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死人探偵  作者: 鷹樹烏介
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手負いの獣は傷が癒えるまで動かない

「君に頼みたいことがあってね」

「嫌よ」

 俺の言葉を即座に拒否する。

 コイツはいつもそうだ。

「内容ぐらい聞けよ」

「嫌」

 とりつくシマがない。

 やっかいなのは、金を払うといっても、動かないことだ。

 コイツはなぜ警察という職業を選んだのか不思議になるほど、簡単に一線を越える。

 罪悪の境界が極端に低いのだ。

 サイコパスと違ってコイツの様なソシオパスは、一応社会生活を送れる程度には衝動を抑制できる。

 犯罪を犯さずに、一生を終える者だって多い。

 だが、この女は「死人しびと」になってしまった。

 数少ない社会との絆がなくなってしまったソシオパスは、本性をむき出しにするものだ。

 彼女は、ハイテク犯罪の専門。

 それを取り締まる立場だったのが、あっさりと犯罪者へと鞍替えしてしまったのである。

 手始めに、インサイダー取引に便乗してひと財産を築いてしまった。

 以降、銭が銭を呼んで、こんな都心の一等地に居を構えるほどになる。

 もともと猜疑心が強い彼女は、安全なこの場所から一歩も外に出なくなり、俺には用途もわからん様々な機械をここに運び込んで、この場所を一種の要塞にしてしまった。

 いや、豪華な牢獄といっていい。

 金は、それこそ腐るほどある。

 だから、金では彼女は動かない。

 この女が欲しているのは『刺激』。退屈なのだ。時間に飽食しているのだ。

 そこを、上手く突かないと魔法使ウィザードは動かない。

 彼女の数少ない友人の一人である黒澤は、そのあたりの呼吸が実に巧みだった。

 俺はあまり上手くない。


「頼みを聞いてくれたら、怪我を見せてやるよ」


 これが、俺の切り札だった。

 くそ痛いのを我慢して、えっちらおっちら彼女を訪ねたのは、怪我の痕跡が生々しい今がチャンスだから。

 ほら見ろ、魔法使ウィザードの物欲しげな目を。

「でも、あなたの案件ってめんどくさいばっかりで、面白くないんだもの。その点、黒澤クロちゃんは、面白かったわよ。ビル一棟破壊しちゃったりしてね。動画で見たけど、もう最高!」

 ビル解体業者じゃあるまいし、黒澤は何をやったというのか? やれやれ……。

「確かに俺の事案は、そんなに面白いモノじゃないな。では、仕方ない、他を当たるよ」

 わざと、そんな事を言ってやる。

 目の前に傷だらけの男がいて、みすみすそれを見逃すなんてありえない。

「なに? 伊藤君怒っちゃった? 君は静かに怒るから、怖いよぅ」

 冗談で誤魔化してきた。未練たっぷりじゃないか。

「依頼は二つ。新宿を拠点としている犯罪者の検索。身長百八十五から九十。体重百キロ前後。顎がケツ顎で、近々眼科に行ってるかもしれん。そういう人物に合致する奴を探してくれ。もう一つは……」

 俺は電話番号を告げた。

 コインロッカーでボコられた時に所持していた俺のスマホの番号だ。

 俺は余計に殴られるリスクを冒して、裕子のカバンを持ち去ろうとする男に跳びかかった。

 それは、ソイツを殴り倒すのが目的ではなく、俺のスマホを裕子のカバンのサイドポケットに押し込むのが目的だった。電池が切れるまで、カバンがどこに向かったのか、NTTなら追跡できる。 

「……その番号のGPS信号を追跡してくれ。どこに向かったのか知りたい」

 魔法使は、捜査二課に新設された電脳犯罪対策課の技官だった。

 当然その業務には、警察のネットワークへの不正アクセスからの防備も含まれる。

 なるべく市販のモノを使いたくないという上層部の希望もあって、魔法使は独自にセキュリティ・アルゴリズムを開発していた。

 つまり、警察のシステムすべてに抜道バックドアを作る事が可能で、一線を踏み越えることを躊躇わないコイツは当然のように自分用の抜道を作っていたのだった。

 犯罪者リストへのアクセス。

 警察からの公式依頼を偽装してNTTにGPSデータを供出させる事。

 これが、彼女なら出来る。

「やっぱり、伊藤君の依頼はつまらないわ」

 魔法使が不満気に頬を膨らませる。

 馬鹿な男なら、無邪気さと美しさが混じったそんな彼女の様子にコロっとのぼせあがっただろうが、俺は彼女の本性を知っている。残酷な犯罪者という裏の顔を。

「約束だから、怪我を見せてやるよ。お触りはナシだからな。録画も禁止だ」

 そう言って、エイブ老人が提供してくれた上等なスーツを脱ぐ。

 うんうんと、飢餓状態の狼みたいな眼をして魔法使が頷く。

 体の節々が痛む。

 その痛みの表情すら、魔法使にとっては御馳走だ。

 録画禁止が約束だが、おそらくこの部屋にはいくつも隠しカメラが仕込まれているだろう。

 俺のセミヌードは、魔法使のフォルダに保存されるわけだ。

 こんな代物の、どこが「良い」のか、全く理解できないが。

「伊藤君は、もっと筋肉をつけた方がいいよ」

 興奮して、小鼻を膨らませながら魔法使が言う。

「うるせぇよ、変態」

 罵っても蛙の面に小便だ。

 魔法使は『変態性欲は人間の多様性の一環』程度の認識で、恥じてないから。

 だから……

「ワイシャツは脱いでね。チョッキは着直して」

 ……などという、わけのわからん要求まで平気でする。

 俺は上半身裸の上に、チョッキを羽織った格好で立つ。なんだこりゃ?

