序章 白き蛇王の伝説
「ハァ…ハァ…」
海が間近に迫る崖の上の平原で、バチバチと帯電する剣を持った青年がいた。普段であれば凛々しいであろうその顔は苦痛にゆがみ、頭から血を流していた。青年の後ろには、気絶していると思われる数名の男女が倒れている。青年は彼らを庇うような位置に立ち、目の前の存在に剣を向けていた。
青年の目の前にいるのは彼方此方から血を流し、なおも青年をにらむ蛇だった。
「この…化け物め…これで…終わらせてやる!」
青年はそう叫ぶと蛇に向かって走る。蛇はそれを振り払おうと尻尾で薙ぎ払うが、青年はそれを一度後退することで避け、そのまま蛇に突っ込んだ。そして剣を振り上げた。天に掲げられた剣はさらに激しく電気を帯び、周囲にまるで雷が落ちたような音が轟いた。青年はそれを聞いてニヤリと笑い、その剣を蛇に叩き付けた。
それはどんな音だったか、天さえも割るのではないかという程の轟音。そして世界が白く染まるほどの閃光が、青年と蛇を包んだ。
漸く光が収まったそこにいたのは骨さえ残らずに消し飛んだ蛇と剣を杖のようにして、何とか立っている青年だった。
「…やっと…終わったんだ…」
青年はそう空を見上げて呟くとその場に倒れ伏してしまった。
静かにそれを見つめる影に気が付くこともなく…
―とある漁村の伝承、それは海に潜むという怪物の伝説-
―漁村に暮らす物知りな老人は語る。
曰く―その怪物は海の奥底に棲むという
曰く―その怪物はいくら倒してもどこからともなく湧いてくるという
曰く―その怪物を怒らせれば世界が滅ぶという
曰く―その怪物は無限に分裂して生き物に寄生するという
曰く―その怪物に寄生された生き物はその体を食い破られ命を落とすという
曰く―その怪物はとても美しい白銀の鱗を持つ大蛇であるという
――――――――――――――――
老人はそう語り終えると穏やかに続ける。
「その書物には、そう書いてあるがの…わし等の間ではこう伝わってもおる」
老人はそう言う。そして湯呑の中にある冷めたお茶を啜ってから続ける。
「その怪物は水の神であるが、恐ろしい厄災そのものである…出会ってしまえば命は諦めろ…倒そうとは決して思うな…手を出せばその地は滅びるであろう…とな…じゃがその後こうも続いておる…ただし、時に解呪や癒しの恩恵を受ける事もできる…それは運次第だ…己の行いを顧みよ…蛇王との出会いは試練である…とな」
白い髭を生やした老人はそこまで語ると満足そうに笑った。そして向かいに座る変わった服を着た白髪の青年を見る。青年は真剣な様子で老人の話を聞いていたが、話が終わった事に気が付き息を吐く。そして、手元にある湯呑の中身を少し飲んだ。
「その…その怪物とやらは…恐れられているということですか?」
「まぁそうじゃのう…じゃが…海の民はそれを”侵食する蛇王”を神として崇めておるのもまた事実じゃな…勿論恩恵を受ける事はほぼないのは理解したうえでじゃ」
老人はそういって微笑む。
「そうでしたか…話してくださり感謝します…長老殿」
青年はそういって頭を下げた。それに老人は笑った。
「ほっほっほっ構わぬよ?この伝説に興味を持つ若者がいる事が嬉しいからの」
その言葉に青年は緊張を解いて穏やかに微笑んだ。
「その類の伝説や神話が好きなのですよ…しかし、これは海の民全体に伝わっているというのが興味深い」
「まぁ当然じゃの…なんせ実在しておるのじゃから…わしも見たことがあるんじゃよ」
「え?」
老人の言葉に青年は顔を強張らせて固まる。そして老人の目をじっと見つめる。
「まぁ遠くから眺めただけじゃがの…小さな無人島で蜷局を巻いておったよ…確かに伝説通り美しいと思ってしまったのを覚えておるよ」
老人の言葉に青年は納得した様子で息を吐いた。
「なるほど…そういう事でしたか…貴重な話をしてくれてありがとうございます」
「また話が聞きたければ来るとよい…いつでも歓迎するからの」
「その時は是非…では私はこれで」
「うむ…達者での」
「はい…長老殿もお元気で」
青年は静かに礼をすると帰って行った。
