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死人探偵  作者: 鷹樹烏介
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野良犬も牙を剥く

 気が付いたら病院だった。

 最初に目にするのが若くて可愛い女性看護師なら良かったのだが、俺が最初に見たのは如月の四角い顔だった。

「こっぴどく、やられたものだね」

 それが、如月の第一声。

 見ればわかるだろうにと思ったが、俺はそれを口にするほど非礼ではない。

「こっぴどく、やられました」

 それだけを言う。

 体中がズキズキと痛む。

 痛むのは生きている証拠。痛みを感じなくなった方があぶない。

 窓から見える景色。

 見慣れた病室の壁。

 どこに俺が担ぎ込まれたか分かった。警察病院だ。

 俺から財布を抜き取ったホームレスは、電話番号を記憶していて、ちゃんと『BOWMORE』に電話してくれたらしい。

 その先の展開はわかる。

 まだ店に残っていた如月が、全て手配して、俺を警察病院に担ぎ込んだわけだ。

 俺には身分証などない。

 普通は不審者扱いだが、警察病院なら如月の権力が及ぶ。

 おそらく、身元引受人は如月になっているはずだ。

「お礼を言うべきですかね?」

 身じろぎして、脇腹と顔面に走った激痛に怯む。

 呻き声は上げなかった。

 如月の前で弱みを見せたくないという思いがある。つまらん意地だが。

「感謝は強要するものじゃないよ君。湧き上がるものだ」

 そういって、下駄の鼻緒みたいな八の字眉をくいっと上げた。憎たらしい。

「ありがとうございます」

 仕方なしにお礼を言う。

 コイツのおかげで、煩わしいことが無くなったのは確かだから。

 本来なら、警察に「どこのだれか?」を説明しなければならないところだ。

「うむ」

 満足そうに如月が笑った。

被害届タレなんざ、書きませんよ」

 怒りがこみ上げる。

 迂闊だった自分に。

 俺に加えられた理不尽な暴力に。

 それに、野良犬呼ばわりされたことにも。

 何者か知らないが、俺を野良犬扱いしたことを後悔させてやる。

 みじめな野良犬だって、牙はあるのだ。

「いいね、私が見込んだ頃の眼になったよ」

 俺を見ていた如月が、笑みを深くする。

 観察していやがったのか? 本当に嫌な野郎だ。

「裕子の事案、手を引くという話は撤回します」

「そうか」

「ちょっと頭にきました」

「だろうね」


 俺の着替えは、エイブ老人が持ってきてくれた。

 量販店の「吊るし」でいいのに、テーラー仕立ての濃紺のスリーピースを着替えのロッカーに入れてくれた。

 Yシャツはシルク製。なんでも、彼が若い頃に着ていたモノらしい。

「私はもう引退した身ですからスーツは必要ありません。なので、進呈します」

 いかにも高そうなスーツなので遠慮したのだが、箪笥の肥やしになるよりいいと言って置いて行ってしまった。

 なので、ありがたく使わせてもらうことにした。

 点滴やら脳波計などのコードやチューブをひとまとめにして引き抜く。

 腕の点滴チューブ跡から血があふれたが、ガーゼを巻きガムテープで固定する。

 こんなもの用意されているとは如月のヤツ、俺が病院を抜け出すことを予め読んでいたのかもしれない。

 くそ、くそ、くそ! 死ぬほど痛い。

 だが、傷だらけの今こそ、俺は動かないとダメなのだ。

 看護師が来る前に、素早くエイブ老人のスーツに着替える。

 古いスーツなのに、股下まで俺にぴったりだった。

 エイブ老人は、若い頃は当時の人々にしては現代の若者なみに手足が長かったのだろう。

 頭の包帯を隠すためのニット帽があり、それをかぶる。

 ニット帽にくるまって財布までがあった。

 如月が用意したのだと思う。

 この後、俺がどんな手を打つか、予測しているということか。

 とにかく、警察病院がある中野から俺の巣穴がある信濃町まで歩くのかとうんざりしていたが、助かった。

 顔はフルラウンド戦って滅多打ちにされたボクサーみたいな顔だが、それは隠し様がない。

 うつむきながら歩く。

 一歩足を踏み出すたびに、ズキンズキンと顔が痛む。

 ロッカーに叩きつけられて、眼窩骨折していたらしい。

 病院の玄関脇で客待ちをしていたタクシーに乗り込む。

 ここは病院だ。大怪我した奴が乗ってきても不思議ではない。

 信濃町の所在地を告げ、シートに深々を腰かける。

「大丈夫ですか?」

 バックミラーを覗きながら、タクシードライバーが言う。

 俺は身振りで「大丈夫」と告げて目を閉じた。

 しゃべるだけで痛むのだ。


 そのままタクシーを待たせて、巣穴に戻る。

 簡易ベッドの脇に、木製の小さな樽があって、これはちょっとしたテーブル代わりになるのだが、金庫も兼ねている。

 中には、無造作に『互助会』から支給された俺の退職金の札束が放り込んであり、そこから一掴みの一万円札を取り出す。

 この金は、俺の価値。

