第40話/集結
「申し訳ありませんでした」
膝をきっちりそろえ潔い土下座を披露した男のつむじを眺めながら、魔王はぐったりと瓦礫に体を埋めた。
双方ともに顔色は最悪。
土下座し倒す男は真っ青になってバカの一つ覚えのごとく何度も何度も同じ言葉を繰り返し、一見優位な立場にあるはずの魔王はと言えば、妖剣に魔力を吸われ過ぎて顔面蒼白の上、指の先すら動かすこともままならない悲惨な状態であった。
つい先ほど、侵入者である彗の従者が悠々と撃魔の剣を腰に戻すのを見届けた後、負けじと最後の力を振り絞って妖剣をもとの空間に戻したまでは良かったのだが、とうとうそこで魔力の限界がきた。へたり込むのをどうにか誤魔化して胡坐をかき、しかし背を正していられたのはほんの一時だけで、魔王は相手が額を床にこすりつけたところを見計らってそっと積み上がった瓦礫に体重を預けたのだった。
情けない。
一瞬でも気を抜けば勝手に降りてきてしまう瞼に苛立ちながら、魔王は小さく呻いた。
「おい、もう謝罪はいい。今回の件は水に流してやる」
少しの間を置いて顔を上げた彗の従者は相変わらず苦虫を噛み潰したような渋い表情ではあったが、どことなく安堵した様子で肩の力をほんの少し抜いた。
「一緒にザーク皇国で戦った好だ、今回の件でリオネへの報復はしない。もちろん例の同盟にもなんら影響はない。それでいいだろう?」
「それは、その……、ありがとうございます」
「ただ……」
ただ?
端正な顔を歪ませ、従者は無意識に身構える。
この状況ではどんな無理な条件を出されたとしても飲まざるを得ない。
もしもと、彼の頭を様々な想像がめぐる。
交換条件で主に関することを持ち出されたら?
もしくは、外交的な交渉を持ちかけられたら?
自分の手に余る最悪な懸案事項を想定した彼のこめかみには嫌な汗が浮かんだ。
が、
「ただ、……全部吐け」
「……は?」
間抜けにもきき返す蓮に、相変わらず瓦礫にもたれたまま気だるげな視線を投げて魔王は言う。
「水に流してやる代りにあんたの知っていること全部吐いてもらう。それくらいの仕事はして行け」
威厳に満ちた言葉で男を制し、魔王は瞳を閉じた。
「そんなことでいいのですか? もっとこう、弱みに付け込んで無理難題を押し付けたりなんてことは……」
「無理難題を押し付けて欲しいのか、あんたは」
うっすら瞳を開け億劫そうに言う魔王に、いえと小さく呟いて縮こまる蓮。
「いいから彗がこの城へ来ることになった経緯あたりから知っていることを全部吐け」
もうこれ以上言うべきことはない、といった体で魔王は今度こそしっかりと瞳を閉じて俯く。
そして、取り残された蓮は膝に握り拳を作って事の発端からを話し始めたのだった。
魔王城の結界が再び揺れる。
ツィンクの手当てをしていたレジィの手もぱたりと止まった。
「ルゴ様、また誰か来たみたいだね」
回復の魔法を施していた彼女の手から淡い光が逃げて行く。
その光が空気に溶けていく様を見るともなしに目で追い、ルゴは新たな侵入者の気配を追った。
「そのようですね。全く、魔王様の魔力が弱まっている所にこう次々と来客があるというのも困りものですね。ああ、私が行ってまいりますので、レジィ様はそのままで」
「でも……」
躊躇う少女の肩に手を置いてルゴがやんわりとほほ笑む。
それよりも婚約者の傍に付いていたいでしょう?と、赤い瞳に優しげに問われ、レジィは頬をポッと紅潮させた。
「いいんですよ。たぶん、害はありませんから。……お分かりになりますか?」
促されるまま、レジィは精神を集中させて城の中の異物を探し始めた。
瞼に浮かんでくる小さな光り。
その光の中には少年と、少年が大事そうに抱える女の子が見える。
同じ黒い髪と青い瞳。それに、少年と女の子はどこか目鼻立ちが似ている。
ぼろぼろになった城の廊下を抜け、うずくまっている傷ついた兵士たちに回復の魔法を与えながら少年は真っ直ぐに風のように駆け抜けて行く。
きりりと引き締まった表情の少年が向かう先には主塔が見える。
その主塔には住むところを奪われた人たちが滞在している。
少年に何事かを囁かれた女の子が嬉しそうに顔をほころばせるのをはっきりと見て、レジィはゆっくりと瞳を開いた。
「ああ、トレニアの……。私じゃあ兄様の代わりは務められそうにないな。お願いしてもいいですか?」
「もちろんです。では、ちょっと失礼して行ってまいります。こちらのことも魔王様のこともご心配は無用ですので」
ごゆっくりと、魔王代理に向かって恭しく頭を垂れるとルゴはにこりと笑って音もなく消えた。
「心配無用、か」
残されたレジィはドレスの裾を気にしながら寝台の隙間に座りなおす。そして、寝台の大部分を占めているぶすぶすに黒コゲた婚約者に向かってうふふと笑う。
