第15話/出立
「どう思う?」
「何が?」
「何がって、魔王様のことに決まってるだろう?ルゴ様がおっしゃっていたように姿を変えて俺達の中にいるんだぜ?気になるじゃねぇか」
黒一色の鎧に身を包んだ男たちがあちこで囁いているのは、先程宰相ルゴより発表された魔王に関する重大機密。
鈍色の空の下、広場に召集された兵士たちの前に現れたのは、魔国の主である魔王その人ではなかった。どよめく黒色や観衆たちに、ルゴは穏やかな声で告げた。
「魔王様は姿を変えてあなた方の中にいます。よく耳を澄ませて下さい。魔王様の魔力がすぐ近くに感じられるでしょう?そうです、あなた方のすぐ側に魔王様はおいでなのです」
にっこりと笑ったルゴの言葉の通り、各々が微弱ながらも魔王のものと思われる魔力を感じ取ったのか、疑念のざわめきは去り、水を打ったように静まり返る。
「今回このような方法を取るのには魔王様のお考えがあってのこと。勝手な詮索や疑惑から軽率な行動をとれば統率が乱れ死者が出るやもしれません。各人気を引き締め、無事に生還するようにと、魔王様は仰っておりました。そして、私も、あなた方の健闘を祈っています。どうか無事に家族のもとへ帰ってきてください」
おおー……。ルゴの言葉が終わるやいなや、兵士たちの間からは大地を揺さぶる雄々しい叫び声が飛び出し、観衆たちからは魔王を称える声援が飛び交った。
そして、戦場から兵士たちを引き上げてきた時と同様、フロウ配下のレテという男が先頭に立ち、今度は戦場への一歩を踏み出したのだった。
地を蹴る双頭の獅子が描かれた軍旗が高々と掲げられて風をはらむ。その金色の獅子が空へと駆るように、どんよりとした雲間から光が差し込んでいた。
「確かに、いきなり魔王様が戦場に現れたらあっちは泡食って何しでかすか分からねぇよなぁ…それは俺にも分かるんだが、なぜ味方の俺達にまで姿を隠すことがあるんだ?」
「敵を欺くためにはまず味方からって言うだろう?例えば、そうだな、あそこを歩いているヤツ、銀髪の男だ。あいつが魔王様だとしたらどうする?普通に接することなんてまず無理だ。怪我をすりゃあまわりで大騒ぎしちまうし、そうなったら皆で周りを固めちまうだろ?敵にしてみりゃなんかあるとすぐに勘付くわな」
「なるほど、そいつぁ、狙ってくれと言わんばかりだな」
「いずれにしても、魔王様は我々とともにある。我々は我々のできることをしよう。お前さんにだって帰るべき場所があるんだろう?」
群衆の中、亜麻色の髪をした女性が男たちに向かって熱心に手を振っているのを顎で指し、頬に傷のある兵士はにやりと笑った。
黒い波がうねりながら前へ前へと進む中、徐々に遅れだした者がある。先刻、しばしの間離れ離れになる恋人たちを冷やかしていた、頬に傷のある、あの兵士であった。周りの兵士たちが気遣うのを片手をあげて答え、徐々に重くなる足を引きずっているうち、とうとう最後尾まで到達してしまったらしい。
「大丈夫か?おい、肩を貸してやる、しっかりしろ」
「いやそれよりも医療班に。我々のすぐ後方にいる部隊だ。おい、お前、なにか持病でもあるのか?」
同じ鎧を身につけた男たちに肩を担がれ、周りよりも頭一つ分小さな兵士はよろよろと道端に腰を下ろす。顔色は真っ青で息は荒く、目は死んだように光を失っている。頬を縦断する傷だけがいやに生々しく見えるのが気味が悪かった。
「大丈夫だ、先に行ってくれ。ここで待っていれば医療班と合流できるんだろ?あんたたちは、行ってくれ」
血の気のない顔で無理に笑おうとするものだから、その兵士の顔はくにゃりといびつになった。このような状態の同士を道端に置いて行くことができようか?両脇を支えている男たちは互いに顔を見合せ困惑した。
「しかし…」
「心配ならば、俺が付いていよう」
左肩を支えていた大男が異論を唱えようとしたところで、脇からぴしゃりと声を放つものがあった。
「そいつは俺の知り合いだ。だから気にせずあんたらは先に行ってくれ」
二人が振り向けばそこに一人の兵士の姿を認めた。すらりとした長身の男はぽかんと彼を眺めている男たちには目もくれず、おもむろに膝をつくと具合の悪そうな兵士の顔に素手で触れた。
「ん…気持ちいい…」
そのひんやりとした感触が心地よかったのか、触れられた方はうっとりと眼を閉じてされるがまま身を任せるように銀髪の男の懐に倒れ込む。それを目撃して、疎外感たっぷちの男たちはまたもや顔を見合せて困惑。
「実はこいつ、つい何日か前まで熱を出していたんだ。たぶんそれがぶり返したに違いない。手間をかけて悪かったな。俺はレイと言う。あとで礼を言いに行きたいんだが…」
「いや、礼には及ばん。借りは戦場で返してくれりゃあいいってことよ。じゃあな、俺たちゃ先に行くぜ。そっちのチビにはちゃんと養生するように言っといてくれや」
