第10話/帰郷
新生魔王城の出来は最悪だった。
魔王の理屈でいけば、「城を構成していた瓦礫すべてを使って元に戻せば、即ち、魔王城がよみがえる」はずであった。
しかし、蓋を開けてみれば、それは夢のまた夢の夢の寝言の話だったことを、その場にいる全員が思い知らされていた。居住用の城として、また、万が一勇者に踏み込まれた際のことも考えて作られていた、荘厳で美しかった城の面影は欠片もなく、そこに突っ立っているのは表情のない木偶の坊なのである。
まず、第一に造形美が無い。第二に、とても生活が営める状態ではない。
魔王が魔王城だと言い張るそれは、四方の壁に栓程度の屋根が乗っかっているだけ。ただそれだけなのである。窓がなく、従って光も差し込まずじめじめしているし、床も貼られていないのでむき出しの地面からの冷気で簡単に体温を奪われるし、何より、部屋というものがない。壁も、いや、仕切りもなく、のっぺりとしただだっ広い空間がひとつだけ。
今時、家畜小屋だってもう少し工夫されたものだろうに。これを城と呼んでしまったら、掘っ立て小屋を要塞と呼ばねばならないだろう。
「なんてことしてくれるんですかッッ!先代様から受け継いだ魔王城を破壊しつくしてその上このような冒涜!先代様に合わせる顔がありません!何を考えているんですかッッ!!」
「いや、できる限り最大限に努力したんだが…」
「美的感覚がおかしいんでしょうねぇ。普段から美しいものを愛でる習慣がないとは実に恐ろしきことですねぇ」
「いや、元に戻そうとしただけで…」
「魔王、悪いけど俺は向こうで戦してこなくちゃならねぇから行くぜ?」
「え?ああ、そうか、その、適当に頼む」
「兄様!レジィはこのバカでかい牢獄のような住まいでも兄様と一緒ならどんとこいです!家畜とだって一緒に寝て見せます!」
「…そうか、すまないな…」
ルゴに泣きつかれ、ツィンクには冷笑され、フロウにはとっとと自分の任務に付くという形で見放され、残ったレジィだけが頬を上気させて魔王にまとわりついている。
その少し離れた所で警護兵たちが円を描いて彗の手当てをしていた。
手当といっても、ただ顔に付いた煤をふき取り、細かい傷を消毒していくだけの作業なので、大半の者は魔王の作りだした新しい魔王城を眺めては絶句している。中には小刻みに肩を揺らし俯いている者さえいたが、それは見なかったことにして、魔王は彗の横顔に視線を注いだ。
徐々に明るくなってくる空に浮かぶ巨大な小屋以下のもの。彗はそれをしげしげと眺めて、太陽と同じ金色の目を魔王に向ける。そして、からかうような笑顔を作って口を動かした。
さ、い、あ、く。
と。
言うだけ言って、彼女はすぐに魔王から視線を外した。
新しい太陽の光が彼女のきらめく銀色の髪を滑り落ちていく。
彼女の視線はとっくにそらされてしまったというのに、どうしてか魔王の目はいまだ彼女の横顔を追っていた。
「魔王様、とにかくこのままではどうすることもできません。一度国に帰りましょう」
「ああ、そうだな」
するりと出た魔王の肯定の言葉に、問いかけたルゴを含め、ツィンクもレジィも一瞬虚をつかれ硬直した。
「なんだ?」
ようやく銀色の髪から視線を引きはがした魔王が不愉快そうに眉をしかめる。
「えーと、私は国に、レミアムに帰ることをお勧めしたんですが、聞き間違っていませんか?」
「ちゃんと聞いていた。レミアムに帰ろう」
再びの沈黙が降りる。
「ええーと、兄様、それは、大兄様に会うことになりますよ?」
「シャロムに国を任せているのだから当然だろう」
何を今更?逆に、レジィの方が魔王に問い返されて言葉に詰まる。
それでも、レジィは自分の記憶の中、冷たい眼差しで睨みあう二人の兄の姿を潜ませ、黒い大きな瞳で魔王を見上げては不安そうに顔を歪めている。
「大丈夫、心配することはない。今ならシャロムともうまくやれる気がするんだ」
「でも…」
「別にいいじゃない。そのレミアムとかいうところに行こうじゃないの」
反論しようとするレジィの口を物理的にふさいで割って入ったのは彗。後ろから包み込むように右手でレジィの口を、左手でその細い肩を抱いている。
「もごーーー!もぐもぐもぐもぐふぅ、むぐむぐむーーーー!!」
「別に。魔族の国なんて興味ないわ。私はただ魔王にやる気を出してもらって、均衡を保ってほしいだけよ?」
「むもぉーむぐむもむ!」
「信じてくれなくっても結構よ。でも、私はお腹が空いたし、眠いの。それに、熱いお湯の中で手足を伸ばしたいわけ。レジィちゃんだっけ?あなた、こんな湯浴みもできないところで大好きなお兄様の傍にいたいわけ?」
にやにやと彗が耳元で笑えば、レジィは顔を青くした。
さらに、ぽそりと、魔王にさえ聞こえないように何かを告げられると、レジィは観念したようにぐったりと項垂れてしまった。
「素直が一番よね。さぁ、そのレミなんとかってところに行ってゆっくり寝るわよ!」
彗は嬉々としてレジィの短い黒髪を撫でまわし、目で魔王を促した。気恥ずかしさからか苛立ちからか、レジィはするりと細い腕から抜け出して、全速力で堀の向こうの森の中へ姿を消してしまった。
「何だ?レジィに何を言ったんだ?」
「うん?まぁ、女の子は身だしなみが大切って言っただけよ?」
所々大きく裂けた服をまとったお姫様が自分のことは棚に上げて胸を張った。
「よくレジィが女だと分かったな」
「当たり前よ。あんなに可愛い顔した男の子がいたらまずいわ。それに、あなたの部下は女の子好きなんでしょ?」
「ええ、もちろんですとも。彗様、遠慮なく私の胸にどーんと飛び込んでいらっしゃっ…ぐふッ」
にょっきりと魔王と彗の間に現れたツィンクを無言で張り倒し、彼女はその屍をおもいきり踏みつけた。
「ツィンクとか言ったっけ?バカには容赦しないからそのつもりでね」
ルゴと兵士たちがやれやれと首を振る中、魔王はこの見た目は儚げなお姫さまを守る必要性がどれほど薄いものか再確認していた。
雪が降ってます。雪×大福が食べたいです。