開け放たれた窓から新鮮な、けれどひんやりと冷たい風が吹いた。
「ねぇ、ツィンク。兄様もしあわせになるといいな」
「そうですねぇ。魔王様にはしあわせになっていただかないと、こちらの邪魔をされかねませんからねぇ……ぐふッ」
くすりと笑うツィンクの顔面にレジィの小さな拳が容赦なくめり込む。
「痛いですよぅ? レジィ。今はけが人なんですから」
煤けた顔で哀れっぽく懇願されて彼女はため息とともにむぅと唸る。
「だいたい、なんでわざとこんな真っ黒にされてるの? 兄様の手を煩わせるなんて許せない」
「えー? たまにはレジィにやさしーくされたかったからですよぅ?」
「……」
にへーと顔を緩ませる男の頬を今度はおもいっきり抓りあげ、レジィは極上の笑顔で囁いた。
「この次こんなことしたら、きれいさっぱり跡形もなくこの世界から消し去ってあげるからよく覚えておいてね」
もちろん、その黒い大きな瞳は笑っていなかった。
少年は自分のせいで村が襲われたと思っていた。そのせいで皆が傷つき、住む場所を失ったと。
当然、自分は忌み嫌われるものと覚悟していた。
少年は、バティウスは、妹を両親に送り届けたらそっと消えるつもりだった。
元凶である自分がどんな顔をして皆のところに帰れるだろう、と。
小さな胸を不安でいっぱいにしたバティウスは、しかし、思いがけず母の力一杯の抱擁を受け止めていた。
「おかえり、バティウス」
何が起きているのか考えをまとめようとするのにうまくいかず、不意に大きな手でおもいっきり髪を乱され強制的に思考は中断された。
「よくやったぞバティウス。ネリネを取り戻して無事に帰ってくるなんざ、やっぱり俺の息子だな!」
にいっと口髭を上げて笑う父親。
その首にはしっかりと妹のネリネがかじり付いている。
「あのね、あのね、お兄ちゃんと一緒にすっごいお城に行って来たの! お姉ちゃんがお姫様で、お姉ちゃんのお姉ちゃんもお姫様なの! いつかあたしもお姫様になれるかなぁ」
「なれるぞー」
はっはっはー。
豪快な笑い声とともに彼の父親は隣人たちにもみくちゃにされにされる。知っている人も知らない人も、誰もかれもが子供たちが戻ってきたことを喜び合っている。
「よく帰ってきたな坊主!」「ネリネちゃんも無事で本当によかったよ」「なぁ、なにがあったんだよ? 今度全部教えてくれよな!」「無事でよかったな、大変だったろう?」
近所に住んでいたおじさんもおばさんも、友達も、誰もバティウスを責めたりはしない。
どんなに罵られても仕方がないと覚悟していたのに、蓋を開けてみれば一様に彼と彼の妹の生還を心から喜んで迎え入れてくれる。
「よく帰ってきてくれたね」
その一言で少年の瞳にうっすらと熱いものがこみ上げてきたのだが、彼は誰にも悟られないように袖口でそれを拭ってしまった。
「バティウス?」
にっこりとほほ笑む母親に肩を叩かれて皆が道を譲る中をゆっくりと進んでくる人物気がつくと、少年は彼に向かって真っ直ぐな視線を注いだ。
「ただいま帰りました」
「おかえり。本当によく戻ってきてくれたね」
慈愛に満ちた眼差しで笑いかけられ、バティウスは威厳たっぷりの男の腕で二度目の抱擁を受けた。
しかしその温かな腕の中で、少年はこれで終わりなんかじゃない。と、密かに唇を結ぶ。
隠れるように住んでいた小さな世界から不本意ながらも飛び出した彼は広い世界を知ってしまった。
その世界で彼は自分の生き方を見つけた。
だから、これは終わりではなくほんの始まりなのだと。
「私の力が及ばなかったばかりにおまえには辛い思いをさせてしまったね。長としての務めを果たせなかったことがこんなに恥ずかしく悔しいものとは知らなかった。本当に申し訳ないことをした。本当にすまなかった。……バティウス?」
青く静かに澄んだ瞳が一瞬なんとも言えないほど鋭い光を帯びる。バティウスは自分の心の最深部を探られたような気がしてさっと身を引いた。
反対されるだろうか?
少年のそんな戸惑いさえ長には手に取るように分かるのだろう。
達観の笑顔でバティウスの手を握ると、彼はその大きな手からひと粒のつるりとしたものを滑り込ませた。
これは?
声に出さずに瞳で問うバティウス。しかし、それには答えず意味ありげに片目をつぶって見せると、彼は「ここを巣立つことに罪悪感を感じることはないよ」と囁き、片手を高く揚げ朗々と歌い上げるようにこう宣言をした。
「今宵、我らの子バティウス・フィードは自らの選んだ道を歩み出す。我々の力が及ばなかった相手から見事に幼い妹を取り戻して帰還した小さな勇者ならば、どんな困難をも乗り越えられるだろう。この若者の前途を祝して皆で盛大に送りだしてやろうではないか」
沸き起こる歓声にまぎれ、少年の耳に「それは私からの餞だよ」という声が届いた。
やっと小生意気なガキが書けます〜。うへへ。