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死人探偵  作者: 鷹樹烏介
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好奇心は猫を殺す

 早々に裕子のアパートを出る。

 『何かがヤバい』という、警報装置のようなものが俺に囁きかけていた。

 不自然なほど早い店仕舞い(捜査を終了すること)。

 如月がクサいと思うわけだ。おそらく、警察内部か、警察に影響を及ぼす事が出来る何かが、この事件に干渉している。

 冗談ではない。

 エイブ老人に頼まれて探偵の真似事をするのとは、コイツはヤバさの度合いが違う。

 だが一方で、事件を追いたいという猟犬としての本能が疼いているのも事実だ。

 よくない傾向だなと思う。

 『好奇心は猫を殺す』という言葉があるが、過ぎた好奇心は警官も殺す。

 事実、俺は『死人』にされてしまった。

 この事案を追い続ければ余計な事柄を掘り出してしまう……という予感があった。

「如月め。厄介なものを」

 つぶやいて、新大久保駅に向かう。

 おそらく、裕子が通勤に使ったルート。

 ここから、彼女の勤務先である市ヶ谷までは中央線で一本だ。

 裕子の痕跡を辿る。

 もう、手を引きたいという気持ちはある。面倒事になるという予測しかない。

 だが、裕子の鎮魂のための金を受け取ってしまった。

 彼女からの受け取った金を使い切るまでは、俺は裕子の痕跡を辿らなければならない。

 それが俺が自分に課したルールで、そいつを破ったら俺は本物の『死人』になってしまう。


 市ヶ谷にある裕子の勤務先は、『事件の被害者の心のケアの相談に乗る』という活動をしている、財団法人だった。

 監督省庁は警察庁。

 調べていないが、おそらく理事は警察関係のキャリア様OBで占められているのだろう。

 電話相談を受けるという業務がその団体にはあり、裕子は相談内容を文書化して保存する係だったと、捜査資料には書いてあった。

 裕子の話を思い出す。

 彼女は、まとまった金が手に入ると言っていた。

 堅い職場だ。一攫千金とは縁がない。

 いったい、彼女は何をしでかしたというのか? 殺されるような事を。

 俺は、彼女の職場に近いクリーニング店に行った。

 引換券がある。

 何か手がかりはないかと思ったのだ。

 一見無駄な作業に思える事でも、丹念に潰してゆく。

 これは、警官だった時の習慣の様なもの。

 引換券に書かれていた住所をもとにたどり着いたクリーニング店は、雑居ビルのテナントとして入っている、個人営業の小さなクリーニング店だった。

 おそらく、ここの地権者で、ビルを建てる時に店舗として入る権利を得たのだろう。

 そうでもなければ、こんな東京のど真ん中で個人事業主が店舗を構えられない。

 クリーニング店は老夫婦がやっていて、クリーニング作業は夫、店番は妻という役割分担らしかった。

 しゅうしゅう音を立てる大きなアイロンを動かしながら、店主が俺に目礼し、店の奥に「おーい、おーい」と声をかけている。いかにも職人といった人物だった。

「あらあら、お待たせしちゃって。お引き取りですね?」

 と、愛想のいい老婦人が、エプロンで手を拭きながら出てくる。

 何か、水仕事をしていたようだ。

「あ、いえ、ども」

 などと、曖昧な事を言って、俺は引換券を差し出した。

 手ぶらなので、引き換えなのだと推理したらしい。

「え~、あ~、彼女に頼まれまして」

 引換券に書かれているのは、裕子の名前だ。

 疑われるかと思ったっが、老婦人はあっさりと俺の言葉を信じたらしい。

 店の奥から持ってきたのは、薄手のスプリングコートだった。

 仕舞う前に、クリーニングに出したということらしい。

「あ、そうそう、これ。ポケットに入ってましたよ」

 小さなビニール袋を渡された。

 中身は、コインロッカーのものだと思われる、小さな鍵。

 スプリングコートと鍵を受け取って、クリーニング店を出る。

