第30話/降臨
有無を言わさず、従者である蓮に往復びんたを喰らわせたのち、這って戻ってきた魔王の頬を容赦なく捻り上げる彗の行動に慈悲というものはない。
「ひてててててててててて!!!のびるのびる!!ちぎれるーーーーー!!」
「とっとと帰ってくればいいものを、いつまで遊んでるんだ!!誰がこんな大ごとにしろと言ったんだ、こらぁぁぁぁ!!」
言う間、魔王は6発殴られ、蓮は5発殴られた。
「ちょっと待て、落ち着け。話せば分かる!何事も!」
「そうです、とりあえず落ち着いてください。ほら、せっかくの美しいお顔が台無しで……ふぐほッ!」
余計なひと言のため、蓮も魔王と同じ数の拳を主からいただくこととなった。
「ほぅ?まともな言いわけがあるというのなら聞いてやるぞ?言ってみろ」
腕組みをする彗の御前で折り目正しく正座をする男二人が互いに目配せをしあい、意を決した蓮が深く息を吸い込んで、びしりと魔王を指差して言う。
「すべてこの方の責任です」と。
突然の裏切り行為に、魔王は事態を飲みこめずに一瞬だけあんぐりと口を開けたのだが、彗のあまりにも冷ややかな一瞥で我に返り、猛然と横に並ぶ男に向かって反撃を始めた。
「ちょっと待て!!俺も悪いかもしれないが、あんただって責任があるだろうが!!あんたさえ邪魔しなければ俺はあのままルシカに飛んでいたんだぞ!!」
「でしたら言わせていただきますが、そちらが一から説明をしていただけたのなら、私だって剣を収めたのですよ!それを、いかにも悪人面で少女を攫って行こうとするからいけないんです!」
「ほぉ。魔王が悪人面で何が悪い?」
「やるなら受けて立ちますが?」
魔王が鋼鉄の爪をきらりと光らせると同時に、蓮も愛用の得物に手をかけ、ふたりの間に静かな殺気がみなぎった。
が、
「お前ら、死にたいなら私が殺してやる。相手を間違えるな」
喉の奥で笑う彗の一言で、彼らはまたもや背筋を伸ばすこととなり、漂った殺気は霧散した。
「まぁいい。お前らの無能はよぅく分かった。あとは黙って見ていろ」
言い捨て、一度遥か頭上を見上げると、彼女は己の背中に向って声をかけた。
「バティウス」と。
そして現れたのは、線の細い少年がひとり。
くすくすくす……。
正座させられた大の大人の男ふたりを蔑み、せせら笑う小さな悪魔。
「君か……」
面識のある蓮が呟く隣で、魔王はそれよりも少年の足もとに転がっているものに気付く。
彼の左手には頑丈な縄が握られており、その先には無残なボロ雑巾のような物体が二体、締め上げられている。言うまでもなく、タヌキとお山の大将のなれの果て。ぶくぶくと紫色に変色した顔面は直視するのも嫌悪感を伴う程にひどい。背中に襲い来る植物の触手を、易々と拳でねじ伏せている彗を見上げ、彼らはむっつりと押し黙った。
「バティウス、ここはいいから、妹をどうにかしてきてくれるか?お前の呼びかけになら答えるだろう」
「はい。では、行ってきます」
にっこりとほほ笑んだ後、空に舞い上がって行く少年の背を見つめつつ、ふたりは投げ出された屍が呻く声を聞いていた。
ば、け、もの……。殺され……る……。死ぬ……。悪魔……。
「ああ、せめてもの情けでそうやってしゃべれるってことを忘れてるんじゃないのか?お前たちも殺されたいときにはちゃんと言えよ?いつでもそうしてやる」
凶悪な笑みを浮かべた彗の一睨みで震えあがったのは、なにも縄で縛られている二人だけではなかった。正座のまま動くことを許されない男たちもまた、判決を言い渡される罪人の如く、震えあがり、身を縮めて様子をうかがっている。
「魔王、蓮、とりあえずお前たち二人には後片付けをしてもらう。建物の修復と兵士たちの手当、それに、国中の人間の記憶操作。それが終わったらルシカに戻ってこい。私のために働いてくれたお二方のために、ささやかながらもお礼をしたいからな」
にっこり。花も恥じらう素晴らしい微笑みを浮かべる彼女に、事情を知らないザーク兵の何名かが見惚れる。しかし、当事者の魔王と従者は手に手を取り合って震えあがり、何度も何度も首を縦に振って、従順さを主張していた。
殺される!!間違いなく殺される!!
あとは撲殺か毒殺か絞殺か……。
恐ろしいことをさらりと言うな!!
ひそひそ、こそこそ。運命共同体の男たちが必死になって生き残る手段を模索している中、ぱたりと植物たちの攻撃が止んだ。彗が掴んだ蔓を引きちぎれば、魔力を失った残骸は一瞬にして灰と化した。
「終わったようだな」
ふぅと、息を吐く彗の視線の先には妹を大事に抱きかかえるバティウスの姿。その少年の姿が徐々に地上に近づき、程なくして彼女の前までやってくると、彼は深々と頭を垂れた。
「彗様、妹がとんでもないことを……。申し訳ありません」
灰がきらきらと舞い散る幻想的な様を背景に、膝をつくバティウスと、その彼に両手を差し伸べ、囁く彗。
「バティウス、お前はよくやってくれた。何もお前が責任を感じることはない。妹とともにゆっくりと休むといい。後のことはコイツらに任せて、私達は先に戻ろう」
少年を立ち上がらせた彼女はその額にひとつ、唇を落とす。それは、王女が与える最大の褒賞。
芝居がかった、しかし、絵画のように美しいその光景に誰もが言葉を失う。
見惚れる魔王と蓮、その他ザーク兵たちににこりと微笑んだ彗と、大切なものを取り戻し、勝ち誇ったような笑みを浮かべる少年。彼らはその姿を最後に、音もなく掻き消えた。
真新しい太陽の光がザーク城を照らす。
北の塔の番兵たちは、ぐったりと疲労感のある体を無理やり伸ばし、朝日が差し込む方角に向って大きな欠伸をした。
そろそろ交代の時間になるはずと、誰の顔にも安堵の色が浮かんでいたのだが、突然その中の一人が悲鳴を上げた。
何事かと、駆け寄る同僚たちの真ん中で、ひとりの兵士が塔自体を指差している。
「塔が、塔が……」
それ以上言葉にならない同僚の言葉を待つのに焦れた兵士たちが一斉に塔を見上げる。
そして、絶句。
真っ直ぐに天を刺していた塔の形が、うねうねととぐろを巻く蛇のような造形に変化していたのだ。しかも、地面に対して平行を保つ塔の先には、何かがぶら下がっている様子。兵士たちが目を細めてじぃっと見つめると、それは縄でぐるぐる巻きにされた二人の男であった。
見たままを上司に報告したのち、その男たちを地上に降ろしてみると、紋章からひとりはこのザーク皇国の人間で間違いはなく、もうひとりもちゃんとした人間の形をしていたのだが、彼ら二人、口を開くと出てくる言葉はたったひとつ。
「ぽん!」という音だけなのであった。
身振り手振りで何かを伝えようとする彼らは、ぽんを連呼するばかりで話にならない。
それが何を意味するのか、どういうことなのか。一体誰がこのようなことをしていったのか。それは、どんなに時間を費やそうとも、ザーク皇国の人間には到底理解することはできない永遠の謎なのだ。
清々しいザーク皇国の朝に「ぽんぽん」と泣きわめく声がしばらく続いたとか。
狸がなんて鳴くかなんて知ったこっちゃないッス。






