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〜第2話〜決戦前夜

 その宿は、ディリスの売り文句とはまるでそぐわなかった。まず立地。多くの物乞いや、ぼろぼろの服を着た子どもたちが横行する、絵に描いたようなドヤ街。その奥にある、補修の板を多く貼りつけた、カビ臭い建物が彼女の宿屋だった。「いい宿は見た目じゃないわよ」。その言葉と共に背中を押され、部屋に案内されたが、目に飛び込んだのは、腐りかけの木の板に囲まれた薄暗い空間だった。脇におかれているベッドは、ところどころに茶色い染みが見えた。


「いい部屋でしょ。これが『情緒』って奴よ。今どき珍しいでしょ?」


 ディリスは悪びれもせずに言う。だからこそデホは、「やっぱりさっきのゴロツキと同じじゃないか?」とげんなりしてしまう。

 間も無く食事の時間になった。食堂に入って驚いた。決して広くはない食堂に、先ほど街を徘徊していた浮浪者や子どもたちが勢ぞろいしていたのだ。


「……これは?」


「はい、デホくんも配膳手伝って」


 両手にシチューの皿を持ったディリスが、デホにそれを押しつける。客にそんなことさせないでよ? の言葉を小心者のデホが言えるわけもなく、ディリスの言うがままに配膳を手伝った。


「「いただきまーーーーす!!!!」」


 皆でいっせいに手を合わせて言った。ランプの光で照らされた部屋で一斉にスプーンと皿がぶつかる音と噛む音が響き渡る。隣の者に肩がぶつからないよう、思いっきり身体をすぼめながら、デホはげんなりとした表情でスプーンを口に運ぶ。パチリと思いっきり目が瞬く。もう一口掬って口に入れる。噛みしめる。そしてもう一口入れる。そのスピードはどんどん増し、あっという間に皿を空にした。こんなに美味しいシチューを食べたのははじめてだった。


「どう、嘘はついてなかったでしょー」


 彼の背中からディリスが言った。


「ああ、本当においしい。ところで、おかわりをいただけると嬉しいんだけど」


 デホは空になった皿を差しだす。


「はいはーい。20Bね」


「…………。お金取るのっ!?」


「ええ」


 ディリスはにっこり答える。


「ビジター料金。安いもんでしょー」


 さらにディリスは、畳み掛けるようにウインクをした。デホはしぶしぶポケットからコインを取り出した。彼女は「まいどー」と、コインの置かれたデホの右手をぎゅっと大事そうに両手で握ってコインを受けとった。


「……旅の人。どうじゃ、ディリスちゃんは本当にいいコじゃろ」


 ディリスが皿を持って厨房にひっこむと、隣に座っていたおじいさんが言った。


「ええ。『イイコ』ですよね……」


 デホは苦々しく言った。


「ははは、夜はこうやってわしら稼ぎのない者にタダで施しをくれる。それでいて威張るわけでもいい人ぶるわけでもない。ああやって気のいい笑顔を振りまいてくれる。本当にいいコじゃよ」


 おじいさんは腫れぼったい目の皺をさらに深くさせながら言った。デホははらりとしてしまう。


「ところでお前さん。何が楽しくてこんな街に来たんじゃ? ろくな観光地もなければ名物もない。あるのは、わし等みたいな死に損ないばっかりだ」


「それなんですが、おじいさん、聞いてもいいですか?」


「なんじゃ?」


 デホはそっと耳打ちする。


「この街はなぜ、こんなに貧しいのですか? 街中貧民で溢れている……」


 この宿へ来るまでに見た景色。ほぼ全ての者が土気色の顔で、ぼろぼろの服をまとっていた。いくら辺境の街とはいえ、それは異様な光景だった。


「……それは、この街の領主である【棋族】のせいじゃ……」


「【棋族】?」


「ああ、プリアムという名のな……。奴はこの街の領主にして恐ろしく将棋が強い奴だった。最初はあの男の強いた凄まじい税に大人たちは反抗したが、ことごとく【銀の棋盤】の将棋に負け、八つ裂きにされて殺された。そして、逆に税はどんどんキツくなっていった……」


