第17話/決戦
連合軍1000に対し、魔王軍は援軍として到着したばかりの部隊を含め約800。
静寂に包まれた闘技場に突如として響き渡る力強く鋭い太鼓の音。
緊迫する空気の中、息を殺してじっと見守る魔王軍の前で連合軍の陣形が変化した。
「楔形の陣形。やつら突破する気か」
フロウが、さも可笑しそうににやりと笑って頬を撫でる。
「さぁて、どうしたもんか。両翼を広げて包囲したとしても、壁が薄くて簡単に突破される可能性のほうが高そうだ。やつらはよく統率された機動力で確実にこちらの一番痛いところを突いてくるだろうな。そうなればこの勝負はとられちまう。これ以上借金を増やさないよう、いい手立てはないもんか?どうだ、ヴァイン?」
総大将のある種面白がっているような声音を受け、ヴァインと呼ばれた灰色の瞳の男が真一文字に結んだ唇をゆっくりと緩めた。
「手っ取り早く、あちらさんの総大将を片付けちまいましょう。指揮官さえ欠けばあとはどうとでもなります」
「簡単に言ってくれるなぁ、おい。あの綺麗な総大将に手出しできんことは先刻伝えたばかりだろうが」
「あぁ、先代魔王様規則の?それなら問題は解決済みですわ。おい、ネル、さっき会った頬に傷のある兵士と連れを探してこい。急げ」
ヴァインは参謀の証である銀色のマントを翻して、傍に控えている大男に命じた。
すぐさま、ネルという大男がしみのように広がる黒い海めがけて走り、あっというまに波間に飛びこんだ。しかし、その肩より上はいつでも波間にぷかりと浮いていて、フロウ達が彼を見失うことはなかった。
「何を探しているんだ?」
「先代魔王様の規則を破らずにあの美しい総大将をぶっとばす兵士を、ですよ」
「ほぉう?即席の遊撃部隊の編成ってわけだ。そいつぁ楽しみだが、勝機に恵まれるかね?」
「今は無理をしてでも挽回しておかねぇと、借金で国が潰れちまうでしょうが……。国を見てきましたが、いよいよ借金取りに乗り込まれそうな勢いでしたよ」
「確かに、な」
マルーンとシェンの王はそんなことはしまいが、リオネ国の女王であればやりかねない。
表情を引き締めたふたりの目にネルの巨体が映る。引き寄せられるようにあるところまで突進していった巨体がぴたりと止まった。目的のものを発見したのだろう。しかし、彼は別段口を開く様子もないまま、もと来た海を渡りだした。
そうして、フロウとヴァインの前に黒い塊を差し出した彼は何も言わずに軍師の後ろに控えた。
「なんだってぇんだ、いったい」
地面に転がっていた大きな方がまず顔をあげて、仁王立ちするフロウと目があった。途端、フロウは目を見開いて明らかに狼狽の色を見せたが、どうにか咳払いでごまかして平静を装うことに成功した。
「おい、そっちのチビ、顔を上げてみろ」
ヴァインの良く通る声に促され、怪訝そうな面差しで顔を上げたのは、頬に大きな傷を持った小柄な兵士である。
「体調はどうだ?顔色は良いようだが」
「あぁ?なんだ、さっきの人か。そうだ、手間かけてすまなかったな。体はもう平気だ。って、ナニ?あんたもしかして偉い、……の?」
埃を叩いてレイの横に立ちあがったマオと、ヴァインの脇に突っ立っていたフロウの眼差しが交差した。
今度こそ、フロウは目を剥いて静止してしまう。
「あ゛……」
「…………。ぶはッ!あはははははは、こりゃあ傑作だ!ひーひっひっひっひっひ……ッ腹がいてェ……!」
絶句するマオの間抜けな顔を見て、フロウは沈黙の後たまらず噴き出すと、ひとしきり大笑いしはじめる。こうなったら我慢するだけ無駄というものらしい。
ヴァインが口をへの字にして総大将を見つめているのにも頓着せず、護衛の兵士たちが気味が悪そうにマオの顔を凝視しているのも気に留めることなく、彼は気のすむまで笑い転げた。
「なるほどな!よし、わかった。それで、お前たち名は?」
