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第42話/朝這

 西の大陸の尻尾。

 北部にビスカリア国との境を有する他はぐるりと海に囲まれたカルミア半島にリオネ国はあった。

 細長い半島のほぼ中心に位置する首都シザンサス。

 彼の地こそ政治・経済ともにリオネ国の心臓部であり、女王サンテノーラのロフュージア宮殿を有する地でもある。

 建国より修復と改築を重ねて今を生きる美の宮殿。

 歴代の女王たちとともにリオネの歴史を刻んできたそれは、澄み渡った青空とこんもりと豊かに茂る森を背景に朝日を浴びて燦然とした白銀の輝きを放ち、国に住まう生きとし生けるものすべてを守るべく、王家の紋章にもある王冠と蛇の彫刻を頂いたもの言わぬ【女王】が今日も静かに下界を見降ろす。

 手入れの行き届いた広大な庭園、整然と立ち並ぶ白亜の彫刻。その中には体を横たえる女神プシュテの噴水もあり、すでに水が汲み上げられて小鳥たちが水浴びで戯れている。

 長い歴史の中、小国ながら大国の支配はおろか侵略さえも許さず、決して何ものにも屈しないリオネ。その象徴ともいうべきロフュージア宮殿の荘厳な佇まいに魔国の王たる魔王も思わず息を飲んだ。

 此処ここが【魔女】と噂される女王サンテノーラの宮殿であり、勝手に懐に飛び込んできて勝手に去って行った女性が住まう場所。

 しかし、感慨にひたる一方で魔王は焦っていた。

 後方からはいつバティウスがディルと蓮を連れて戻ってきてもおかしくはない状況に変わりなく、前方にはここにたどり着くまでに幾重にも張り巡らされていた結界を侵したことですでに【魔女】が待ち構えていることだろう。

 そう考えれば、美しい宮殿が彼を嘲笑っているかのようにも見える。

 やれるものならやってみなさい、と。

 悠然と肢体を伸ばすそれを睨み、

 「罠と分かっていても飛びこまねばならない時がある、か」

 自分に言い聞かせるよう呟いて魔王は宮殿の中へと侵入した。

 正面建物の三階、それが現在の魔王の位置であり、彼の方向感覚の全てである。

 どこに彗の部屋があるのかもさっぱり分からない。それでも途方にくれそうになる心を叱咤し、魔王は目の前に広がる廊下をひたすら前進した。

 一番最初に出会った人間に暗示をかけて聞き出せばいい。

 妖剣に魔力さえ吸い取られなければ探す相手の魔力を追うだけで済んだものをと、今更思ってみても仕方がなく、魔王は前方より歩いてきた侍女と思しき若い娘の前に立ちはだかった。

 「……ッッ……」

 悲鳴を上げる猶予すら与えずに彼はその女性を懐に抱いて手近な部屋へ滑り込む。

 そこは一片の陽光も差し込んでいないひっそりとした闇の部屋。

 おあつらえ向きとばかりに魔王は瞳に魔力を集中させると、彼女の意識を乗っ取りにかかる。しかしどういう身分のものかは定かではないが、女性は魔王の暗示に一瞬逆らうだけの力を有していた。彼は予想外のことに舌打ちをすると、出し惜しみをしていた魔力をほんの少し強めなければならなかった。

 さすがはリオネの民といったところか。

 長い時を経てリオネでは王族だけが強い魔力を有するようになったとはいえ、その他の人間も多少なりとも祖先から引き継いだ本来の魔力を有している実情を知り、魔王はくつりと笑みをこぼした。

 「彗澪スイレイ姫の居場所を知りたい」

 低く響く声に反応して精神を乗っ取られた侍女の体がぴくりと跳ねる。

 何も見ていない瞳が一度瞬きをすると、ふっくらとした唇が彼の望む答えを吐きだした。

 今日は石竹せきちく色の間でおやすみです、と。

 「それはどこにある?」

 「……」

 最後の一息で囁くと彼女はうっとりと深い眠りに落ちていった。

 「……わかった」

 返す相手もいない言葉を吐き捨て、魔王は女性の体を丁寧に横たえて部屋を後にした。

 長い廊下をさらに奥へと突き進んでいく。

 突き当りの手前、右の部屋。

 こちらに向って歩いてくる侍女たちの脇を一陣の風となってすり抜け、警護兵らしき宮廷用に武装した屈強な男たちの頭上をひらりと舞う魔王。

 ついに廊下の行き止まりがすぐそこに迫り、漆黒の衣装を纏った男たちがふたり右手に見えたときには彼の心臓は大きく高鳴り、危うく声を漏らしそうになるのを必死にこらえねばならなかった。

 主を守るべく厳しい表情で立っている男たちの頬を目に見えぬ魔王が一撫ですると、彼らはほんの少しだけ顔をしかめた。よもや主を攫いに来た敵の侵入を呆気なく許してしまったことなど疑いもしない。

