第4話/餌付
魔王城で出される食事は城の警備兵たちが当番制で作っている。
元々は炊事場専用の使用人がいたのだが、最初に雇った女性たちは魔王やその側近たちを見る度黄色い声を出して騒いだせいで魔王の不興をかい、即日解雇。次に雇い入れた男たちは毎日毎日華美で贅を極めたものを出し続け、「このような贅沢な食事は必要ない」という魔王の一言でお払い箱となった。そうして、改めて雇うのも面倒になった彼は、城にいる人材だけでどうにかしろと言ったきり、食事に対しては沈黙することになった。
という成行きのため、男所帯の魔王城の食事は質素で見てくれも悪く、ものすごく不味かった。しかし、腹に入れば何でもいいと公言する魔王のせいで魔王城の食事は一向に改善される見込みがなかったのだ。
だがしかし、その朝、食卓に並べられたものに一同は我が目を疑った。
まず最初に目を引いたのは、黄金に輝くどっしりとしたオムレツ。キュイという鳥の卵で作られたそれの中からはトロリとチーズがあふれ出し、口に入れてみると幸せの味がした。添えられた野菜もちゃんと一口で食べられる大きさに切りそろえられていて、かかっていた調味料もほどよい酸味があって食が進んだ。
そして、なにより魔王とルゴとフロウを感動させたのは、やわらかなパンであった。昨日までのカチカチのパンとはまるでちがう食感に、自然と三人の手は何度も伸びた。
「うまい!!」
「ええ、本当に。彗様はお料理がお上手なのですね。いかがですか魔王様?」
ルゴが聞くまでもなく、いつもは一口ふた口で済ませてしまう魔王が今朝に限っては出されたものをぺろりと平らげていた。満足そうに食後の紅茶をすする彼を眺め、ルゴはくすりと笑った。
「さて、これで我々はあの方にすっかり餌付けされてしまったようですね」
「確かに、昼食に石みたいなパンが出てくるのかと思うと泣きたくなるな」
「そういうことです。たぶん、兵士たちも同じことを思っているでしょうね。と、いうわけですから、魔王様、彗様に逆らってはいけませんよ?」
「なぜだ?」
香りを楽しんでいた魔王が怪訝そうにルゴを見つめる。
「すぐにわかりますよ。わかった時にはくれぐれも逆らってはいけないということです」
そんな風に悠長にしていられるのは今だけですよ。たぶん、誰も助けてあげられませんからね?
心の中でのみ魔王に忠告し、ルゴはあっという間に魔王城での確固たる立場を確立させてしまった彼女を思うと、くつくつと可笑しそうに身を捩った。
「いやはや、これはとんでもないお姫様もいたものですね」
三人の空になったカップを下げるために現れた彗。彼女はシャツとズボンという姫君にあるまじき姿をさらしていた。もちろん、作業用の前掛けだって兵士たちの使っているそれと同じもので、フリルやレースにまみれているわけではないのだが、それでも、彗の美しさを引き立てるのに十分だった。
「兵士たちの分も用意してくださったんですか?」
ルゴのまっ赤な瞳が鋭く光る。フロウのみがそれに気づき、おやと首をかしげて相手方の女性に目をやると、彼女はそれをさらりと受け流して、やんわりとほほ笑んだ。
「ええ。もちろん」
何事でもないように答えながら、彗はテーブルの上のカップを下げる作業を続けた。
「それはありがとうございます。もし、大変でなければこの先もお願いできるのでしょうか?」
ふっと息をついて尋ねたルゴを今度は彗が真意を測るように、そのまっ赤な目を見据えた。そして、一度目を伏せてから、
「私はやり方を少し教えて差し上げるだけです。それでよろしければ喜んでお手伝いさせていただきますが」
控え目に言い今度は魔王に視線を合わせた。
すると、魔王もなんの抵抗も打算もなく頷いて、
「頼む」
と答えた。
これで決まったな。
ルゴはぷっと吹き出して笑った。
「彗様、どうぞよろしくお願いしますね?」
「はい。もちろん」
二人の間に流れる不穏な空気。それを読んでフロウはぶるりと身をすくませたのだったが、当の魔王は長い髪をなびかせて足早に部屋を後にしようとしていた。
その広い背中にふと彗が声をかける。
「どちらにいらっしゃるのです?」
「ああ、本国から届いている書状に目を通すつもりだが?」
「嘘はいけませんよ?魔王様」
すかさずツッコミを入れたのはルゴ。
「そういった面倒な仕事はすべて私に任せっきりではありませんか?それを今更ですか?正直に書物庫に入り浸って本の虫をするとおっしゃったらいかがです?」
「なん、だと?」
体ごと振り返った魔王の服をがっちりと掴む手があった。
「あら?ではお暇なのですね?では、ちょっと付き合って頂けますか?魔王様?」
見下ろせば、目の笑っていない彗。その後ろにはにぱーと笑うルゴと苦笑いのフロウ。
「まずは走り込みからやってみましょうか?魔王様」
胃袋を制する者が最強なのです、きっと。