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死人探偵  作者: 鷹樹烏介
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臆病な鼠は同じ道を使う

 魔法使の牢獄を後にする。

 マンションから出る時、遥か上空からの彼女の視線を感じた。

 窓から俺を見送っているのだろうか。きっとそうだ。

 信濃町の俺の巣穴に向かう。

 今度は、逆三角形の顔で長身猫背の守衛、佐々木さんに見つかってしまい、立ち話を余儀なくされてしまった。

「ずいぶん、男前になったねぇ」

「ええ、ちょっと階段から落ちましてね」

 そんな会話をする。

 多分、ウソだとバレただろうが、深く追及はされなかった。

「そうだ、いい軟膏があるよ。打ち身、切り傷、痒みも止まるよ」

 彼が差し出してきたのは、この雑居ビルのテナントで、肉体疲労時の栄養補給飲料のパチ物をインドネシアから輸入しているインチキ貿易会社の新しい商品だった。

 虎を意匠にしたデザインで、古くからあるタイガーなんとかとかいう軟膏に驚くほど似ているが、これもまたパチ物だ。サンプル品でももらったのだろう。

「あぁ、それ、皮膚がカブレたので。肌に合わないみたいです」

 そう断って、巣穴に入る。

 簡易ベッドに横になり、懐の資料を取り出す。

 それを隅から隅まで読んだ。これと同じものがスマホに送られているが、紙じゃないと資料を読んだ気になれない。

 警棒で俺をぶん殴った男は、多分上野署に関わりがある。もしくは上野署の警察官サツカンだ。

 そいつを手繰っていけば、裕子が持ち逃げしようとした金の出所がわかるだろう。

 組織内組織の幹部という噂の如月が絡んでいるとなれば、現職警官の汚職の匂いがする。

 裕子が自殺に偽装されて殺された。

 すでに、敵は一線を越えているのだ。

 危険な相手。だが、俺は怯むのではなく、かえって闘志が湧いていた。

 野良犬扱いされ、殴り回された。

 きっちりと殴り返すまでは、俺は追跡をやめる気はない。


 今井いまい 貞夫さだお


 多分、こいつが、俺を半殺しにしたゴリラ野郎だ。

 住所不定、無職。新宿を拠点とする、ヤクザの下請けをしながら、トウが立ったキャバ嬢のヒモの真似事をしているチンピラだった。

 さかずきはどこからも受けていない。

 手癖が悪く短気なので、トラブルメーカーという評判があり、さすがのやー公も仲間には入れないようだ。暴力団対策法の施行で、バカ一人で組織全体が危うくなってしまう。

 なので、汚れ仕事の時だけ、金で雇われていいように使われている。

 上野署の『誰か』も、この今井の評判を聞いて雇ったのだろう。

 こいつから事件を探っていこう。

 上野署の『誰か』は、俺が痕跡をつかんだ事を知らない。

 まだ、自分が安全だと思わせておきたい。

 なので、今井からだ。

 優先順位は肉体の修復。

 その間、今井を監視する人物が必要だった。

 巣穴の中で、スマホを操作する。

 呼び出し音三回で、その男は電話口に出た。

「なんだ、伊藤か? 今の名前、伊藤だったよな」

 機械の合成音のような平坦な声。

 俺が『死人しびと』になった事情を知る少ない例外だった。

「仕事を頼みたい」

「いいぜ、引き受ける」

 苦笑が湧いた。仕事の内容も聞かずに即答か。

「内容聞かずに、引き受けていいのか?」

「オレが『いい』と言ったら『いい』んだよ。早く内容を言え」

 こいつは、いつもせっかちだった。

 そして、自分の好きな事しかやらないから、彼のパートナーにはいつも文句を言われている。

「とある奴を監視したい」

「承知した。データ寄越せ」

 こいつの良いところは、事情を根掘り葉掘り聞かないところだった。

 元・警察官。俺と同じく特捜班に所属していたが、関与が薄かったせいか、スキャンダルで嵌められて追放されたクチだった。

 それで、こいつは今でも怒りを抱え込んでいて、無条件で俺の依頼を聞いてくれる。

 たしか、同じく横領事件をでっちあげられて、辞めさせられた元・女刑事をパートナーに探偵事務所を開いていたはず。

 それが、『松戸&須加田 探偵事務所』だ。

 こいつの名前は 松戸まつど 研介けんすけ、相方は 須加田すかだ めぐみ。二人の名前をとって開業したわけだが、別に恋人同士ではない。

 俺の様な「自称」探偵ではなく、本業の探偵として、固定のクライアントもつき、順調に経営しているらしい。

 ほとんど、須加田が稼いでいるのだろうが。

 魔法使に作ってもらったデータを、松戸のスマホに送る。

「コイツか。早速今日から張り付いてやる。またな」

 一方的にしゃべって、松戸が通話を切った。

 せっかちな男だが、事案対象者には実にねちっこい男だ。

 任せておけば大丈夫だろう。

 スマホの電源を切って、そのまま簡易ベッドに横になる。

 無意識に体を庇っているのか、使っていない筋肉を歩くのに使役するようで、疲れる。

 白く塗られた天井と、針金で囲っただけの蛍光灯を眺める。

 このまま、横たわっていると、ここは巣穴ではなく、まるでサイズの大きな棺桶に思えてきた。

 俺は猟犬ではなく『死人』だ。

 巣穴ではなく、棺桶の方がお似合いなのかも知れない。


 その日以降はリハビリに傾注する。いまの最優先事項は、肉体の修復だ。

 理学療法室は、俺の様に肉体の修復に挑む者たちが、必死に戦っている。

 病院は、病でベッドに縛り付けられる理不尽に、怒ったりイラついたりして、暗い雰囲気だが、ここは違う。蛹が羽化しようとしてもがくような、次のステップに進もうとする期待感にあふれていた。