 市ヶ谷から新宿方面の電車に揺られながら、この鍵はどこの鍵だろう? と思う。

 裕子は街角に立つ売春婦だった。

 彼女らは、私物をコインロッカーに預け、ほぼ手ぶらで行動する。

 足を洗ったはずでもその習慣は、裕子に残っていたのだろうか。

 裕子の縄張りだったところは、新宿の西口に近いラブホテル街。

 新宿駅のコインロッカーと目星をつけるのなら、西口周辺から探すのがいいかもしれない。

 膨大な数になるが、幸い俺にはたっぷり時間がある。


 新宿の手前の信濃町で降りる。

 そこに俺の巣穴がある。

 二十四時間営業の空調完備のトランクルームだ。

 雑居ビルのワンフロアが小さく仕切られた倉庫になっており、その一角を俺は借りていた。

 中は、簡易ベッドと寝袋。

 着替えが少々。

 眠りに帰るだけの空間だ。窓も何も必要ない。

 トイレはビルのものを使う。シャワーはこのビルの守衛用の簡易シャワーを使わせてもらっている。

 ある件で俺が『便宜を図った』ので、ここの守衛は俺に好意的だった。

 昼間だがもう眠そうな守衛に小さく会釈して、トランクルームのフロアに入る。

 上下二段にずらっとシャッター付のコンテナが並んでいるのは、なんだかSF的で無機質な眺めだが俺の様な『死人』にはお似合いだ。

 横幅二メートル、高さ一メートル八十センチ、奥行き三メートルの鉄の箱に空調装置がついている。

 ワインなどの倉庫代わりに使う者もいるようで、気温と湿度を一定に保つ仕組みが必要らしい。

 マグネットで壁面に張り付けたフックに、クリーニング店のビニールカバーに包まれたままの裕子のスプリングコートを掛ける。

 これを、あの店に預けた時は、まだ裕子は生きていた。

 即日仕上げを頼み、その翌日、九月の末日に裕子は死んだ。

 クリーニング店の休日である土日を挟み、月をまたいで三日後受け取りに行く予定がカレンダーには書かれていた。

 ポケットから、コインロッカーの鍵を取り出して、簡易ベッドに横になる。

 クリーム色のペンキで塗られた天井が見える。

 金網で囲われただけの蛍光灯が、ジジジ……と小さな音を立てていた。

 壁には裕子のスプリングコート。

 まるで、彼女の亡霊が俺を見下ろしているかの様だった。

「悪いが、あまり出来ることはなさそうだ」

 その幻影に話しかける。

 俺は警官だったが、今は違う。

 裕子の自殺が疑わしいとはいえ、それを確かめる術は本来ない。

 ため息をついて、スマホを取り出す。

 覚えている番号をプッシュした。

「やあ、そろそろ掛かってくる頃だと思っていたよ」

 ツンケンしてお高く留まっているあの秘書が出るのかと思ったら、如月が電話に出る。

 コイツとは会話をしたくないので、伝言だけするつもりだったが、意表を突かれた。

「お願いがありまして」

 諦めて要件を言う。

「丁度、私のところにも上がってきたところだよ」

 笑みを含んだ声だ。なんだか、癪に障る。

「まだ何も言ってませんがね」

「検死報告だろ? いいよ、見せてあげよう。十九時に『BOWMORE』で」

 一方的にそう宣言して、如月が電話切った。

 くそ、くそ、先読みされるのは嫌いだ。

 だから、こいつと会話するのはイヤなのだ。

 自分が馬鹿になったような気にさせられる。

 スマホとコインロッカーの鍵をポケットに戻して、巣穴を出る。

 守衛室に会釈をすると、守衛の一人が俺を手招きしていた。

「やあ、伊藤さん。なんだか、疲れた顔しているね。これ、あげるよ」

 と、小さな瓶を差し出してくる。

 怪しげな茶色い小瓶は、肉体疲労時の栄養補給がどうのこうのとか言う有名なドリンクのパクリ商品だ。

 インドネシアで作られているそれの輸入代理店がこの雑居ビル内にあり、時折サンプルをくれるそうだ。

 逆三角形の顔で長身猫背の守衛で、まるでカマキリが人間に擬態しているかのような外見だが、この佐々木さんは満州で戦った日本兵で、敗戦後も国民党軍の傭兵として共産党軍と闘った猛者である。

