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第38話/宰相

 空っぽになった杯を満たそうと手元にある瓶を傾ける。が、それもすでに空になっていた。

 つい先ほど封を切ったつもりでいただけに、もう次のものを用意しなければならない煩わしさで苛立ち、彼は鬱陶しげに用済みのそれを床に放りだした。毛足の長い絨毯が衝撃を吸収して、ぽてりと落ち、飛び散ることなく口から金色の液体をこぼす。

 高価な織物に高価な酒が少量浸みこんいく様をぼんやりと眺め、魔王は静かに目を伏せた。

 「よく御承知なさいましたね」

 いつものように合図も音もなくするりと主の私室に入りこんだ影が囁く。

 何か用か、言いかけた魔王だったが、ルゴのまっ赤な瞳を一瞥すると、急に何もかもが億劫になって机の上に肘をつき、物憂げに長い長い溜息を吐いた。

 「飲み過ぎは御身体に障ります。しかし、祝い酒なのか自棄酒なのか判断が難しいですね」

 その辺に転がっている空の瓶を見回してにこりと微笑む宰相。

 「それにしても、よくレジィ様とツィンクの婚約をお許しになりましたね?もっと荒れるかと思いましたが」

 「本人がああやって喜んでいるものを、どうして俺が水をさせる?嫌がっているのならともかく、あんなに嬉しそうにはしゃいでいるのに」

 「そうですか。それはよかったです。それで?ツィンクのこともこのまますんなりとお許しになるのですね?」

 ルゴの言葉に、魔王は空の杯を手の中で転がしながら目を細める。

 「いや、アイツはいつか絞め殺す」

 「レジィ様を泣かせたいのですか?」

 間髪入れずに却下を申し渡された魔王はギロリと相手を睨んだ。

 「レジィ様のしあわせを願うのであれば、そのような物騒な考えはおやめ下さい。当たり前です」

 「ちッ。ならば、どうしてくれようか?」

 「他人のしあわせを妬むものではありませんよ?いくらご自分が恋を失ったからといって。ああ、失ったというのはおかしいですね。最初から彗様の心にはあの男が住みついていたのですから。考えてみれば、魔王様のひとり舞台であったわけですね。お可哀想に」

 しんみりとした内容の割に、ルゴの声はどことなく面白がっている節があり、当然、いつもであれば魔王の鉄拳が飛んだのであろう。が、覚悟していた宰相を裏切り、魔王は相当重苦しいため息だけを吐きだした。

 「他人事でいいよなぁ、お前は」

 もうこれ以上は話し合う余地はなしとばかりに俯く魔王。

 さすがにこれはまずいと察したルゴは、こほんと咳払いをしたのちに怒涛の反論を開始した。

 「いいえ、他人事ではございません、魔王様。ぜひとも彗様をあなた様の魅力で連れ帰ってもらわねば困るのです。いいですか?よくお考えになってみてください。あの彗様ほどあなた様の妻に相応しい方はいらっしゃいません。引きこもりで無気力であったあなた様を見事城から引きずり出し、果ては戦場にまで駆り出したのです。私共が再三あなた様にやる気を出してもらおうとして失敗していたことをあの方はこの短期間で成し遂げました。それはすなわち、あなた様が彗様に好意を持っていたからに他なりません。いいえ、否定は認められません!そもそも、あなた様が女性とこれほど長い時間を共に過ごされたことはありましたか?ご幼少のころの失恋の痛手など関係ありません。あなた様が気に入る女性が現れなかったからです。それが、彗様はどうですか?あれだけ無茶難題を押し付けられ、有無を言わさず張り倒されてなお、あなた様は本気で彗様をねじ伏せようとはしなかった。それはなぜか?私の口から申し上げるのもはばかられますが、あえて言いましょう!」