 死人にされた時に、渡された金だ。

 この金を使い切るまでは死なない。そう決めていた。

 いわば、これは俺の命の砂時計。

 裕子から受け取った金は、ホームレスが全部持って行ってしまった。

 最初に決めたルールに従うなら、その時点で調査は終了だが、もはやこいつは裕子の案件だけではなく、俺の案件にもなってしまった。

 だからここから金を持ち出す。

 財布に金を補充して、待たせていたタクシーに乗る。

 幸い、防災センターの守衛には顔を合わせずに済んだ。

 俺の今の有様を説明するのが面倒だった。

 タクシーには、品川区の海岸に近い高層マンションを行先に告げる。

 今、どうしても合わなければならない人物が、そこにいるのだ。


 その高層マンションは、いわゆる億ションという物件で、最上階のペントハウスは、アラブの王族の日本の別荘があるという噂がある。

 警備は厳重で、日本の警備会社ではない聞いたこともない外国の警備会社がセキュリティを担っている。

 ここは、一種の要塞で、過剰な警備もマンションの「売り」の一つになっていた。

 すっとぼけているが、この警備会社は傭兵ワイルド・ギースの偽装で、多分銃器で武装している。

 彼らに守られた、四部屋しかないペントハウスの一つに住んでいるのが、俺が合わなければならない人物。

 俺とおなじく「死人」だ。

 タワーマンションの正面玄関に、大企業の受付のようなカウンターがあり、そこのコンシェルジュがいる。

 女性ではない。

 二メートル近い身長の、ゴツい黒人の兄ちゃん二人だ。

 空港で見かける様なセキュリティゲートがあり、金属探知機になっている。

 キーホルダーと財布を預けて、ゲートをくぐる。

 傷だらけの俺の様子をみて、明らかにうさん臭いと思っているらしい。

「どなたか、ご訪問の予定ですか?」

 流暢な日本語で、黒人の兄ちゃんが俺に言う。

 俺は合うべき人物の部屋番号を告げ、緊急に会うための符牒を言う。

 この合言葉を知らないと、その人物に合う事は出来ない。

 一人が確認のために、無線機で話している。

 もう一人の黒人の兄ちゃんは、

「熊とでも格闘したのかい?」

 と、話しかけてきた。

「まぁ、似た様なものだ」

 そう答える。

 はっはっはっと、その大男が笑った。ジョークではないのだがね。

「確認はとれた。通っていいぞ」

 無線機で話していた男が、俺に向かって顎をしゃくる。

 その先にエレベーターがあり、それはペントハウス専用のエレベーターだった。


 豪華な内装のエレベーターには、四つしか行先がない。

 ボタンには部屋番号が書かれていて、俺はその一つを押す。

 試しに他のボタンを押してみたが、反応はしなかった。

 決まったところしか動けない。そういう仕組みなのだろう。

 外の景色が見えないので、感じるしかないが、高速で上に運ばれている感覚があった。

 気圧も変わったか、耳鳴りがする。

 エレベーターの扉が開いた。

 このフロア全部が、訪ねる相手の住居スペースになる。

 つまり、このエレベーターロビーが巨大な玄関ということ。

 そこに、女が一人立っていた。

 スラリとした長身。

 細く切れ上がった眼。

 白大理石を磨き上げたような肌。

 ぽってりとした唇ばかりが鮮やかに紅い。

 腰まである長い髪は、まるで煌めく黒絹を束ねて風に通しているかのようだ。

 まるで、美しい日本人形のような女だが、彼女を知る者は誰も近づかない。

 趣味が特殊すぎてついていけないから。

 経歴は捜査二課。サイバー犯罪対策のために、知能犯対策のいわゆる『捜ニ』に新設された『電脳犯罪対策係』の技官だった女で、俺と今は黒澤と名乗っている俺の友人と、警察学校で同期だった。

 まるで戦士の様な黒澤程ではないが、射撃も術科も優秀。

 座学の成績は抜群だった。

 才色兼備の見本のような人物なのだが、彼女と交際しても三日と持たない。

 この女は典型的な『ソシオパス』。享楽的で他者の権利を軽視するからだ。

 そして、その興味はサディズムの方向を向いている。

 相手が傷ついたり、壊れたりすることに、異常な執着を持っていた。

 黒澤がこの女と普通に接することが出来たのは、懐が深いから。

 俺がこの女と普通に接することが出来たのは、コイツに興味がないから。

 今、この女は『魔法使ウィザード』と名乗っている。

 自分で牢獄を作り、そこから一歩も出ないで生活をしている現代の隠者だった。


「如月オジサマから聞いたわよ。痛めつけられたって?」


 彼女の切れ長の目が、俺を爪先から頭まで舐めるように見ていた。

 無意識に、魔法使ウィザードが舌でペロリと唇をなめる。

 俺を見て興奮していやがる。気味悪さに、さぁっと鳥肌が立つ。

 この女はボコボコにされた男が大好きなのだ。

 俺が、このタイミングでここに来なければならなかった理由。

 それが、この姿の披露だった。

 

 

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