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5.闇よりの声

 孤児院を訪れるとべそをかくチビたちの姿があった。

 ルリハはいない。

 僕は呆然としたままつぶやいた。


「今……なんて?」

「ルリハお姉ちゃんが、連れていかれちゃった」


 答えたのはリリだ。

 ほとんど泣きそうになりながら、震え声で続けた。


「昨日、勇者様が来て、お姉ちゃんと何か話してたの。その後お姉ちゃんが、わたしはいかなきゃいけないからって……でも大丈夫だからって……」

「それで行っちゃったのか? お前たちを置いて?」

「うん……っ」


 言い終えてリリも泣き出してしまった。

 僕は信じられない思いでその声を聞いていた。

 ルリハに限ってそんなのあり得ない。

 そう何度もつぶやきながら。


 その後しばらくしてから、ルリハの後を引き継いだという眼鏡の女性が現れた。

 僕はその人に詰め寄った。


「ルリハが連れていかれたってどういうことです」


 彼女が言うにはこうだった。

 先日この孤児院を訪れた勇者は、その窮状を見かねてルリハの借金を肩代わりした。それに感激したルリハは勇者に連れて行って欲しいと願い出た、と。

 僕は首を振って言った。


「それはおかしいです。あの子たちの話と食い違います。それにルリハがこの孤児院を放り出して出ていくなんて」

「子供の記憶なんて当てになりませんよ」

「は……?」


 面食らった僕に女性は続けた。


「あのルリハという娘は孤児院の運営で疲れ切っていました。抱えていた悩みも並大抵のものではなかったのでしょう。そろそろ楽になりたかったのではありませんか?」

「いや、でも」

「ご心配なさらずともわたしはこの孤児院を存続させますよ。勇者様に何としてでも守るように言われましたからね。それともあなたがやってくださいますか?」


 そういうことじゃない。

 僕はそういうことを言ってるんじゃない。

 楽になりたいからなんて理由でルリハが出ていくなんて信じられない。

 ルリハがそういう娘なわけないだろう。


 でも僕は言われるままに引き下がってしまった。

 もしかしたら、と思ってしまったのかもしれない。

 ルリハが強い人だなんていうのは僕の勝手な思い込みで、それどころかむしろ押しつけの願望で、本当に自分から望んで勇者についていったのかも、と。


 その夜は飲みたい気分だった。

 飲んで泥のようにぐちゃぐちゃになってしまいたかった。

 でもやめた。夜の見回りがあるからだ。

 僕は腐る勇気も持っていなかった。


 月が冴え冴えと明るかった。

 街路を力ない足取りで進みながら、僕は悪い予感が当たったと思った。

 あの時はそれがどういったものだったか分からなかったけど、今になってみるとよく分かる。

 ルリハが取られてしまうんじゃないかっていう予感だ。


 今、彼女はどこにいるんだろう。

 勇者の滞在のための館がどこかにあるんだろうけれど、そこだろうか。

 そして、勇者を囲む美女たちの一人としてしなだれかかっているのだろうか。

 嫌な想像だ。

 吐き気がした。


 重い気分のまま僕は後ろポケットから指輪を取り出した。

 ルリハに渡そうと思って結局渡せなかったもの。

 高価なものじゃないし気に入ってくれるかもわからなかったけど、それでも一生懸命給料をためた。

 これでルリハに結婚を申し込むつもりだったのに。


 ルリハと出会ったのはもう十年も前になる。

 その時僕は両親を亡くして引き取り手がいないままシスター・レイナの孤児院に身を寄せたところだった。


 その時に学んだことがいくつかあった。

 大切な人はいきなりいなくなってしまうものだということ。

 引き取り手となり得る親戚はいたけれど、自分はその人たちには必要とされていなかったということ。

 自分は一人なんだな、ということ。


 僕はだいぶ落ち込んだ。

 孤児院の子供たちが話しかけても返事もしなかったし、なるべく一人でいようとした。

 なんでそうしたのかは今となっては思い出せないけれど、何か諦めのようなものを感じていたのかもしれない。

 どうしたところで人は一人なんだ、と。


「なーに暗い顔してんのよ。ちょっとこっち来なさいよ」


 他の子たちが僕を相手にしなくなる中、それでもちょっかいをかけてきたのはルリハだった。


「なんで睨むの。こっち来なさいっていうのが聞こえない?」


 僕は反発した。

 放っておいてくれと疎ましく思った。

 それでもルリハは関わってくるのをやめなかった。


「お花の種植えるの手伝って」

「やだよ。何で僕が」

「手伝ってほしいから」

「他の子に頼んでよ」

「嫌よ。わたしはあなたに手伝ってほしいんだから」

「……」


 人生に諦めを覚えていた僕でも、必要とされたのは素直にうれしかった。

 それから毎日ルリハに引っ張りまわされているうちに自分が一人だということを忘れた。

 そのうちに孤児院のみんなとも仲良くなった。


「なんかイライラしたのよね、あの時あんた見てたら」


 後にルリハはそう言っていた。


「くらーい顔して、僕もう諦めてます人生に意味なんかありません、的な?」


 楽しそうに笑っていた。


「そんなのなんとしてでも否定するしかないじゃない」


 僕は夜の闇に指輪を投げ捨てた。


「くそ!」


 小さな音を立てて指輪はどこかへ行ってしまった。


「くそ……」


 もう取り返しがつかない。

 もう二度とルリハには会えない? そうかもしれない。

 勇者が相手ではどうしようもない。


 僕は早足で歩き出した。

 この国を出よう。

 そう思った。


 職務放棄? 知ったことか。くそくらえだ。

 もう嫌だ。

 どこか遠くへ行こう。


 自棄になったまま僕は歩き続けた。

 夜の闇は濃くなっていく。

 月はかげり、厚く霧がかかり……


「惨めだな、人間よ」


 ふと聞こえた声に、僕は思わず立ち止まった。

 見回すが誰の姿もない。

 厚く沈殿する闇だけがそこにあった。

 いや、何者かの視線は感じる……?


「誰だ」


 僕の問いにその何者かは笑い声で応じた。


「我輩と取引しないか、人間」

「取引?」


 後ずさりしながら囁く。

 周りはもう何も見えないほどの暗闇で、今もさらに漆黒に塗りつぶされているようにも感じる。

 誰かの声はよこしまな響きで僕に絡みついた。


「応じるなら悪いようにはせんぞ……」

「だから、誰なんだ」

「想い人を取り戻したいのであろう?」

「なにを……」

「貴様はあの勇者を八つ裂きにしたいほど憎んでいる。違うか? ならば応じよ。望みを叶えてやろうぞ」


 勇者と言われて、僕の心にちらりと何かが浮かんだ。

 それはどろりとしていて、ヒリヒリと熱かった。

 それを自覚した瞬間、僕の中に何かが飛び込んできた。


 濁流のように激しく、鉛のように重く。

 その何かを吸い込み切ったところで。

 僕の意識はそこで途絶えた。

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