 おじいさんはため息をつく。


「……ディリスちゃんじゃ」


 突如おじいさんは彼女の名を呼ぶ。デホは「え?」と声を漏らす。


「……この街の将棋強者は漏れなく敗れた。だから彼女は、拳を握りしめて……『私が絶対みんなを救ってみせる』と言った。……あのコは大人顔負けの将棋の強さを持っていたからな……」


 それから彼女はより一掃将棋にのめり込んだ。街の皆を救う力を得るために……。


「そして、明日……」


「……『明日』?」


 デホは目を広げ、顔を近づけた。


「ハイ、おかわりーーー!!」


 ドンと大きな音とともに、デホの目の前に、溢れそうなシチューで満たされた皿が置かれた。


「デホくん、特別に大盛りにしておいたぞー。感謝しなさいよーー」


「……ああ」


 ディリスはにっこりと去って行った。老人は黙った。さっきのつづきは話してはくれなかった。明らかにディリスはその会話を中断させようとしていたのだから。



◇◇◇



 夜中寝つけなくて、デホは部屋から出て、階下に降りた。食堂でランプの灯りがぼんやりついていた。見るとディリスが木の将棋盤を広げ、必死な目つきで駒を動かしていた。

 そっと近づき、後ろから覗き込むデホ。息があたりそうな位置でも、彼女は気がつかない。彼女の顔は真に迫っていた。邪魔になりそうだとデホが踵を返そうとした時、ギイと古い床が鳴る。ディリスは「わっ!!」と後ろを振り向いた。


「……なんだ。デホくんか」


 穏やかな顔をつくり、ディリスは言った。


「将棋の勉強?」


「……うんそう」


 ディリスはにっこりと笑う。


「こんな遅くまで……」


 デホは窓から外を見ると、灯り一つ見えず、草木が暗く闇に染まっていた。


「今日は寝るつもりはないわ」


「え?」


 真剣で神妙な唇に、デホはどきりとする。彼女の顔と将棋盤に、ランプのオレンジ色の光があたり、影が差した。

 デホの脳裏に先ほどのおじいさんの話がじわりと浮かぶ。やはり彼女には明日、何かあるのだ……。


「そうだデホくん!!」


 ディリスはいつの間にか、いつもの笑顔を浮かべていた。


「ひとりで勉強してるより、対戦者がいた方がいいんだ。対局しよっ」


「え!?」


「さあさあ」


 将棋盤の上の駒をいったんぐしゃりと崩し、一から並べ直すディリス。デホははぁと息を吐いて、将棋盤の先に座った。


「……言っとくけど、僕弱いよ……」


 デホは言う。


「ウソでしょ」


「……え!?」


 心臓を刺すような一言に、ぎょろっと彼女を見つめてしまうデホ。ディリスは物知り顔をしている。


「最初デホくんの手を引っ張った時、気づいたんだよ。指の先かちんかちんなの。あれは将棋を相当指している人間にしかできないわ」


 ディリスはパッと自分の手を差し示す。彼女の細い指の先には硬い塊がついていた。それはデホの指先にもついている。


「で、さっきもお代もらう時確かめたんだけど、やっぱり間違いなかったわ」


 そういえばさっき、不自然なくらい思いっきり握られたなと、思い返すデホ。言い逃れはできないわよと、笑みを浮かべて彼を見つめるディリス。デホは視線をそらしながら言う。


