思ったんだもの。気心の知れた幼なじみってそういうふうに転がり易そうでしょ? それに、暗示の中で蓮様は私の従者なのよ? 恋にはそういった要素は必要じゃなくて? ああ、立場も何もかもを超えて結ばれる恋! 蓮様は見た目も素敵だし、マルーン国王様から伺った話では性格も真面目で浮ついたところもなく誠実そのものだというし、意志も剣の腕も強いとお聞きしまして、この方こそと思いましたのよ。女王の夫に相応しい方だと」
うふふふふと、華やいだ空気の中心にいる女性は満足そうにほほ笑んだものの、褒めちぎられた当の本人は絶句して言葉も出ず、斎もまた真っ赤になって俯き、床に正座する魔王はといえば、
「そんな軽いノリでいいのかッッ!!」と、心の中で発狂寸前の絶叫を放つ。
「ですから本音を言いますと、魔王様がここへ現れたときにはちょっぴり残念だったのです」
「……」
彗の付け足した率直な意見に軽く怒りを覚えた魔王であった。
いつもありがとうございます。
前半を中心に少しずつ書き直しをしようと思っています。せっかくここまでお付き合いいただいた皆様からの感想やご意見など、お力添えいただけるとありがたいです。