そして村を出ると山道に入り、さらに人気のない獣道へと分け入っていき、少し開けた場所にある手ごろな岩に腰かけた。そして穏やかそうな顔を不気味に歪める。
「ふふふ…成程な…”侵食する蛇王”…か…そんなに人の間で名が知れ渡っているとは思いもよらなかったな」
そうつぶやくと何かを企んだように口角を弧に歪める。
そんな時、灰色の人の背丈ほどはあろうかという狼の姿をした魔物が現れた。狼は青年を獲物と認識したらしく、姿勢を低くする。青年はそれに気が付くと笑みを浮かべる。
「おや?…丁度良い…糧になってもらおうか?」
青年は笑顔のまま狼に手を向けた。すると青年の手が崩れ白い針金のような物体に変化した。その物体は、狼の体に吸い込まれるように消えていった。狼はそれを気にした様子もなく襲い掛かろうと跳んだが、青年に飛びかかる事は出来ず、地面に落ちた。
「ガウ!………ギャン!?…グ…グウゥ」
そして苦しそうに呻いていたが、突然破裂して物体と化した。するとそこから大量に増えた針金のような物体が蠢いてツチノコのような生物に変化すると狼であったモノを貪り、すべて食べつくした。そして青年の方に戻ると青年の欠けた手にくっつき、元の手に戻った。
青年はしばらくしてから小さく溜息を吐く。
「はぁ…雑魚か…不味いな…ん?」
「グ…グルルル」
青年がふと草陰に目を向けると、先ほどの狼の仲間と思われる狼たちがおびえた様子で唸った。それに青年は興味なさげな顔をする。
「お前たちは不味いからこれ以上は喰わん…寄生されたくなかったらとっとと去ね」
「ギャウ!?…クーンクーン」
狼は青年の言葉に怯えきった様子で尻尾を巻いて逃げ出した。青年はそれを一瞥して息を吐いた。
「うむ…しかし…あの愚か者のせいで力がかなりそがれているな…雑魚程度では焼け石に水…何処ぞに強い奴でもいれば…これでは完全体に戻れん…あの長老には少し仕込んできたが…これ以上は殺してしまうか…そろそろ出してしまおう」
青年はそういうと目を閉じた。
――――――――――――――――
青年に伝説を聞かせた後、老人は孫娘と話をしていたが、突然苦しそうに咳き込んだ。それに孫娘は驚いて駆け寄った。
「大丈夫!?おじいちゃん!」
「ゲホ!ゲホ!ガハッ!!」
老人が思いきり咳き込むと白魚のような物体が多数出てきた。二人は驚いた様子で身を引いた。
「な…何…これ?」
「痰では…なさそうじゃの…動いておる」
「…!…おじいちゃん体は?」
「大丈夫じゃ…違和感も消えた…!!」
白魚の様な物体は蠢き他の物体にくっ付いて行きツチノコの様な白い蛇に変化した。それを見て老人は驚愕の表情を顔に浮かべる。
「これは!…何という事じゃ…」
「なに…これ…蛇?」
「これは…“浸食する蛇王”の分裂体じゃ…」
「え!?…あの…怪物の…」
白い蛇は床を這って外に出ようとする。しかし扉も閉まっているので体をぶつけて出ようとする。
「出ようとしている…コッチは眼中にないのね…」
「…扉を開けてやろう…」
老人はそう言うと、玄関の扉を開いた。すると白い蛇は老人の方を見て飛び上り、頭の上に飛び乗って尻尾をペチペチとしてから飛び降りて草陰に消えてしまった。老人は呆然としていたが、驚いた様子で声を上げた。
「な!」
「大丈夫なの!?おじいちゃん」
「あ…あぁ…腰の痛みが…消えた…んじゃ…」
「…体の中に入っていたお礼かしら…」
「さぁの…少し対策を考えるべきじゃ…村長を呼んでおくれ」
「うん」
孫娘はそう言うと家を出ていった。
――――――――――――――――
青年は目を開けると手を前に突き出した。すると何処からともなくツチノコのような蛇が現れて手に吸い込まれていった。そして青年は穏やかな笑みを浮かべる。
「寄生と伝承の礼だ…病も呪いも消えただろう…さて…と…お蔭で戻ることができる…意外とあの長老殿は実力者だったらしい…ふふ…次は何処へ行こうかな?…少し大きな町へ行ってみてもいいかもしれん」
青年はそう呟くと白い大蛇に姿を変えて森の奥へと消えていったのだった。