第36話/証明
つややかな黒髪をなびかせて、男はにっこりと品良く微笑んだ。
その正面で、魔王はむっつりと押し黙って心の中で叫ぶ。
こういうのが、あいつの好みなのか!?と。
黒い髪、褐色の肌、鮮やかな空色の布を巻き付けているだけのような異国の衣服。
その男こそ、城の侵入者、勇者を名乗る男に違いなかった。
しかし、目の当たりにしたその光景をどう理解するべきか、魔王は軽く首を捻る。
代理の魔王である妹のレジィとそのお付きのツィンクを相手に談笑。しかも、その男が話の主導権を握っているようで、レジィはころころとよく笑う。さすがに、ツィンクは口を開けて笑うことは少なかったが、それでも、親しい友人と語らうようにゆったりとくつろいでいるであることは遠目からも間違いない。
どういうことだ?
小声で隣に立つ宰相に問えば、彼はにっこりとほほ笑んだ。
「レジィ様とツィンクが婚約しまして」
は?
一瞬、何の事だか理解の出来なかった魔王が間抜けに聞き返しても、ルゴの答えはまたしても同じ。
「ですから、レジィ様とツィンクの婚約が成立いたしまして。あの勇者と名乗る男はレジィ様の首を狙っていたんですが、どうやら婚約の話を聞いてご自分の要件を諦めたようです」
「はああああああああああッッッ!?何だそれは!!」
涼しい顔をしたルゴの襟元を握りしめた魔王は青くなったり赤くなったり、ときどき黄色くなったりしながら、ふるふると怒りにうち震えた。
「ぜぇぇぇぇったいに許さん!!」
「と、申されましても、先代様がお許しになられたことですから、今更覆りませんよ?」
さらりと吐きだすルゴの言葉に、魔王、絶句。
そして、放心。
「魔王様?生きてらっしゃいますか?お気を確かに?はい、息を大きく吸ってー、はい、吐いてー。吸ってー、吐いてー」
ぜぇぇぇぇ、はぁぁぁぁぁぁ。ぜぇぇぇぇ、はぁぁぁぁぁ。
ぐらりとよろめいた体。それを立て直す気力も失せた魔王はぐったりと側にあった壁にもたれて崩れ落ちた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫に見えるのか?」
「見えませんね」
「当たり前だ」
重たいため息をひとつ吐きだして、魔王はどっかりと胡坐をかいてその膝に頬杖をつく。
妹の楽しげで、微かに頬を紅潮させた笑顔を横目に、兄はもう一度ため息をついて、それで?と切り出した。
「ちゃんと分かるように報告してくれ」
「はいはい」
と、魔王の正面に正座をしたルゴの話によれば、先代魔王が突如城へやってきて、レジィとツィンクの婚約を言い渡して逃げるように去って行き、次いで、褐色の肌の男が勇者を名乗って城へやってきたのだという。が、それからがまた奇怪で、レジィとツィンクの甘い空気を察した勇者とやらは剣を収めると、ふたりに休戦を申し入れて事の成行きを根掘り葉掘り聞きだし、どういうわけかおいおいと泣き出し、ついでに自分の身の上話をはじめ、そして、今に至る、というのだ。
「あんのクソオヤジ、俺の結界をどうやって入ったんだ。あいつの魔力にだけ反応する結界を張ってあったってのに」
まずは随分前に会ったきりの肉親に対する暴言から始めた魔王は、心底悔しそうに歯ぎしりをした。
「そうですねぇ、憶測の域を出ませんが、たぶん、他に協力者があったのでは?魔力では今の魔王様にかなうはずがありませんし」
「協力者、か」
ふと、彗がここへやってきた手段を思い浮かべ、魔王は一瞬考え込んだ。
協力者。それはもしかすると、彗がここへ来る手引きをした者と重なるのではないか?魔王である自分の結界を破壊するでもなく、むしろ自然に隙間から入り込むような手段はどう考えても同じに見える。たぶん、あの勇者を名乗る男も同じ手段を用いたのではないか?
