第27話/回生
少年はいつのまにかうつらうつらしていた。
夢うつつの状態で、彼は自分が椅子に座って船を漕ぐ様子を眺めている。
ああ、これは夢だ。
少年、バティウスはぼんやりと思う。
「お兄ちゃん」
呼ばれて、はじめて妹の存在に気づく。右手に小さな妹の手。何が嬉しいのかネリネはにこにこと機嫌よく笑っている。さらさらと風に流れる黒い髪の上には野草で作ってやった冠。
あの日だ。
薬草を集めるついで、自生していた草花で作った小さな冠をネリネは思いのほか気に入った様子で、嬉しそうに小走りに走って行く背中を覚えている。父様と母様にも見せるんだものと、はしゃいだ顔は我が妹ながらなんて可愛いのだろうと、ふと思うくらいだった。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」
一転して、ネリネの悲痛な叫び声が聞こえる。
見知らぬ男に抱えられる妹の顔は恐怖で凍りついていた。お守りのように握りしめていた小さな冠はもうすでに原形をとどめておらず、ただの摘み取られた野草でしかなかった。
「バティウス、こいつは取引だ。妹の命が惜しければ俺に従え。もし、従うのが嫌だというのなら、この可愛い妹もろとも村中の人間を殺す。ただの脅しと思うなよ?お前達は攻撃の手段としての魔法を扱えまい?そして、俺達には絶対に手を出さない。俺達を傷つければ、世界中からこの村目指した討伐隊が出るだろうことをランサスは知っているからな。くくくッ……、トレニアの腰抜けどもめ!さぁ、バティウス、選べ!この場で全員が死ぬか、それとも、お前が俺についてくるかだ」
選択などではなかった。泣き叫ぶネリネは別の男の手によってどこかに連れ去られ、バティウス自身は着のみ着のままに男に連れられて山を下りた。
両親の行方は分からない。ネリネの所在も分からない。村長や、近所のおじさんやおばさん、学校の皆がどうなったのかも知らない。だからこそ、自分は男の言いなりになるしかないと思った。まず、ネリネを助け出して、それから村に戻ろうと決めた。そのためには、男の言う「手伝い」を完璧にこなさねばならないと確信していた。
だから、妹や村の人たちを助けるためには、誰が犠牲になってもいいと考えていた。
「いいよ、お前は自分の大切な人を守れ」
突然、バティウスの目の前に現れた女性はそう言った。金色に輝く瞳には一点の曇りもなく、本心からそう言っているのだと感じた。
「でも、やっぱり、あなたを犠牲にするわけにはいかない。僕にもっと力があったらよかったんだ!そうしたら、ネリネを助けられたのに!あんな奴、一瞬で切り裂いてやれたのに!」
「バティウス……」
慟哭する少年を悲しげな目で見つめているのは、先程の若い女性ではなかった。深い皺が刻まれた顔に優しい笑みを浮かべ、大きな温かい手で少年の涙を拭うそのひとは、力一杯にバティウスの体を抱きしめる。
「バティウス、憎しみと怒りで心をいっぱいにしてはダメだと言ってるでしょう?」
母さん。
懐かしい匂いに少年の目から新しい雫がこぼれる。
「そうだぞ。自分にできることを考えるんだ。落ち着いて、冷静にな。無茶はいけない。じっと好機が巡ってくるのを待つんだ。そして、その好機をつかまえるんだ。ただそれだけでいい」
「父さん!」
近づいて、少年の頭をぐりぐりと撫でると、少年が父と呼んだ男の姿は消え、同時に、傍らに屈みこんでいた女性の姿も消えてしまった。
そして、バティウスは覚醒した。
「やっと起きたか」
ひんやりとした闇の中、少年には聞き覚えのない声が響いた。
傍らに感じた見知らぬ人の気配に、咄嗟に椅子を蹴ろうとしたバティウスを、男はその細い肩に手をかけて押しとどめる。
「怪しいものではない。私はこの方の従者だ。あのゲス野郎どもに自白剤を使ったから大体の事情は呑み込めている。君の妹はザーク皇国の地下牢に捕らわれているようだ。助けに行ってくるから、転移魔法をお願いできるだろうか?」
「え?」
闇に紛れた人物の言ったことがひとつも理解できなかったバティウスは、後で思い返した時に顔から火を噴くほど間抜けな答えを返して固まってしまった。
まずはじめに、男の言うこの方、というのは、もちろん眠り続ける姫のことだというのは理解した。この姫の従者。ならば、と、少年は疑問にぶつかった。姫の従者であるならば、敵である自分に正体をさらすべきではない。まして、その妹を助け出す必要などどこを探したってないというのに。それなのに、この従者を名乗る男は何と言った?妹を助けてくるから手伝えと、バティウスの耳と脳が正しければ間違いなくそう言ったのだ。
「なぜ?」
その質問で、少年が自分の言葉を理解したことを悟った男は、軽く息を吐いてから答えた。
「バティウス、君は知らないかもしれないが、この彗姫様は自分さえよければそれでいいというお人じゃないんだよ。君を脅して魔法を解かせたとしても、それじゃあ満足してくれないんだ。目が覚めた途端怒鳴られるのは間違いないからね、その前に君の妹を助けに行こうと思うんだけど、これで納得してくれるか?」
確かにと、バティウスにも思い当たる節があった。
潔く身を差し出した彼女の瞳の輝き、そして、凛とした表情は、少年の心を動かすのに十分であり、バティウスは目の前の男の言葉をも信じた。
「わかった。彗姫様を信じるよ。でも、転移させるのはいいけど、帰りはどうするんだ?僕はここを離れるべきじゃないだろ?」
そう、行きは良い。バティウスが転位魔法を発動させれば、彼はザーク皇国へ着く。しかし、帰りは?少年の見たところ、従者を名乗る男には一切の魔力が感じられないのだ。もし仮に、ネリネを助け出したとして、その後はどうする?少年の疑問は至極当然のものである。
「なに、ここへ来るまでに半分を使ってしまったんだが、帰り一回分の魔法ならどうにかなる」と、男は懐を探る。
薄暗い月明かりの中、彼の手には小さな光るものがあり、聡いバティアスはそれが何であるかをすぐに理解して驚愕の表情を浮かべた。
「それ……、そんな技術が残ってるなんて……」
「そうだな。これは今の世界では禁忌だ。実際もうすぐ途絶えるだろうと調合してくださった方も仰っていた」
「……そう」
「それより、ぐずぐずしている暇はない。必ず君の妹は助けてくる。だから、それまで彗姫様を頼む。ぎりぎりまで君の魔法を解くなよ?でないと、奴らを生け捕りにできないからな」
意味ありげに男はひっそりと笑った。
「あのさ、もうひとつ聞いてもいいか?」
「なんだ?」
答える男の足元がぼんやりと光を放ち始めた。バティウスが転移魔法を発動させたためである。
「僕の名前はバティウス。あんたの名前は?」
すべての詠唱を終えたバティウスが、淡い光の中に立つ漆黒の男に向って正面から視線を合わせた。
少年が想像していたよりも長身の男は、緩く結んだ黒い髪をそよがせて、誠実で真摯な瞳で少年を見返している。
「蓮」
レン。
少年の耳に音が届いた刹那、男の姿は消えた。
ちょっとファンタジーっぽくない?と、喜んでるのは私だけです、ごめんなさい。魔法?……作者はキニスルナーの呪文を唱えた!(あほ)