にいっと口角をあげて笑い、灰色の目をした男が立ちあがる。その後をもう一人が追う形で二人は黒い波の一部に戻って行った。
「うまくやれよ」
と、聞こえたのは気のせいでも風の悪戯でもないだろう。
灰色の目の男はこの熱っぽい兵士の正体を見破ったらしい。自分に対して意味ありげに笑ったのは、つまり、そういうことなのだろうと理解し、レイは深くため息をついた。
「自分で出鼻くじいてどうすんだっつーの」
彼らの黒い背中が見えなくなるまで待ち、そして後方から来るであろう兵站部隊と遭遇する前に、レイはぐったりとしているそれを担ぎ、急いで道をそれて森に分け入った。
キー…キー…。ゴォォォォ……。ミシィィィィ……。
【死人の森】と噂されるだけあって方々から不気味な声が聞こえる。しかも、先程まで惜しみなく降り注いでいた太陽の光は鬱蒼と生い茂る木々のせいで一筋も差し込むことがない。どこまでも暗い森の中を水を求めてレイは進む。
得体のしれない鳴き声に混じり、微かに聞こえてくる水の流れの音を聞きわけて彼は右手に進路を変える。果たして、そこには苔むした岩岩をすべり落ちる清流があった。
片膝を立てて腕の中の者の背中を支え、レイはその熱っぽい唇に水を含ませる。
「大丈夫か?」
「あ…あ…、少し体がだるいだけだ。迷惑をかけたな」
大粒の汗を流しながらなにが少し体がだるいだ。心の中で毒づいて、レイはその手で相手の鎧を解きにかかった。
「なに…!?ちょ、っと、オイ…!待て!!彗!!」
「今は彗じゃなくてレイだって言ってるだろー?はいはーい、こんな呪いのくっついたやつなんて脱いじまえー」
抵抗空しく、男の手で鎧はおろか衣服まではぎとられそうになったところで、小柄な兵士は緑色の美しい瞳を潤ませて、胸板の代わりの柔らかな肉を両腕で守りに入った。
「別にへるもんじゃねぇだろ?それにこっちは見慣れてるってのに。そんなに必死に隠すほどのもんかねぇ?」
「うるさい!うるさいッ!あんたには羞恥心てもんがないのか!?一国の姫がなんて破廉恥な!!」
「一国の王がぴーぴーうるせぇんだよ。ってゆーか、少し綺麗に化けすぎじゃないのか?そんなんじゃいつか襲われるね。ってゆーか、今ここで俺が襲ってやってもいいけど?」
「ひぃぃぃぃぃぃ…ッッ!!」
迫る男に女は震えあがる。
「ま、それは冗談として。とりあえず、そこの泉で身体を清めろ。鎧の呪が浸みこんじまうぞ?あ、なんなら脱ぐのを手伝ってやるが?」
「お断りだ!!」
噛みつく勢いで男に一瞥くれると、女は木陰に隠れてするりと衣服を脱ぎ、言われた通りに清流が作りだした小さな泉にすぐさま身を沈めた。
「見るなよ!」
見たくても肩まで水に浸かられてしまったのでは覗きようもない。
レイはつまらなさそうに腰の剣を抜くと、女の付けていた鎧を粉々に打ち砕きはじめた。
「それで?この鎧は何なんだ?ものすごく強い呪を感じるんだが。なんの嫌がらせなんだ?」
「呪じゃない。強力な防御魔法が施してあるんだ。シャロムがどうしてもそれを付けて行けと譲らなくてな。本当はあいつを蹴り倒してもそんなもの付けたくなかったんだが、レジィが間に入って、いがみ合うなと泣くもんだからつい…」
「いつもながら甘いこと。それで途中で倒れてたら意味ねぇっつーの。ところで、なんでまた女の姿なんだ?魔王様」
「そっちこそ、どうして男になんてなってる?彗」
にやりと笑う、もとは彗であった男と、もとは魔王であった儚げな女の視線がぶつかった。
「容姿を偽ろうとしたら、まぁ、まずは性別を変えるのが基本だってことだよな?お互いにさ?で?俺はレイと名乗ることにしたんだが、そっちは?これから何と呼べばいいんだ?」
背負っていた大荷物の中から一枚の布を引っ張り出して、レイは意地の悪い笑みを浮かべる。泉からあがり、身を包む乾いた布が欲しければ自分の所まで来い、というふうに、彼は胡坐をかいて動かない。
「根性がねじまがってるな、あんた」
「いやー、一回でいいからこんな意地悪いことしてみたかったんだ。もとから女に生まれてなくてよかったな。からかうと面白くてしようがない。あ、そうだ。俺に名前を決めさせてくれたらこの布を持って行ってやってもいいぞ?」
しばしの沈黙の後、もと魔王は渋々のうちに首を縦に振った。
「よし、じゃあ、今日からあんたはマオ、な。いい名前だろ?いい名前だよなー。うん、いい名前だ」
「安直すぎるだろう…」
「何か言ったか?」
布を再び荷物の中にしまおうとしているレイに、
「何も言ってないです!今日からお、じゃなくて、私はマオで結構です!!」
と、もと魔王の、これからはマオという名が授けられた女性はガチガチと凍えながら泣きついた。
魔王が乙女〜。彗のセクハラっぷりが楽し〜。