そして、己の父親の図ったような登場の仕方といい。
あきらかに誰かの意志を感じる。
どうしたら、一番筋の通った説明がつくだろうか。
思考の中のもつれた糸。その先を手繰るべく、魔王がさらに考えを深めようとした時、
「それよりも!」と、傍らの部下が切りだした。
「それよりも、あの男の身の上話のほうが興味深いですよ?」
無理に思考の向く先を変えられたことを訝しがりながら、魔王はどことなく不自然な部下の目を睨んだ。
「何が?」
談笑するほど面白いのか?という意味で聞いた魔王に、自分から水を向けたルゴが気まずそうにそっと視線を外す。
「それがですねぇ……」
言いにくそうに、一度はうやむやにしかけ、しかし、考え直したのか、彼はにっこりと笑って、
「彼、彗様の思い人らしいですよ?彼の言うところでは、ふたりで将来の約束もしてるそうですよ?」
「ほぉ?それは興味深いな」
魔王の目が、据わった。
「あなたがレジィちゃんの二番目のお兄様ですか。この度はご婚約おめでとうございます。そうと知ってれば、何か気の利いたものを持参したのですが」
さわやかに彼、ディルがほほ笑むと、風がそのやわらかな黒髪を撫でた。
城の中庭で紅茶片手に談笑する4人。しかし、そのうちのひとりは、間違いなく軽い殺意を心に秘めていた。
自分の国には色とりどりの貝が打ち寄せられ、中には恋人同士が永遠の愛を誓うために用いる貝もあるのだとレジィ相手に説明しているところを無理やり遮って、魔王は低く凄む。
「それで?魔王の首を取りにきた勇者なんだろう?なぜそれを諦めた?」
「えぇ。私も、魔王がもっと極悪人ならばやりやすかったのですけれど、このような可憐な魔王とはつゆ知らず。それに、聞けばお二人はつい先ほど婚約されたと伺いまして、自分は何と欲深い人間なのかと考えなおしました。魔王の首さえあれば、思い人と一緒になれるという自分勝手で浅はかな考えを捨てたのです。私も、ツィンク殿を見習って、自分の実力であの方との結婚を許していただこうと思うのです!」
最後の方のくだりは、もう質問への返答ではなく、ただの決意表明にも聞こえ、魔王は「こいつ頭大丈夫か?」という視線を部下に送らざるを得ない。
いやぁ、なんですかねぇ、愉快なお人ですよ?と、ツィンクが小声で返すのと同時に、
「そうと決まればこうしては居れません!一刻も早くリオネに赴かねば!!」
と、椅子を蹴るのを見て、魔王は頭痛を覚えた。
「ディル殿、言うのは易いのですが、見たところ魔力を持たないあなたがどうやってその足でリオネに向かうのですか?」
魔王の何気ない問いに、ディルは一瞬にして青ざめた。薄い緑色の瞳が悲しげにゆらゆらと揺れている。
「そうでした……。どなたかリオネに用向きのある方はいらっしゃいませんか?」
他力本願すぎやしないか?と、彗ならば容赦なく言い放つところだろう。しかし、魔王は喉まで出かけていたそれを無理に飲みこんで、重ねて尋ねた。
「それはまた追々考えることにして、ここへはどうやって?」
「ああ、それは、彗澪の従者を名乗る男の助けがありましてね。私はこうしてやってくることができたのです。彗澪が、彼女が私の身を案じて使いを寄越してくれたのです。こんなに心強いことはありません」
根が素直なのか、それとも何かの作戦なのか、ディルはさらりと魔王の問いに答える。
その答えの合間に、彗澪と呟くたび、彼はぽうっと頬を赤らめて熱っぽい視線になった。そこに誰がいようが、もう彼の瞳には映っていない。
魔王の隣に座るツィンクの体がそっと傾いた。
彗様の真名をご存知でしたか?
問われ、魔王は苦々しい表情で首を縦に動かしたのだが、しかし、それは報告の中で知った情報であり、彼女本人の口から明かされたことではなかった。
目の前の、たぶん本人から明かされたのであろう真名を嬉しそうに口の中で何度もつぶやく男を見て、魔王は自分の胸中が複雑に蠢くのを感じた。
胸くそ悪い。
「ディル殿、」
言いかけた魔王にツィンクが鋭い視線を投げる。その瞳は警告。
しかし、それでも、魔王は己の内から飛び出した言葉を取り下げることはできなかった。
例え、どのような真実が待っていようとも。
「ディル殿、その彗澪という姫君との約束になにか……」
「ありますとも!!」
察したのか、ディルは魔王の言葉を待たずして懐を探ると、小さな袋を取り出した。その上質な布の中からさらに取り出したのは、眩いばかりの黄金の光を放つ宝石。それは女性ものの指輪に加工されていた。
彼は、大事そうにその金色に輝く指輪を手に取り直し、恭しく一同に披露した。
それは、高貴な王族にこそ相応しい、堂々たる逸品であり、レジィなどはほぅとため息を漏らしうっとりと見入っている。
「これは、彗澪から約束の証に贈られてきたものです。ほら、宝石の裏にリオネの紋章が入っています。そして、ここに彼女の名前も。それから、」
呆然とする一同など気に留めることもなく、ディルは嬉々としてその指輪の細部を説明し、果ては石に向かって、愛おしい女の名を甘く囁いた。
何事が起こるのかと、魔王とツィンクが息をのんで見守る中、宝石が一際輝きを増し、なんと、その石の上にある人物の姿を映し出したのだった。
浮かび上がる銀色の髪と金色の瞳。
彗姉様!小声で叫ぶレジィをツィンクがたしなめた。
「これが、彗澪です」
レジィが放った言葉など耳に届かないディルははにかんで呟いた。
見紛うことなく、それは確かにこの城に乗り込んできた彗の姿。
淡い桃色のドレスをまとった彼女は、穏やかな笑みを湛えた唇で、
『ディル様』と、うっとりとした様子で褐色の青年の名を呼んだのだった。
ディルは空気読めない子です。笑