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第35話/覚悟

 雨が降っていた。

 誰が降らせたのでもない、誰のものでもない雨粒が次から次へと地上に降り注ぐ。

 優しく世界を包み込む、慈愛に満ちた穏やかな雨。

 ヒトはこのような静かな雨とともに女神プシュテが地上に舞い降りると信じていた。そして、対をなす戦いの女神ヴェニアはひっそりとその体を聖なる山で休めるのだと。

 プシュテは雨を介してヒトの病を癒し、乱れた心には平穏を与えると云われていた。

 しとしとしとしと。

 耳に心地よい雨音で目が覚めた魔王は、覚醒までは至らない頭でぼんやりと天井を見つめた。

 静かで、とても静かすぎて、ここがどこで、今自分がどのような状況なのかを思い出すまでにしばらくの時間がかかった。

 視線を動かすと、すぐ傍の机の上に水差しと杯。

 ぐったりと重たい体を起して、のろのろと杯に水を満たすと、それを一度に飲みほした。

 今日はゆっくり休め。

 紙きれに無造作に走り書きされたそれを認め、彼は赤髪の部下の顔を思い浮かべ、その男が巨体を揺らして水を運ぶ様を想像すると、くつりと笑みが生まれた。

 静かすぎると感じたのは、部屋に特別な結界が張られていたからのようであった。

 たぶん、それもあの男の配慮であろうことは間違いなく、魔王は宰相からの矢のような催促、文句、小言を耳に入れずにすんだことを素直に感謝していた。

 しとしとしとしと。

 外の穏やかな雨の音だけが耳に届く。

 寝台に横になり、穏やかなまどろみの中に帰るべく魔王は瞳を閉じた。

 結局のところと、魔王は思う。

 結局のところ、自分は単に利用されて、用が済んだから置き去りにされたのだ。ただ、それだけのことだ。

 ただ、それだけ。

 あまりに騒々しく過ぎて行った日々に慣れてしまっただけ。

 ただ、それだけ。

 ようやく静かな生活を取り戻せたのだから、むしろ喜ぶべきなのだ。

 すぐにでも城へ戻ってレジィの肩から荷を降ろしてやるべきなのだ。

 しかし、なぜ自分はそうせずに未だ未練たらしくこんなところに横になっているのか。

 ふわりと、瞼の裏に人の影が浮かぶ。

 きらきらと輝く銀色の髪に険しい金色の瞳。すらりとした肢体を飾り気のない漆黒のドレスで包み、同じく黒一色の蝶がその髪の上に止まっている。

 彼女の残り香さえ鮮明に蘇ってくるほど、幻は最後に見た彼女の姿を寸分違わず再現していた。

 『文句があるなら言いに来ればいいじゃない。あなた魔王なんでしょ?だったら、自分のやりたいようにしたらいいのよ。私はやりたいようにしたわ。誰に文句言われたっていい。絶対にあんな男とは結ばれたくなかったんだから。そのせいで誰かを傷つけたりしたからといって後悔したりしない。そういう覚悟を決めたんだから。あなたにその覚悟があるの?』

 髪に止まっていた蝶がいつのまにか指先に場所を変えていた。

 彗はそれを目の高さまで引き上げると、ふうと息を吹く。

 ひらり、ひらり。

 舞いあがった蝶は呆気なく闇に溶けて行った。

 『でも、いろいろ助かったわ。ありがとう』

 それは魔王の作り上げた幻か、それとも彼女が残した思念なのか。

 ゆっくりと、蝶と同じように彼女もまた闇に溶けた。


 どのくらいの時間が経過したのだろうか。

 何か固いものを叩く音で目覚めた魔王は、今度こそ覚醒した。

 「魔王ー、起きてるかー?」

 扉代わりの結界をするりと通り抜け、泥だらけの大男が魔王の前に姿を現した。

 むくりと寝台の上に起き上がった魔王を見て、「なんだ、案外顔色いいじゃねぇか」と、手に持っていた大きな袋を机の上に投げ出して豪快に笑い飛ばす。

 「てっきりふさぎこんでると思ったんだけどな。っとそうだ、それだけ顔色良けりゃルゴのヤツの泣き言聞く元気もあるか?あいつ、お前に思念送れないのがよっぽど腹立ったのか、一日中俺の耳元で小言と泣き言を繰り返すんだぜ?あやうく手元が狂うところだったぜ」

 「元気があろうとなかろうとそんな鬱陶しいものは聞きたくない」

 そりゃあそうだ。と、笑って、フロウはどっかりと椅子に腰を据えた。

 「んで、今日の報告な。いやあもう、快勝すぎてつまらん。物足らんよ。泥団子のぶつけ合いだったんだけどよ、いやもう、相手にならんわ。なんだか新しい総大将に据えられたヤツがどっかの貴族のお坊ちゃんらしくてなぁ。こっちがちょっと押したら、あっという間に降参しやがった。あれじゃあ今度はあっちが俺達に借金をつくるようだぜ?」

 「ほぅ?リオネの借金くらいはすぐに返せそうなのか?」

 「バッチリよ。今日の戦利品はちょっと面白いぜ?先代マルーン王の等身大黄金の像だってよ。いや、ありゃあまいったね。どこの恥知らずが自分の像をしかも黄金で作らせるんだよってな。潰して金塊にでもするか?ああ、それからな、その袋の中も宝石の山。いや、あの貴族のぼんぼんは叩いたらいくらでも出るぜ?」

 太い人差し指を使って袋の口をこじ開けると、中からは色とりどりの光る石が顔を出した。それだけでもひと財産であろうことは魔王にも十分に伝わった。

 「なかなかの戦利品だな」

 不精髭を撫でつけ、魔王はニヤリと笑う。

 だろ?と返すフロウの顔にも満面の笑み。

 「それで、どうするつもりなんだ?」

 何を指して部下がそのような言葉を口に出したのか、その真意を汲み取り、魔王は一度大きく目を見開いて、泥だらけの男を凝視した。

 そして、一度だけ頭をふって答える。

 「とりあえず、リオネに行って文句を言ってこようと思う」

 ぶはッ。

 たまらず、吹き出してしまったフロウは、悪い悪いとは言いながらも、奥歯で笑いを殺すことに必死で、目からこぼれる水にまでは行き届かなかった。

 見かねた魔王が、「笑うならいっそ笑え」とうんざりとした様子で言えば、彼は欲求を解放して文字通り、大いに抱腹絶倒を披露することとなり、魔王は転げ回る部下にチッと小さく舌打ちをした。

 「いやいや、すまんすまん。だって、文句って……ぷぷぷッ……。せめてそこは、リオネをブッ潰してくるくらい言わないと迫力出ねぇぜ?くくくくくッ……」

 「フン。あの【魔女】相手にそんな大口叩く気力はない」

 「た、確かにな。あの女王の国を潰すとなったらこっちも総力挙げなけりゃならねぇしな。ま、いいんじゃねぇの?行ってくれば?ここは心配ないしあとは……」

 言いかけ、しかし、フロウの顔からさーっと血の気が引いた。

 何事かと魔王が口を開く前に、「やべ、忘れてたわ」と、前置きをして、

 「魔王城に新しい勇者様が殴りこんできたらしくって、城は大騒ぎだってさっきルゴが言ってたんだった。すまん、そっちが先だわ。とっとと帰ってくれ」

 最後に、てへッと笑ったフロウ。

 その顔面に魔王の鉄拳が飛んだ。

魔王のなけなしの覚悟台無しってことで。笑

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