「いいよ、すごくいい」

 魔法使は高い鼻が触れそうなほど俺の体に顔を近づけ、どす黒く変色した打撲跡を観察している。

 目の周りの眼窩骨折跡は、まるで恋人同士がキスする寸前のような接近具合だったが、俺はドキドキするどころか、嫌悪感しか感じない。

「ねぇ……痛い? 痛いの?」

 鼻息も荒く、魔法使いが言う。

 くそ、気持ち悪い。傷跡を見て、興奮してやがる。

「痛いに決まってるだろう」

 少し身を逸らしながら、答える。

 おずおずと魔法使が指を伸ばしてくる。

「触るなって、言ったぜ」

 警告する。

 ビクッと魔法使の指が震えた。

「ちょっとだけ。ねぇ、いいでしょ? 指先で触れたいの」

 美人のおねだり顔は、普通ならヤニ下がるところだが、相手がこれじゃね。

「駄目だ」

 にべもない俺の返答に、文字通り魔法使は身を揉む。

「お願い、お願い、お願い、お願い、お願い、お願い、お願い、お願い」

 ここまでは想定内だ。

 あくまでも拒否してもいいのだが、それはそれでへそを曲げるリスクがある。

 恩を着せるなら今だ。

「仕方ないな、今回だけ特別だぞ」

 やれやれという態度を見せて、そう言ってやる。

「なんだかんだ言って、伊藤ちゃん優しいから好き」

 そういって、俺に抱きついてくる。

 豊かな胸が押し付けられて、普通はうれしいのだろうが、俺は痛みで気が遠くなっただけだった。


 魔法使は、俺の傷を観察し、触れ、俺の痛みに耐える表情を観察し、大いに満足したようだった。

 俺の依頼に関しては、

「いいよ、最優先で検索するね」

 ……と、機嫌よく約束してくれた。

 苦痛に耐えた甲斐があったというものだ。

 点滴跡から出血していて、シルク製のワイシャツが汚れてしまったのだが、それをクリーニングに出してくれるというサービスの良さだった。

 この高級マンションには住民専用のランドリーがあって、日本でもトップクラスの技術者なのだそうだ。

 用意のいいことに、変えのワイシャツまで用意されていて、俺はそれに袖を通した。

 これも、シルク製だった。

「伊藤ちゃん、こんなにセンス良かったっけ?」

 帰り支度している俺の背に、魔法使が話しかける。

「これを譲ってくれた人のセンスがいいんだよ」

「ふぅん…… その人、紹介してよ」

「断る」

 エイブ老人にこんな変態は紹介出来ん。

 魔法使いは、玄関ロビーまで俺を見送りに来てくれた。

 帰り際に、俺にスマホを渡してくる。

「これ、漂白済み。使って」

 彼女の事だ、盗聴やら追跡装置やら取り付けられているのだろうが、新しいスマホを買うまで、使わせてもらおう。

「ありがとよ」

 俺は礼を言って、マンションを去る。

 残したワイシャツがクリーニング店に行くまでに何に使われるか、想像しかけてやめた。

 おぞましい映像しか浮かばない。


 病院に帰ってきたのは、夕方に近かった。

 病室には、仁王立ちしている怖い顔の看護師がいて、俺を見て柳眉を逆立てる。

「伊藤さんっ! 無断外出は、困りますっ! あなたは、絶対安静なんですよ!」

 まるで、絵にかいたような切口上だった。

 まぁ、怒るわな。

 俺は、ひたすら謝った。


 どうしても外出しなければならない事柄があったこと。

 そんなに深刻な事態とは理解していなかったこと。

 二度とこのような事をしない。


 この三点を繰り返し述べる。

 憤懣やるかたない看護師に延々説教されながら、俺は恭順の意を表し続ける。

 以降、俺はまるで修行僧の様に規則正しい生活を送り、看護師の言いつけを守り、食事をし、リハビリをし、良く眠った。

 要注意人物とみられていたようだが、すっかり心を入れ替えた様子に看護師たちも警戒を解いたようで、雑談などもしてくださるようになった。

 俺は手負いの獣みたいなもの。

 今は傷の修復に傾注するとき。

 魔法使いが、犯罪者を検索し、NTTに偽の協力依頼を出しているはずだ。

 反撃する。

 今度は、俺が奴らを叩きのめしてやる。

 そのために、俺はひたすら怪我の修復に努めていた。

 マナーモードにしてある、魔法使から渡されたスマホが振動したのは、傷も癒えつつある十日後のことだった。

 

 

 

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