 どうにか、だな。

 全体が薄い桃色で塗り込められた部屋の内部を改めて見回すと、魔王は天蓋の付いた小さな寝台を見つけた。

 するとそこには魔王を誘うように白い形のいい手が天蓋の隙間からのぞいている。

 誘惑に抗えきれない彼は滑らかなその手を恭しく取り、そっと唇を寄せると、

 「彗」と、切なげに抑えきれない熱を込めた言葉を吐きだした。

 くすんだ淡い桃色の生地の向こうで相手が確かに反応したのを感じ取り、魔王の心臓がにわかに騒ぎ出す。

 「彗」

 顔を見せて欲しいと含めて彼がその名を呼べば、彼女は明らかに狼狽した様子で取られていた自分の手を素早く引いた。

 「なぜ、ここに?」

 薄い幕から聞こえる声が震えている。

 愛おしい。

 その感情に支配された魔王は、どんな攻撃にも甘んじる覚悟で唯一彼女を守るそれを強引に破った。

 寝乱れた銀の長い髪と上質な寝間着に包まれたその顔は見紛うことなきリオネ第一王女と名乗った彗その人であり、懐かしい金色の瞳に溺れ魔王は呼吸を忘れた。

 「……彗」

 「魔王、様?」

 長い長い沈黙の末にこぼし、こぼれた言葉はすぐさま互いの体に沁み入って消えてしまった。

 彗はふと我にかえって自分の姿に赤面すると上掛けをかき集めるためにその手を伸ばし、魔王は目の前に確かに存在する彼女の全てを包み込むためにその手を伸ばした。

 「……ッッ……」

 彼女は己に向かって伸びるそれを拒否するように身をよじったのだが、その手を逃れるすべはなくすっぽりとその胸に抱かれた。あの、ちょっとと、意味を成さない言葉を連呼してはじたばたともがき抗議するのだが男はむっつりと押し黙っている。

 「待って……」

 「……待たない。待ったらあんたはディルとかいう男と婚約するんだろう」

 「それはそうだけれど、違うのよ。私は……」

 「もういい」

 何かを説明しようとする彗を制し、魔王は彼女の肩を包んでその瞳を覗きこんだ。

 深い闇色の瞳が金色に輝く瞳を捕らえる。

 「もういいんだ。あんたには好きな男がいる。残念だがそれは俺じゃないことは分かった。でも、俺はあんたを諦めない。追えば逃げられるのも分かってる。それでも俺はあんたを諦めない。あの男と婚約するというのなら俺はあんたを攫うことにする。だから……」

 「ずいぶんと勝手ね」

 細い指で魔王の唇を止め、彼女はゆったりと頬を緩ませた。

 「でも、そのくらい勝手じゃないと恋なんて実らないのかもしれませんね。魔王様、あなたのお気持は分かりました。ですが、その先はどうかあなたが本当に想っているあの子に言ってやってください。きっと喜ぶでしょうから」

 神々しく、まるで女神プシュテのような慈愛に満ちた笑顔を向けられて、はじめて魔王は気付いた。

 目の前の【彗】から発せられる魔力の波動。それは、魔王がよく知っている【彗】のそれとよく似通っているがほんの少し、微妙に異なっていたのだ。

 そして、彼女の口から告げられた言葉の意味。

 「ま、さ……か……」

 さーっと血の気が引いて行く魔王を楽しげに見つめる彼女。

 そして、突然部屋の扉が上から下へと間違った方向に開かれた。

 壁と扉の間から蝶つがいがもげてふたりの寝台の上まで飛んでくると、盛大な音を立てて崩れ落ちるごみを踏んで、蹴り倒した本人がぬうっと現れた。

 「こん……ッッの……」

 ぱきり、ぱきりと指を鳴らすその仕草は魔王にとって嫌というほど見覚えのあるもので、殺気の漲る魔力の波動も、銀色の短い髪にも確かに覚えがあった。さらに彼女の後ろに控える少年と二人の男たちの顔にも。

 彼らが一様に浮かべる、「やっちゃいましたね、ご愁傷様」という空気を見てとり、魔王はいよいよ確信し戦慄した。

 「す、……彗?」

 最期の許しを乞うべく彼が寝台を下りた直後、紫紺色の瞳の女性は引きつりながらも笑顔を作って歩み出た。

 「殺す」

 瞳孔全開。

 問答無用。

 一撃必殺。

 「ひぃぃぃぃぃッッ! ちょっと、待て、は、話せ……ふぐおほげらッッ!!」

 おおーという歓声の中、大馬鹿としか言いようのない男はドラゴンではなく愛しいその人の鮮やかな一撃で屍と化したのだった。

やはりうちの魔王はこうでなくっちゃ。笑

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