2.孤児院のルリハ
仕事が一段落した後、僕はヘロヘロになって街はずれを歩いていた。
「ああキツい……キツいキツい。勇者様が帰ってくるくらいであんなに騒ぐことないじゃないか」
終わり際に太ったおばさんに突き飛ばされたおかげでぶつけた背中や腰がひどく痛い。
威力が体を突き抜けて、芯の部分に痛みが残っているのが分かる。
ああいう馬鹿力は一体どこから出てくるものなのだろうと疑問に思った。
ホント理解できそうにない。
「おかげで上司にはどやされるし、勇者様もいいことばかり持ってくるわけじゃないんだな……」
ぼやいているうちに目的地に着いた。
僕はもう一度腰をさすってから、その門に手をかけた。
敷地に入ると小さな教会が立っている。
古びていてあちこち汚れが目立つ。
それでも拙い修繕の跡がいくつかあって、丁寧に使われているのはよく分かる。
静かだった。
表には誰もいないようなので裏庭に回った。
そこにしゃがみ込む栗色のポニーテールが見えて、僕は息を吸った。
「……ルリハ!」
こちらを振り返った彼女は、立ち上がって小首を傾げた。
◆◇◆
二人並んで庭のベンチに腰掛けてから、ルリハは額の汗をぬぐってポニーテールをほどいた。
たっぷりとした長い髪がふわりと広がった。
「久しぶりね、ジャクス。もう顔出さないんじゃないかと思った」
つんとした言い方に僕は苦笑いする。
「そんなわけないじゃないか。最近はちょっと忙しかったんだよ」
「勇者様の凱旋とか?」
「うん、まあそんなとこ」
「へえ。それは大変。ろくに昇進もしないくせに」
「ぐ。痛いとこ突くな……」
ルリハは相変わらず容赦がない。
ぱっと見では可愛らしくておとなしそうな女の子なのに思ったことはズバズバ言う。
まあ警兵隊に入ってから早二年、いまだに最下級の兵士な僕も僕なんだけれど。
「これでも頑張ってるんだよ。見えないところで努力もしてるつもりだし」
「で、一生誰にも見えないまんまで終わっちゃうワケ?」
「そんなことないよ。誰かは見ていてくれるさ……多分」
「お気楽ね。ホントにのし上がる気あるのかしら」
どうだろう。
確かに給金はもっともらえるようになりたいけれど。
でもまあ確かにせっかくこの孤児院を出てまで入隊したのだから、できるだけ上には行けた方がいい。
「そういえばチビたちは元気?」
チビたちというのは孤児院の子供たちのことだ。
つまり僕たちの後輩ということになる。
「まあね。ミィルはいつも通りイタズラばかりだし、リリは気が弱いまんまだけど。それでも元気には違いないわ。今はお昼寝の時間。みんな気持ちよさそうに眠ってる」
建物を振り返るルリハの表情はさっきまでとうってかわって優しい。
先代のここの運営者、シスター・レイナが亡くなったのはもう二年も前になる。
彼女亡き後解体されるはずだったこの院を引き継いだのはまだ十六歳のルリハだった。
「わたしがやる。じゃなきゃ誰がやるの」
彼女は静かにそう宣言した。
それからというもの、孤児院の金銭的やりくり、建物の修繕、チビたちの世話、その他諸々はすべてルリハがこなしている。
こんなガサツそうな言動をしているくせに、彼女の仕事には抜かりがない。
どんなに忙しくても彼女のブラウスは真っ白で、しわひとつない。
つまり、そういうことだと思う。
対して、と思う。
僕はどうだろう。
二年前、シスター・レイナが死んだのを機にこの孤児院を出てから進歩はあっただろうか。
「本当に行くの?」
あの日ルリハは僕を強いまなざしで見ていた。
ほとんど睨みつけるように。
僕はその視線を避けるように孤児院の建物を見上げて、言った。
「うん。そろそろここを出て自立したいんだ」
「自立なんてここを出なくたってできるじゃない。自分で立ってればそれは自立よ。違う?」
違わない。と思う。
それでも僕は首を振った。
「それでも僕は行くよ。だって行きたいから」
「……」
怒られると思った。なじられると思った。
でも彼女はそのどちらもしなかった。
ただ、深呼吸をしてから、また僕を見た。
今度はいくらか柔らかいまなざしで。
「分かった。……行ってらっしゃい」
その手がスカートを握っているのを見て、僕は胸が痛んだ。
昼下がりの柔らかな日差しの下、ルリハが孤児院の建物から僕に視線を戻した。
「ところで今日はなんの用事?」
心臓が跳ねた。
僕は強烈にズボンの後ろポケットを意識した。
「いやあ……その。特に何の用事ってわけでもないんだけど」
そうじゃないだろ、と心の僕がツッコミを入れた。
「そう? じゃあ顔見せに寄っただけ?」
「そうでも、ないかも?」
「どっちよ」
ルリハがあきれ顔になる。
僕は少し待ってほしい旨を手振りで示してから、目を閉じてゆっくり深く呼吸した。
「なに? なんなの?」
ルリハがどんどん不審なものを見る目つきになっていく。
僕は喉から飛び出そうなほど高鳴っている心臓をなんとかなだめながら、言った。
「ルリハ。落ち着いて聞いてほしい」
「いや別に落ち着いてるわよ」
「良いニュースと悪いニュースが」
「ないでしょ。いいから早く言いなさいよ」
こんなに緊張しているのに分かってくれない。
僕は若干不満に思いながらそれを口にした。
「僕は、その、ダメな奴だ」
「知ってるわよ」
ひどい。
「でも、そんな僕でも、誓いは、守りたいと思ってる」
「誓い?」
「うん。そう。誓いだ」
区切りながら一言一言。
我ながらじれったい。
それでも何とか言っていく。
「昔、指切りした誓い。これから結ぶ誓い。それを、守っていきたいと思ってる」
「う、うん」
さすがにいつもと違う雰囲気は察してくれたらしい。
ルリハも聞き入る体勢に入っていた。
「僕は、その、あの、君と」
「わたしと?」
「ずっと、一緒に、えっと」
ええいまどろっこしい!
心の僕が火を噴いて暴れていたけれど、それでもなんとか最後の言葉までたどり着きそうだった。
たどりつきそうだったというのはまあ、結局たどりつかなかったからだ。
「おおい誰かいねえのかよ!」
表の方から大声と物音がして、僕ははっと顔を上げた。
もう一度物音。
怪訝に思いながらルリハの方を見やる。
「……」
彼女は何かを察したのか、さっと顔を曇らせていた。