第16話/戦場
【死人の森】をいつ抜けたのか、そこには別世界が広がった。
天を突きさす白亜の巨塔と、同じく白亜の壁。ふたつの巨塔にはそれぞれに戦いの女神ヴェニアと慈愛の女神プシュテが祭られ、二神を守るようにぐるりと頑丈な壁が回されている。
ここはルシカ島。穏やかなイム海に浮かぶ小さな孤島。
この孤島には、およそ人の手で作られたとは考えられないほど荘厳で巨大な白亜の闘技場がある。二つの塔に二人の女神。見る者を圧倒する白亜の壁はぐるりと島ごと取り囲み、選ばれた者以外を寄せ付けることはない。人側でこの島に出入りすることができるのは、マルーン王、もしくはシェン王によって選出された戦士のみ。魔族側では、魔国の双壁をなすフロウとツィンクの印を持つものと一緒でなければ足を踏み入れることは許されない。もし、人であれ魔族であれ、誰の許しも得ずこの島に近づこうとする者があれば、海は大きな渦を巻き、空からは雷が降り注ぎ、そして島はその姿を見せることはない。
このルシカの闘技場こそが、人と魔族が争う戦場。誰もがその優美な競技場を夢に見、しかし、その誰もが決して足を踏み入れることを望まない終焉の地。
ある者は言う、ルシカの闘技場こそ魔族の巣窟であると。
またある者は言う、しかし、彼の地にこそ魔王城へとつながる道があるのだと。
「で……?奴らはいったい何をしているんだ?」
「だから、戦、だろ?」
半眼で腕組みをするレイの見つめる先には、巨大な二本の木の棒。一本は人の手で支えられ、残る一本は当然魔族によって支えられている。土煙をたてて、10人前後の小隊が、双方の陣地に立つ棒に向かって突撃する。あらゆる方向から攻撃を仕掛けては相手に防御され、あるいは第一陣を突破したとしても第二陣の防壁の前に撤退を余儀なくされる小隊もあった。
しかも、闘技場を駆け抜ける彼らの手には一切の武器や防具は握られていない。
武器となり楯となるのは己の拳と体躯のみ。言うなれば、ごりごりの力押し決戦。男臭くて、むさくて、暑苦しい戦争。
人も魔族も関係なく、力の限り駆け、殴りあい、蹴りあうその光景に、レイは頭を抱えた。
「これが人と魔族の戦争なのか……。こんな、棒倒しで勝敗を決めるのか……」
「いや、これはまだいい方だ。女装大会、腕相撲大会、カードゲーム大会、人間ピラミッド大会など多種多様のあらゆる戦があり、そこには莫大な掛け金が存在する。引き分けなど許されない、血で血を洗う真剣勝負なのだ!」
力説するマオを横目に、レイはがくりと肩を落とした。
今、彼の脳裏には魔王城へと導いてくれたある女性の姿が浮かんでいた。
彼女は目深にかぶったフードの下で楽しそうにコロコロと笑う。
「真実は自分の目で確かめることです。人々が噂することや誰かから聞いた話ではなく、その眼にしっかりと真実を映し、そして考えることです」
と。
はじめてリオネの城から出て、自分の目で見た世間では、魔族は絶対悪だった。そして、少しでも魔力を持つ者は異端として冷遇され、迫害され、同時にひどく恐れられていた。
人の前で魔力を使うことは許されない。従者はよく口を酸っぱくして言い聞かせてきたものだった。幸い、自国を出てからはついぞ魔力を使う機会は訪れなかったわけだが、人々の、魔族を、そして魔力を持つ者に対して繰り返す呪詛を聞くだけでずいぶんと注意深くなったものだった。まして、人が生む、憎悪や怒り、悲しみや猜疑心などを魔力の根源とするリオネの民にとって、その世界で魔力を使おうと試みるのは明らかに自殺行為であった。魔力の制御に失敗し、力を暴走させて自分の精神を崩壊させる、最悪の自殺を招く可能性は高い。
人は誰もが魔族を憎んでいた。
だから、人と魔族が戦いを繰り広げている現場では、その憎しみの渦の本流があるに違いないと思っていたのに。
このルシカの闘技場を駆る男たちは、どれも皆一様に真剣な表情で戦っているのだが、そこには微塵の憎悪も怒りもない。ただただ、全力で力をぶつけあうだけのこと。中には心から戦いを楽しんでいる人もいる。負傷した人を救護する魔族もいる。
お祭り騒ぎに等しいそれを見据え、彼はふぅっと息を吐いて小さく笑う。
「なんとなく、マルーン王とシェン王の最終的な思惑が分かった気がする。これが、【人】の王たちと約束した戦いなんだな?」
「そうだ」
なんの表情も浮かべずにマオが頷く。
「今はこれでいいんだ。いつか必ず答えは出る。俺が死んでも次の世代たちが答えを出してくれればそれでいい。焦る必要はない」
「なるほど、ね。それじゃあ、とりあえず」
「やるか?」
マオとレイの瞳が交わる。
そして、両陣営ともに、棒を持つ幾人かの兵士と、将軍が率いる大隊だけがさらされたところを見計らって、二人は魔王軍陣営へと駆けだした。
すみません。むしろただの男祭りです。あいたたた……ゴミ投げないでぇぇぇ……。