 例外は、生活習慣病予備軍の検査入院病室。ここは、独特の雰囲気だ。看護師にセクハラしたり、便所でタバコを吸ったりする馬鹿がたまに出るのが、ここの連中だ。まだ、身体に自覚症状がないので、変わったホテルに宿泊しているような感覚なのだろう。

 抜きたいなら風俗にいけ、阿呆が。看護師に迷惑かけるな。

 食べて、たっぷり眠り、体を動かす。

 リハビリだけではなく、病院の非常階段を使って独自のトレーニングも行った。

 俺の担当の理学療法士は、まだ若い女性で、医療関係者というよりスポーツインストラクターみたいな感じだった。

 頭の中は、学んできた様々な理論や技術でいっぱいいっぱいで、経験より熱意が上回っている感じに見えた。

 言われたことを淡々とこなす俺は、彼女のお気に入りの「生徒」らしく、妙に肩入れしてくる。

「伊藤さんは、まるで修行僧みたいですね。苦しかったり、痛かったりしたら、言っていいんですよ」

 心配顔でそんなことを言ってくる。

 彼女は分かっていない。

 肉体の痛みは、いつか慣れる。

 しつこく続くのは、心の痛みだ。

 松戸が、まだ理不尽な仕打ちに怒りを抱えているように。

 俺が、『死人』にされたことに怒りを抱えているように。

 全員が、希望に向かって歩いている様な職場にいる彼女は、分かるまい。

「伊藤さん、たまに怖い目をします。だから、可哀想」

 俺の左手の筋肉をマッサージしながら、ぽつりと理学療法士が言う。

 胸の身分証には 横河よこかわ 典子のりこ と、書いてあった。

「目つき悪いのは、生まれつきです。でも、『可哀想』って、なぜです?」

 横河さんが、真っ直ぐな眼で俺を見る。

 どうも、こういった素直な反応は対処に困る。犯罪者を相手にしている方が、気が楽だ。

「だって、いつも辛そう。助けてあげたいのに、何もできない」


 リハビリ科から、階段を使って部屋に戻る。

 シャワーの使用申請を書いて、昼食を採ったあとに、階段を使って屋上に出た。

 左手の甲の骨折があるので、右手一本で給水塔の梯子につかまって、懸垂をする。

 ベンチを使って、腹筋と背筋。

 左手は鉛入りのリストバンドを巻いて、曲げ伸ばしをして上腕二頭筋をいじめる。

 汗が噴き出た。

 また階段を使って病室に戻る。

 肋骨の痛みはかなり緩和した。

 およそ二週間で良くなると聞いていたが、その通りだった。

 眼窩骨折は、まだ少しかかりそうだが、歩く衝撃だけで怯むほど痛いという段階は過ぎた。

 左手甲の骨折も、あと少しと主治医に言われている。

 シャワー使用予定表に、俺の名前があった。

 希望通りに十六時から三十分間、シャワー室が使える。

 シャンプーやボディソープは備え付けられていないので、私物だ。

 こうした細々とした生活利便品は、エイブ老人が買ってきてくれている。

 たまに、如月も顔を出す。

 まるで、競走馬の仕上がりを確認する馬主のような眼をしていやがるのが、地味にイラつく。

 純粋に俺を心配してくれているのは、エイブ老人と、新人医学療法士の横河さんだけらしい。

 時間になったので、シャワー室に向かう。

 畳一畳ほどの脱衣スペースがあり、四畳半ほどのザラザラしたタイル張り空間にシャワーが一基。壁には手すりがついていて、強化プラスチックの椅子が一脚置いてある。

 脚を怪我して立つのが困難な人が使う椅子だろう。

 俺は火傷しそうなほど熱いシャワーを頭から浴びる。

 壁に額を押し付け、首筋に熱湯に近い迸りを受けた。

 ぶん殴られ、蹴り回された記憶が、フラッシュバックする。


 くそ! くそ! くそ! くそ!


 気が付いたら、タイルの壁を何度も殴っていた。

 右拳の皮膚が裂けて血が滲み、シャワーの湯に希薄されて床に滴る。

 怒りはコントロールしないといけない。

 大きく深呼吸する。

 首を後ろに反らせて顔面に湯の迸りを受ける。

 一気に水に近い温度に下げる。

 冷水が降りかかり、熱湯に慣れた肌がピリピリと痛んだ。

 血管が収縮したのか、まるでセックスでもしているかのように、息が荒くなった。

 ガチガチと震えるほど、体を冷やす。俺の頭も同時に冷えたようだ。

 常に冷静に、常に冷静に、常に冷静に……。

 また、熱湯に近い温度に上げる。

 手にボディソープを取って、ごしごしと顔面をこする。

 掌がザラつく。

 無精髭がだいぶ伸びている事に、改めて気が付いた。


 シャワーを終え、予定表の俺の名前に棒線を引く。シャワー室使用が終わったというサインだ。

 ナースセンターの脇を通ると、「さっぱりしましたか?」などと、気さくに看護師が声をかけてきた。

 当初、脱走した要注意人物と思われていたが、その後の悔悛の様子に、やっと許してもらえたようだ。

「ええ、まぁ」

 と、曖昧な事を言いながら曖昧な笑みで返し、病室に戻る。

 スマホに着信があった。

 松戸からだった。

 『鼠の通り道 見つけた』

 とだけ、メールに書いてあった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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