第3話/協定
湯浴みを終え、ドレスを身にまとった彗は見違えるほど美しかった。
ドレスの深い深い群青色で銀色の髪が明るい空色に染められ、ふたつの大きな瞳はきらきらと朝焼け色に輝きを放ち、上気した薔薇色の頬と紅をさしたぽってりとした唇からは甘い色香が漂った。彼女を仕立てたルゴ自身の目も、テーブルについていた他の二人の男の目をも彼女は簡単に奪ってしまった。
「私は彗と申します。しばらくこちらで御厄介になることとなりました。皆さま、どうぞよろしくお願いいたしますわ」
深々と頭を垂れた彗が再び顔をあげてテーブルを見回せば、さすがの魔王も驚いたように彼女を見つめていた。ただ、彗が特別にっこりとほほ笑みかけると、魔王は咳払いをして目をそらしてしまったが。
「お、魔王様が照れてるぜ?こりゃあ、恋か?恋なのか?んん?」
魔王の左手に座っていた大柄な男が面白そうににやにやと、頬杖をついたまま魔王と彗を見比べた。褐色の肌の大部分を露出し、薄い布切れ一枚の下でははちきれんばかりのたくましくも美しい均整のとれた筋肉が堂々と主張している。
「ほらほら、ご挨拶もしないうちにそんな無粋なことをしていると彗様に嫌われてしまいますよ?」
ルゴにたしなめられ、その男はそれもそうだなと呟いて立ちあがった。
深々と頭を垂れ、
「私はフロウと申します。これからよろしくな、お姫様」
後半はすでに打ち解けた口調になった彼がすっと手を差し出せば、心得た彗がその分厚く大きな手をそっと両手でとってほほ笑んだ。
「彗と呼んでいただけるかしら?フロウ様?」
「ああ、じゃあ遠慮なくそうするよ。ついでだから、俺のこともフロウでいいぜ?彗」
「ええ、フロウ」
にこにこにこにこにこ・・・。微笑み見つめ合う二人をうんうんと温かく見守る目はルゴ、半眼でため息を漏らしながら冷ややかに見るは魔王。
その魔王の視線をどう受け止めたのか、フロウはぱっと彗の白い手を離し、照れくさそうに頬を撫でながら魔王の背中を勢いよく叩いた。
「そういじけるなって!誰もお前の大切な花嫁に手を出したりしねぇから!いっやー、めでたいねぇ。ついに魔王様にもお后様かー。よかったなぁ、ルゴ。これで肩の荷の一つも下りただろう?」
「その通り!!魔王様にお仕えして苦節50年、こんなに嬉しい日はございません!!」
「え?さっきは苦節40年とおっしゃっていませんでした?」
上座に座る魔王と向かい合うように着席した彗が首をかしげて問う。
「あー、ルゴは妄想癖と虚言癖がたまーに出るからあんまり気にしない方がいいぞ?本当のところは片手で足りるほどしか付き合いないんだから!なぁ?」
と、フロウが魔王に同意を求めてみれば、当の魔王はむっつりと押し黙ったまま顔をそむけた。
「なんだ?ご機嫌斜めだな。もっと嬉しそうにしたらどうだ?お前のことだから苦心の末にかっさらってきたんだろう?それにしても気丈なお姫さまじゃないか。天下の魔王様に連れ去られてきたっていうのにこの落ち着きよう。いやー、凛としたところがまたたまらんねぇ!」
「だから、俺はさらってきてないって言ってるだろうが。その女が勝手に城に忍び込んできたんだ」
「またまたー。人間の女が好き好んでこんなむさ苦しい城に来るわけないだろー。なぁ?彗」
「はい。私が勝手に参りましたの」
あまりにもあっさりと彗が言うものだから、フロウもルゴも固まった。魔王だけはほらみろと言わんばかりに盛大なため息をついたのだが。
「彗?本当に?ええ?なんで?なにしに?まさかこのぐうたら魔王の首を取りにでも来たのか?」
「彗様!?本当ですか!?このろくでなし魔王様のお嫁に来てくださったのではないのですか!?あんまりです!!」
「お前ら、少しは敬意というものを思い出す気はないのか?」
あまりの言われように小声でつっこむ魔王。しかし、悲しいかな彼の忠実な臣下はあっさりと聞こえないふりをした。
「えーと、掻い摘んで申しますと、魔王の性根を叩き直しに参りましたの」
ふわりと笑う彗。だがその眼はきらりと鋭い。
「というと?」
すっかり身を乗り出したルゴとフロウ。すっかりいじけてしまった魔王は置いておき、彗はさらに姿勢を伸ばして言葉を紡いだ。
「一進一退を続けるのが人と魔族との間に約束された永遠の戦いです。その約束が破れようとしています。私はそれを黙って見ているわけには参りません。ですから、魔族の王である魔王様にしっかりしていただこうとこうして参上した次第ですわ」
「つまり、魔王様をしごくためにいらっしゃったと?」
「はい。鬼のようにしごきますわ」
なんの躊躇いも遠慮もない彗の言葉に魔王の背筋が凍る。
「そのために自ら望んでここに来たんだ?」
「はい。魔王様が立派な魔王様になられるまで頑としてもここを離れませんわ」
くすくす笑いがもうすでに邪悪なものとしかとらえられない魔王は席を立ちたくなっている。
「もしかすると、魔王様との間に愛が芽生える可能性があるかもしれないのですね?」
「ええ。魔王様が魔王様たるすばらしい魔王様になった暁にはあるかもしれませんわ」
にやり。ほくそ笑んだ彗に戦慄し、魔王は椅子を蹴って立ち上がった。
「ほおー」
「なるほど」
うんうんと頷き合った主君想いのふたりが、突っ立ったまま硬直している魔王の両脇を固めた。
「お前たち・・・何を・・・」
したり顔の三人と、未だに場の流れが理解できていない、というより、理解したくない魔王が長い前髪の奥で青ざめる。だが、何度も言うが、心の底から主の現況を心配している心優しい家来たちは、別に面白がっているとか、楽しそうだとか、どうなるのか賭けをしようとか、そういったやましい心など毛ほどもない満面の笑みを浮かべて、
「よろしくお願いします!!」
魔王を差し出した。
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