「……いやあ、確かに僕は将棋が好きだけど、いわゆる下手の横好きで……」


「そんなこと言っても指したらすぐわかるんだからね。あっ!! 誤魔化して手を抜いたら宿代5倍ね」


「ええっ!!」


 ディリスはにんまりと歩を一つ前に進めた。



◇◇◇



「……王手」


 ディリスの指がそっと銀を置いた。


「……負けました」


 デホは申しわけなさそうに頭を下げた。これで勝負はディリスの6連勝だった。


「……まさか本当に下手の横好きだとは」


「だから言ったじゃない」


 げんなりとしているディリスに、言い返すデホ。ディリスから見たデホは、確かにそこまで弱くはない。街のちょっとした将棋自慢のオヤジよりは強いだろう。しかしディリスの棋力と比べると足元にも及ばない。彼女はそれが意外でしょうがなかった。もっと底知れない強さを感じたんだけどなあ……と首を傾げた。


「うーん、全体的には悪くはないんだけど、ちょっとデホくん、歩を大事にしすぎるのよねえ……」


 やんわりと感想戦をはじめるディリス。彼の指し方で一番気になったのはその点だ。勝負所で歩を捨てれば守りを切りくずせるという場面でも、デホは不思議とそれをしなかった。のほほんとした顔で、歩の激突を嫌がった。こんな変な指し方をする人間に、ディリスははじめて出会った。


「それ、僕の悪い癖なんだ。気づいて矯正しようとしているんだけど、どうもそれが抜けなくてね……。困ってるんだよ」


 歩の駒をまじまじと見つながらデホはため息をついた。ディリスはそれを見て、可笑しくて、吹き出してしまった。


「デホくん、ちっちゃくて、弱いコを見捨てられないんだね……」


 にんまりディリスは言った。その不思議な言い方に、デホははっと顔を上げた。


「いや、好きだよ私、そういう人。全然悪くないと思う」


「……いや、将棋指しとしては致命的だよ。この癖をなんとか直さないと。一応僕、【国家棋士】を目指しているから……」


「え、デホくんが!?」


 大口を開けて叫んでしまうディリス。すぐにデホのさらにしょぼんとした顔が目に入り、いやいやと慌ててしまった。

 けれど彼の実力じゃ、【国家棋士】など無理だ。それが偽らざる彼女の感情だった。【国家棋士】は政府の中心で働く官僚のことである。そして将棋が全てのこの世界において、世の中を動かすトップは、もちろん将棋の強い者だった。化け物のような将棋強者が集うこの世界で、さらに選ばれし強者しか、【国家棋士】になることはできない。


「ホラさ、夢を追いかけるって素敵なことじゃない。素敵素敵。デホくん、すんごい夢追い人だよ」


 ディリスは視線を泳がせながら、しどろもどろに言う。


「……面目ない」


 彼女の気づかいを感じ、デホはますます肩を落としてしまった。なおもディリスは焦ってフォローをしようとしていたが、そのしょげかえっている様子が可笑しくて、笑って言う。


「……ふふ、デホくんが目指しているんなら、私も明日の勝負が終わったら、国家棋士を目指そうかなあ」


「え?」


 デホはハッと彼女を見る。ディリスがしまったという顔をしたが、もう遅かった。『明日の勝負』。さっき彼女が誤魔化そうとしていたこと、その言葉尻が露出していた。まじまじと彼女の目を見るデホ。ディリスは頭を掻いて、観念したように言った。


「明日さ、闘うんだ。プリアムと」


 うつむきながら言う彼女。静かな、けれどはっきりとした声で。


「あいつに将棋で勝つんだ。そしてこの街の税制を変えてもらうんだ」


「……」


「私、この街が好き。だから、なんとしても勝ちたい」


 唇をぎゅっと噛みしめ、将棋盤を見つめるディリス。揺れるランプの灯りの横で、デホははらはらとそれを見つめた。


「はは、ごめんごめん。柄にもなく暗くなっちゃって。もう一局指そう。今度はこっち飛車落とすからさ」


「……せめて角落ちって言ってほしかったな」


 デホががっかりとした顔を浮かべたのを見て、ディリスはお腹を抱えて笑ってみせた。

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