第39話/妖剣
美しく、妖しく光る刀身を向けられ、魔王とルゴは脱力せざるを得なかった。
どんな魔力をも撥ね退ける、【撃魔の剣アジュガレプタンス】
城に侵入した男がこうも易々と魔王城に踏み込んできた理由がこれで明白となり、魔王たちの足元に横たわる黒い物体が息も絶え絶えに男の持つ剣を指差し、何事か声を発しようとして力尽きた様は全くの無駄であった。
いやはや、困りましたねぇ。
小声で囁くルゴに対し、魔王は沸き起こる怒りのままに、
あんのクソオヤジがああああああああああ……と、腹の底から怨嗟の声を絞り出した。
まぁまぁまぁ、先代様も故意に失くされたわけではありませんし、むしろ見つかってよかったじゃないですか。
酔っ払って賭けごとで大損した挙句、借金のカタに【撃魔の剣】を手放した奴に故意もクソもあるか!! しかも、よりにもよって【撃魔の剣】の方だぞ!?
ああー、まあー、【妖剣】の方は普通の生き物では触れることもできませんし、仕方がなかったのでは……。うん、たぶん仕方なかったんですよ?
仕方ないで済むのかッッ!? しかも、お前……!
あは、お分かりになります? もちろんお察しの通りですので、どうぞよろしくお願いいたします。
にぱぁっと笑う宰相は、魔王と自身の身を守るために咄嗟に作りだした魔法陣の楯を解き、悠然とした態度で膝を折ると、消し炭同然の黒コゲの物体の口元に耳を寄せた。
「……まだ息はありますね。というわけで、私は下がらせていただきます。では、あとはよろしくお願いいたしますね? 魔王様」
「ちょ……っと、ま……」
魔王が止める間もなく、もとはツィンク将軍であった黒いものを肩に担ぎ宰相ルゴは音もなく消え去った。
そして、残されたのは魔王と侵入者。
魔王の作り上げた結界もろとも、修復されたばかりの扉がただの破片となって床に散乱している部屋で、男は正面に剣を構えたまま、微動だにすることなく敵の動向を観察していた。
刀身から放たれる明るい緑色の光が、男の漆黒の瞳を照らし、端正な顔立ちをも浮かび上がらせている。
「……ったく、面倒なことは全部俺かよ……。それで? なぜお姫様を連れて国へ帰ったはずのあんたがこんなところにいるんだ? 俺に用があるとは思えないんだがな」
「何を仰っているのか分かりかねますが、とりあえず、彗姫様を返していただきましょうか? ずいぶんと長い相談をされていたようですし、こちらの要件はのんでいただけるのですよね?」
細められた男の目がますます冴え、彼の言葉が冗談でないことを物語る。
【撃魔の剣】を見せつけ、男は少しずつ魔王との間を詰めて行く。
「彗姫様をお返しください」
「なにを言ってるんだ? あんた」
言いながら、魔王は手元の空間を歪め、波打つ闇の中に何の躊躇いもなく己の手をつっこむとずるりと一振りの大剣を引き出した。
湾曲した両刃に漲るのは黒々とした炎。だらりと下げられた切っ先は床を掠め、掠れられた床にはぽたりと「無」が垂れた。
じわじわと床に広がって行く「無」の沼に視線を投げ、侵入者は剣を握り直して腰を落とした。
「……それがアジュガレプタンスと対をなす【妖剣ニゲラ】ですか……」
「そうだ。こいつも、あんたのもつアジュガレプタンスも、もとは俺の先祖が主から賜ったもの。それがどういうわけか一振りは今はあんたの手にある。となれば、こちらはこいつを抜くしかあるまい」
魔王自身でさえ実際に【妖剣】を抜くのはこれが初めて。しかも、柄を握っただけで膨大な魔力が吸い取られていく感覚にひどい目まいを感じた。
それに対し、