「……マオ」
「レイだ」
言いにくそうに俯いたマオと不敵に笑うレイを見比べ、フロウはまた沸き起こってくる笑いを必死に食いしばって続ける。
「マオ、お前にはむこうの総大将をぶちのめす役を与える。レイ、お前は向こうの棒を圧し折ってきてもらうぞ」
なぜ自分達が?疑問が浮かぶが今はそれを口に出せる身分でないことを思い出し、ふたりはそろって右の拳で左胸を打った。
「よし、んでは始めるか。両翼を展開して敵陣を包囲する。頃合を見計らってレイはネルとともに我々の陣形を迂回しつつ敵陣へ突っ込め。ヴァイン構わないな?」
もちろん、と目で承諾するヴァインの奥でネルがのっそりと立ち上がる。
「それから、マオはとっておきの方法で送り届けてやるからしばらくここで待機だ」
美しい筋肉をつけたフロウの右腕が高く掲げられた。
合図を受け、兵士のひとりが軽快にドラを打つ。
そして、その瞬間を待ちわびていたように連合軍の楔が打ち込まれた。
「正面踏ん張れーーーーーーーーーーー!!」
フロウの怒号が飛ぶ。
魔王軍の左右両翼はすでに伸び切っている。じりじりと少しずつ連合軍を囲い込む網が形成されつつあるが、相手の抵抗もあってなかなか思うような陣形には至らない。そうこうしているうちに、楔の先端が魔王軍の正面を削り始めていた。
「マオー、そろそろ限界が近いらしーい。ギリギリまで踏ん張るが、負けたとしても絶対にあっちの総大将ぶちのめしてこいよーー!!」
負けたら借金がかさんで大変なことになるって言ってんだろが。
と、遥か足元で叫ぶ臣下に心の中でのみ呟いて、マオは倒されてはならない自分達の陣地の棒の先端にしがみついていた。
なぜそんなところにしがみついているのか。それは、フロウの言うところの「とっておきの方法」がこれなのである。
ちょっとてっぺんまで登ってみてくれ。理由は後でのお楽しみ。
……、今ここにきて思えばなんて胡散臭い台詞なんだと、マオはもぞもぞと体勢を変えながら考える。
だが、時すでに遅し。マオの顔からさっと血の気が引いて行く。
棒を死守していた屈強な兵士たちがそろりそろりと動き出し始めたのだ。
フロウは腰に手をあて、空いている手をひらひらと振っている。
「がんばってこー……」
最後の方の言葉はもう聞き取れるはずもなく、マオは自分の意志とは関係なしに傾いて行く体を必死で支えた。
徐々に徐々に、ゆっくりとその丸太は斜度を増し、ある時点でぴたりと止まる。
そして、世にも恐ろしい、男たちの野太い声がマオの尻のあたりから湧き起こったかと思うと、棒は容赦なく前方の敵陣に向かって振り抜かれた。
どっせぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええいッッッ!!
必死にしがみついていたマオだがあっという間に放り出され、
「うがあああああああああああああああああああああああああああ!!」
その細い体はものすごい勢いで吹っ飛んで行く。
もちろん、狙い通りに敵陣へとまっしぐら。
そして、肝心の着地はといえば、神がかった曲芸よろしく敵陣の棒にしがみつくことに成功した。
するすると棒を下へ滑って行くマオの体を、敵である誰かがしっかりと抱きとめて地上に降ろしてくれる。
「おい、お前大丈夫か?」
それは、全身くろずくめの男だった。
長い前髪で顔半分を隠してはいるが、見えている方の瞳は知的で穏やかな光を帯び、口元は柔らかく微笑んでいる。
「彗様、ですよね?」
不意に彼が囁いた言葉にマオは虚を付かれ、無造作にその黒いマントを握りしめた。
彗を知っているのか?
そう問うべく口を開いたマオだったのだが。
「う゛ッ……」
急激に息苦しさを感じ、止めることもできないままに腹の中のものすべてを、吐いた。
めんどくさくなったらぶん投げるってのは作者の得意技です。