 と、ここで一度熱弁を切り、ルゴはびしぃっと魔王を指差した。

 そして、

 「あなた様は彗様をあ……ふぐおおおぅッ!」

 だが、彼の演説は不意に途切れた。

 それは、魔王の本気の頭突きによって。

 「にゃにをにゃさるんですかッッ……」

 額を抑えて床に沈没する宰相を魔王は肩で息をしながら見降ろしている。

 酒のせいか、その頬は異常なまでに朱を帯び、体中から熱を発していた。

 「そんなことは、ない。そんなこと、あってたまるか。あいつには、あいつのしあわせがあるんだ。俺には関係ない」

 「そうやって、ご自分の気持ちを押し殺すのですか?相手に告げもせず?失礼ながら、それは、お逃げになってるのではありませんか?魔王様」

 「黙れッッ!!」

 怒声で美しい細工の施された杯が飛び散った。

 「彗はあの男と将来を約束していたんだ。それはもう疑う余地はない。お前だって知っているだろう?あの証を見ていたんだろう?それなのに、俺が出て行ってどうなる?女を困らせて何になるというんだ?あいつは自分の意志で俺の前から去ったんだ。それだけで十分だ」

 椅子に崩れる魔王。彼が両手で顔を覆い、肩を震わせる様は大変痛ましく、一刻も早くひとりきりになりたいと全身で叫んでいた。

 その様子をうかがい、床に座り込んでいたルゴは衣服の埃を払ってゆっくりと立ち上がった。

 「本当に、お優しいのですね。あなた様は」

 ふっと息を吐き、労わる眼差しで魔王を見つめたのち、ルゴは静かに部屋を後にする、と、思いきや。

 「しかし、私たちはそれでは納得がいきません!!」

 と、拳を握りしめて高らかに叫んだ。

 「私たちはあなた様のしあわせを望んでいるのです。他の誰が傷つこうとも、です。彗様と一緒に居られるあなた様はとても楽しそうでした。だから、何度も言ったのです、早く自分のものにしてしまいなさいと。魔王様、これはもうあなた様だけの問題ではございません。魔国全体の一大事なのです。そうです、魔王様の沽券に関わることは魔国にとってもそれと同じ。どこの馬の骨とも分からない男に負けてもらっては困るのです!約束?そんなものは破るためにあるのです!そして、恋は正面からなら正々堂々奪うものです!魔王様、魔王様はあんな軟弱な他力本願男に負けるおつもりですか!見た限り、とても彗様に釣り合う男とは到底思えません。一緒になっても絶対に彗様は飽きます!断言します!絶対です!!ならば、あの方が不幸に身をやつす前に、魔王様がしあわせになさるべきです!!魔王様、魔王様は腐ってもカビても魔王様なのです!!魔王なら、魔王らしく、どーんと砕け散ってくる心意気で乗り込んできてください!!それで彗様に振られたのなら、我々も諦めがつきます!!」

 「……おい」

 途中までは滅茶苦茶ながらもこの宰相の思いに心を熱くして聞き入っていた魔王であったが、最後の結びのところで自分が振られる前提の発言に、否応なく頬をひきつらせた。

 「いいじゃないですか、振られるならどーんと振られてきてください。そのほうがすっきりしますよ?」

 「それは、お前たちの話じゃないだろうな?」

 「何をおっしゃいますのやら。もちろん、当たり前です」

 ルゴの真顔に殺意を覚えそうにもなったが、結局、魔王は立ち上がってルゴの方にぽんと手を触れた。そこには、口には出さないものの、確かな謝意が込められていた。聡い宰相のこと、全ては自分が思いを届けに行くように仕向けるための茶番であろうことは容易に知れた。その思いを踏みにじるのもはばかられ、魔王は今度こそ決意する。

 「明日、あの男をリオネに送る役は俺がしよう」と。

 「はい。そう言って頂けると信じておりました。ですが、」

 ルゴは己の右肩に置かれている魔王の手を取って、にっこりと笑った。

 「申し訳ないのですが、侵入者の始末をお願いしてもよろしいでしょうか?あ、いえ、あの勇者殿ではなくてですね、新手が暴れ回っているのです。そうそう、そのお話で伺ったのですが、ついうっかり忘れていました。魔王様は酔っていらっしゃったのでお気づきになりませんでしたか?そうですか、このような強力な結界が張れるというのも考えものですね」

 にぱあっと笑う宰相の頬がぷっくり腫れたのは、このすぐあとのことだった。

ルゴによる、1分で分かるこれまでのあらすじですね。笑

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