「なるほど、そちらは持主の魔力を喰らうようですね」と、敵対する男は事も無げに一言で片付けた。
「……蓮と言ったな。あんたにもう一度だけ言う。あの女はここにはいない。俺があの女の攫う理由などどこにもない。それが真実だ。今すぐ剣を引いて立ち去れ。さもなくば……」
体の横に下げていた剣を引き寄せ、魔王はゆっくりともう一方の手を柄に添え、
「斬る」と、呟いた。
剣を伝って腕に、肩に黒く冷たい炎を纏った魔王が冷酷な瞳で男を見据える。
「そうですか、ではこちらも腕ずくで行かせていただきます」
伊達にあの凶暴で常識のない姫の従者をやっているわけではないらしい。
【撃魔の剣】を扱い、【妖剣】を用いた【魔王】と対峙しているというこの状況下で、冷静に落ち着き払っている男の様子に妙な可笑しさが込み上げ、魔王はくつりと笑みをこぼして敵に躍りかかった。
一撃目は軽く流され、体勢を立て直す前に相手からの一撃を正面で受け止めた。
力と力がぶつかり合い、黒い炎が淡い光を飲みこもうとするが、しかし、緑色の光は持主の気迫に呼応するように禍々しい炎を押し戻し、さらに輝く。
ぎりりと魔王の奥歯が鳴り、渾身の力で押し戻そうと踏ん張るが相手の剣圧が勝った。魔王は【妖剣】もろとも一瞬にしてなぎ倒される。
「くそッ!」
距離を取るべく後方へ飛び退く。そして同時に氷の矢を放つ。
しかし、【撃魔の剣】はいとも簡単にその研ぎ澄まされた刃を切り落とし、次に放たれた炎の攻撃すらも切り裂いた。
やはり無駄か。
口の中で呟き、魔王は隙を突いて相手の懐に飛び込んだ。
激しく刃がぶつかり合う瞬間の音に耳が痛む。聖なるものと邪なるものの間に飛び散る火は鮮やかで、その度に表情を崩さない敵の顔が浮かぶ。
男は、彗の従者は眉一つ動かさずに黙々と打ち込む。左右から、または上中下段と様々な構えから微妙な角度を付けて。何度も何度も魔王が不得手としているところを的確に突く。
このままでは不利だ。
相手の実力を五分程度に考えていた魔王はここへきてようやく自分が劣勢に立たされていることを知る。
未だ息も乱さずに踏み込んでくる相手に対し、魔王はすでに腕と足、それに腰が思うようではなかった。
加えて【妖剣】に魔力を吸い取られるせいか、視界も危うくなってきている。
刀身から黒い炎がこぼれ落ち、足元には無数の小さな「無」の欠片。微かに動くそれらを目の端で捕らえ、ふと記憶の糸を手繰った瞬間に、ずしんと、地面に打ち込まれるような一撃をくらい、魔王の両腕は悲鳴を上げた。
「つうッ……!」
辛うじて受け止めた魔王に男が囁く。
「申し訳ありませんが、これで終わりです」と。
魔王の体を高々と跳ね飛ばし、男は剣を腰に構えて踏み込んだ。
恐ろしく光る剣先はひたりと魔王の心臓を定める。
この瞬間に雌雄が決せられたかに見えた。
しかし、
「くッ!?」
男の体は突如完全に沈黙した。
それを見届け、よろめき崩れ落ちる魔王。
あと少し、ほんの少しで魔族の王の命を手に入れることができるというのに、蓮の体は指の先ですら動かすことが許されない。
じわりじわりと、足もとから何かが這い上がって絡め取られる感触。
それこそ、「無」。魔王の持つ【妖剣】の黒い炎の一部分。
打ち合いの間に飛び散ったそれらが意志を持ち一所へ集結すると、何人もちぎれぬ鎖となって蓮の体を縛る。
「悪いな、こういう使い方もあるんだよ」
「……ッッ!」
元から黒く武装した蓮が唯一見せる左の頬にひやりと冷たい炎が揺れ、彼の意志ではどうすることもできないその指から【撃魔の剣】が落ち、床に転がった。
腕力と男前さは魔王の負けとも……ごふッ