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〜第4話〜棋盤の錬と術師(第1部完)

『先手、7二銀』


 デホはさっと駒を動かした。なんとか防御を固めようと王の元に駒を引き寄せる。それをあざ笑うかのようにプリアムはデホの陣地へ駒を侵入させる。パチパチと展開が進んでいく。そして決定的な一手が指された。


『後手、3九竜』


 プリアムの竜が、のど笛に噛みついた。遮蔽する銀を取り、デホの玉に肉薄していた。金一枚と銀一枚だけの貧弱な守り。持ち駒は歩のみである。


「くふふ、王手だ」


 プリアムは笑った。盤上の様子を見ればその理由は明らかだった。デホの5九の位置にいる王は角や桂馬の集中砲火にあい、もう動かすことができない。ならば竜の王手をかわすため、間に合い駒をするしかない。けれど持ち駒が歩のみで、4筋にはすでに歩が一枚張られている。二歩禁止のルールがある以上、歩を張ることができない。つまりその状況は「詰み」であった。

 なんと呆気ない最後であろうか。プリアムはにひひと笑った。観客席の民たちは静まり返った。その中には先ほどつまみ出されたディリスもいた。彼女は真っ黒な瞳でその様子を見つめて、はらりと首を下げた。

 ただ一人、デホ自身だけは驚くほど落ち着いていた。何でもないかのように静かに持ち駒の歩へ手を伸ばした。そしてそれを銀の棋盤に叩きつけた。


『先手、4九と』


 マジックヴォイスはそうアナウンスした。


「……は?」


 会場が大きくざわめいた。ディリスは垂れていた頭をあげる。プリアムは大きく瞬きをして、棋盤を見た。それは決して見間違いではなかった。確かに竜の軌道を青く光る【と】の駒がせき止めていた。


「……どういうことだ?」


「これで、そっちの攻撃は止まったな。ついでに……」


 盤上にあったデホの歩、それらが青い光をまといはじめる。そして次々に裏返りはじめた。


『先手、1五歩、成ル。2五歩、成ル。3六歩、成ル。5三歩、成ル……』


 マジックヴォイスが狂ったように、盤上の様子を伝える。うろたえるプリアム。


「……まさかお前も……【棋能力者】…………」


 聞いたことがある。悪事を働く棋能力者を討伐するために、棋能力者の精鋭を集めた組織が存在する……。そしてその組織で最も強く、盤上の全ての歩を自由に【と金】に変える棋能力者、その名は……


「……【錬と術師れんきんじゅつし】……」


 プリアムは怖れが混じった目でデホを睨んだ。



◇◇◇



「……どうしてだ? 私の能力でお前は成れないはずだ!!」


「自分の能力くらい覚えておきなよ。お前の能力は、自分の陣地内にしか作用しない。つまり他の場所で成れる僕の能力には通用しない。現に、4三にあるこっちの歩は不成のままだ」


 奥歯を噛みしめるプリアム。

 ぜい弱だったデホの玉の守りが、と金に囲まれ盤石となっていた。焦ったプリアムはそれを打ち破らんと、強引に攻めをねじ込んでいく。


『後手、2八竜』


 ノータイムでデホは駒を打つ。


『先手、2七と』


 プリアムの顔がぐにゃりとゆがんだ。竜は攻めるどころか、退路を断たれた。


『後手、同竜』


 プリアムは「くそっ」と吐き捨てながら駒をひく。


『先手、同と』


 竜は狩りとられた。プリアムの攻めは、止まらざるを得なかった。


『先手、6一飛』


 プリアムの背すじが凍った。ついに自陣に敵の駒の侵入を許した。目の前の少年からこちらを引きちぎらんとばかりの威圧感をひしひしと出していた。


『後手、4一香』


 プリアムは受けにまわった。自陣がかき乱されている。こんな経験などここ10年は記憶にない。汗が背中からダラダラとふき出す。

 ぱちぱちとデホの駒が迫る。『5五と』『4四と』『5四と』。穴熊をいぶしだすように、デホのと金たちが迫る。


『先手、3一飛』


 肉薄するデホの駒。『2二王』。とうとう穴熊にこもっていたプリアムの王が動いた。デホの駒の追いたては止まらない。プリアムは転がるように王を逃がす。はぁはぁと動悸が激しく目には涙が滲んでいた。


「なぜだ……? 貴様らクズに……なぜ私が……?」


 彼は本当に理解できない。なぜ生まれながらの絶対的強者である自分が、このような煮え湯を飲まされるような思いをしなければならないのか? おぼつかない手で王をぽろりと盤に置く。


