4.消えた彼女
「いてて……」
「こら、動かないの。消毒しないと後で困るでしょ」
騒動が収まってからしばらく。
僕は孤児院の中でルリハに手当てをしてもらっていた。
「ジャクス、大丈夫……?」
リリが心配そうに声をかけてくる。
孤児院のチビたちの中で一番気の弱い子だ。
正直まだ鈍い痛みが残っていたけれど、心配させないために無理して笑いかけた。
「鼻血はもう止まったから。大丈夫」
本当はあまり大丈夫じゃない。
痛みはもちろん、精神的な意味でも。
勇者の姿はもうなかった。
ルリハと何か言葉を交わした後、どこかへと行ってしまった。
例の男たちは転がしたままだ。
気になってルリハに訊ねた。
「……勇者様はなんて?」
「後は自分に任せて、だって。また来るとも言ってたわ」
「また来る? なんで」
「さあ……それはわたしにもよくわからないけど」
僕はなんだか嫌な予感がした。
その予感の正体がなんだかは分からなかったけれど。
「そもそも勇者様がなんでこんなところに来たんだろう。さっきまで凱旋パレードに出てたのに」
「こんなところってどういう意味よ」
ルリハが不満そうに口を尖らせた。
「助かったのは確かでしょ。なんか文句でもあるの?」
「いや、ないよ。でもちょっとタイミングが良すぎるというか」
「昇進しないくせにいっちょまえに人を疑る癖は身についちゃってやあね」
それを言われてしまうと黙るしかない。
「文句があるなら自分で追い払えばよかったじゃん」
同調して声を上げたのはチビたちの一人、いたずらっ子のミィルだ。
彼は頭の後ろで手を組んで、あきれ顔でこちらを見上げた。
「警兵なんだからあんなヤクザの一人や二人、なんとかできなくてどうするんだよ。自分は簡単にやっつけられちゃってるのに人のやることには文句つけるってカッコ悪くねえ?」
「ちょっとミィル……」
リリが口を挟むが口調は弱い。
「ジャクスも勇者様の半分くらいでも強かったらよかったのにな」
言葉がやけに鋭く刺さった。
何も言えない。
場が何とも言えない空気の中静まり返った。
同意半分、気遣い半分みたいな感じ。
当のミィルはまるで自分の言ったことに自覚なしといった様子だけれど。
「はいみんな、そろそろ勉強の時間よ。部屋に戻って本を開いて」
気まずさをやぶったのはルリハだった。
手を打ち鳴らしてチビたちを促す。
彼らが引き上げていくと、後に残されたのは僕たち二人だけだった。
「……ごめん、言いすぎた」
つぶやくルリハに首を振る。
「いや。まあ……事実だし」
薬箱を片付ける彼女の手元を見るともなしに見ながら、僕はずっと気になっていたことを口にした。
「借金って、なんで?」
ルリハの手が止まった。
「……そろそろ寄付金だけでの維持も大変でね」
なんでもない風に言おうとしたんだろうけれど、その声は少し硬い。
「いろいろ工夫はしてみたんだけどね」
「……そんなに厳しいの?」
「シスター・レイナがまだ生きていた頃でももう資金はカツカツだった。先代は上手くやりくりしてたんだけど、わたしは駄目だった」
そしてぽつりと言う。
「わたしがもっとしっかりしてれば違ったのかな……」
いつものルリハからは想像できない弱々しい声だった。
「ルリハはよくやってるよ」
本心から僕は言った。
実際事実だとも思う。
ルリハがやって駄目なら誰がやっても駄目なのだ。
ルリハ以上にこの孤児院のことを考えてる人はいないんだから。
「ルリハよりもやれる人なんかいないさ」
「……ありがとう」
そう言った彼女の表情はまだ暗かったけれど。
僕は努めて明るく言った。
「さっきの男たちのことは警兵隊の方にも話をしておくよ。きっと何か対策をしてくれると思う」
「うん、お願い」
「それじゃあ僕はこれで行くよ」
立ち上がって出口へ向かう。
と、ルリハがふいに声を上げた。
「あ、そういえばさっきの話ってなんだったの?」
「さっきの話?」
「庭での話」
「ああ……あれ」
僕は無意識に後ろポケットを押さえた。
というよりそこにある指輪をだ。
「あれは……また今度話すよ」
「そう……?」
「そんなに大事な話じゃないんだ。急ぎでもない。だから、また今度で」
ルリハは黙ってこちらを見つめてからうなずいた。
「……わかった。また今度ね」
僕は逃げた。
本当はちゃんと今言うべきことだったのに。
彼女を男たちから守れなかったことで自信を折ってしまった。
「ジャクス、ごめんね」
「? 何が?」
「わたしが借金しちゃったせいで痛い思いさせちゃって」
僕は笑って首を振った。
彼女の苦労に比べればこんな痛みなんて。
孤児院を出てから、借金の件は早く何とかしないとなと僕は考えた。
プロポーズの件はそれからだ。
次来た時にちゃんと言おう。
そして次に孤児院を訪れたとき。
そこにはすでに彼女の姿はなかった。