『後手、2四王』


「……おい王様、もうそこはお前の陣地じゃないよ」


 デホは歩を掴む。そしてばしりと叩きつけた。


『先手、3五と』


 銀の棋盤が大きく震え、ぴたりと静止した。王手。プリアムの王将は1四にしか逃げ場はない。そして1四に逃げても、『2五と』で、もう逃げ場がない。つまり……


「……僕の勝ちだ」


 デホは言った。観客席から歓声が飛ぶ。大騒ぎの中で、ディリスはぎゅうとスカートを握りながら、ひとり静かにデホを見つめている。


「嘘だ……。嘘だ。嘘だ!! こんなことがあってたまるか!!」


 髪の毛を掻きむしるプリアム。


「さぁ負けを認めろ。この街の人たちを苦しみから解放するんだ」


「……ふざけるなっ!! この詐欺師め!! 神聖なる将棋で騙しうちのような真似をしやがって。お前などに将棋を指す資格はない!!」


 自分を棚に上げてデホを罵倒するプリアム。デホは目を伏せながら呟いた。


「……知ってる」


 デホはプリアムの言葉に同意していた。そして彼はそっと指を伸ばす。


「認めたくないのならそれでいいよ。どうせその呪われた棋盤がお前を許さない」


 【銀の棋盤】から無数の銀の鎖が伸びた。それがプリアムを補足した。


「うぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 身体中を硬い金属に縛られ、プリアムはわめく。


「さぁ、最後のチャンスだよ。負けを認めろ」


「いやだ…………いやだあああああああああ!!!!」


 デホは残念そうに目をつむる。その叫び声が最後だった。プリアムは【銀の棋盤】に吸い込まれた。まるで丸呑みにされたようにすっぽり姿が消えた。


「……」


 無言で立ちつくすデホ。消えたあるじにうろたえる衛兵たち。デホはひょこりと衛兵のひとりに近づく。


「な、なんだ……!?」


 弱々しい叫び声を出す衛兵。


「ちょっと借りるよ」


 デホは衛兵の腰から剣を抜きとった。衛兵があっと文句を言う間もなくデホはそれを振りあげた。そして彼はそれを、銀の棋盤に振りおろした。

 ガシャリと音が鳴り、銀の棋盤はまっぷたつに割れた。飛び散る銀色の欠片。それがキラキラとディリスの瞳の中に降りそそいでいた。



◇◇◇



 彼はふらりと街はずれにいた。誰にも見つからないようひそりと足を進めていた。


「デホくん……!!」


 背中から大きな声がかけられた。ゆっくりと振りかえるとディリスが息をきらせて立っていた。急ぎ足で行こうとしたのになあと、デホはバツの悪そうな顔を浮かべた。


「デホくん、本当にありがとう」


 ディリスは深く頭を下げた。


「……あんまり僕に感謝しない方がいいよ」


 デホはふっと笑いながら言った。


「元々僕がこの街に来たのは、【棋能力】を悪用して領民を搾り取っている領主がいるから、そいつを排除してほしいと依頼を受けたからなんだ。そして、その通報をした奴はプリアムの利権をねたむ、別の【棋族】だ。僕の目的はそいつから貰う報酬だ」


 デホは乾いた唇で言う。


「本当に僕が優しいヒーローなら、最初から君を闘わせず、僕が表立って行けばよかったんだ……。実は僕は君を餌にしたんだ……。あいつとどうしても【銀の棋盤】で指す必要があったからね」


 そして彼は断言する。


「僕もあいつらと同じ、将棋の神を利用して利をむさぼる、卑しいやつなんだよ」


「うそ」


「え?」


 デホは顔をあげた。


「デホくん……ウソ、下手だよ。やっぱりデホくんは強かったし……、やっぱりデホくんは優しい人だった……」


 ディリスのまっすぐな目。デホは気恥ずかしくなって鼻を掻いた。


「なれるといいね。国家棋士」


「頑張る。でも、僕は弱いから……」


 デホはそう言って踵を返した。そして歩きだす。彼の背中にディリスが声をかける。


「またの、ご利用、お待ちしておりまーーーす!!」


 ぴょんぴょん跳びはね、手を振った。デホはちょこんと右手を上げてそれに応えた。

 今回のプライドを削る作業は終わった。いつも勝ちには徒労感だけが付きまとう。でも、ほろ苦い勝ちの中で感じた、ほんの僅かな充足感。デホはぶどうの皮を噛むように、奥歯で噛みしめていた。

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