 かなり高齢のはずなのだが、そうは見えない。

 自毛は染めてもいないのに黒々して豊かだ。顔に皺もなければ、背筋も伸びている。

「いや、それ胸焼けするんで。お気持ちだけ頂いておきます」

 その若さの秘訣がそのドリンクだとしても、マズいものはマズい。

 一度飲んで、懲りた。


 守衛の佐々木さんに別れを告げ、信濃町駅に向かう。

 一駅乗継き、新宿の西口に出る。

 ここには、昔からなぜか駅内にカレー屋があり、いい匂いがする。

 その香りが鼻をくすぐった時、ふと、裕子との会話が思い出された。


「いつも新宿を通る時、カレーの匂いがして、お腹すいちゃうんだぁ」


 つまり、カレーの匂いが届く範囲が、裕子の新宿駅での移動ルート。

 あてずっぽうに探すより、このカレー屋周辺のコインロッカーを探す方が、合理的だ。

 そんなことを頭の片隅にメモしながら、歌舞伎町を抜け『BOWMORE』に向かう。

 如月が『十九時』と言ったら、その三十分前が集合時間ということだ。

 その時間が迫っていた。


 予想通り、如月は自分で指定した時間の三十分前に来た。

 俺はそれより五分前に到着している。

 如月は、チラっと俺がいるのを見て、微かに笑った。

 彼奴の不文律『如月ルール』が浸透しているのが、うれしいのだろう。

 エイブ老人が珈琲を淹れていた。

 たしか『パナマ・フィンカレリダ』とかいう長ったらしい名前の珈琲だったと記憶している。

 この店の換気扇の下に、ちょうど如月が寄りかかれる高さの小机がいつの間にか設置されていて、ここが如月の指定席となるらしい。

 銀色の小さな灰皿。淡い光のピンスポまで用意されていて、エイブ老人は如月を甘やかしすぎだと、俺は思った。

 如月が、胸ポケットからジタンの箱を出して、パイプの絵が描かれているマッチで火をつける。

 俺もハイライトを取り出して、安っぽいプラスチックのライターで火をつけた。

 エイブ老人が、いそいそと珈琲を二つ持ってくる。

「いいですね。探偵と依頼者が、紫煙を燻らせる。絵になります」

 彼はそれだけ言って、カウンター内の自分の聖域に帰って行った。

 もうこちらには目も向けず、鹿革の布巾でグラスを磨き始める。

 これもまた、エイブ老人劇場の一環なのだろうか?

 ハンフリー・ボガードやロバート・ミッチャムが探偵を演じた古い映画で、こんなシーンを見たことがあった。

 如月が黙って、懐から折りたたんだ封筒を小机の上に置く。

 検死報告だろう。

 俺がそれに手を伸ばすと、意外と素早い動作で、如月はその封筒を押えた。

「君の報告が先だよ」

 そういって、下駄の鼻緒みたいな下がり眉を右だけ上げる。

 俺はその手の甲にタバコを押し付けたくなる衝動を抑えて、今日の出来事を話す。

「状況から見て自殺の線は薄いと感じました。なので、他殺の証拠を見たいと思ったんですよ」

 ぽかりと、如月が返事の代わりにジタンの煙を吐き出す。

 それは、ゆらゆらと静かに回る換気扇に吸い込まれていった。

 そして、両手でマグカップを包み込むようにして珈琲を飲む。

 手が離れたという事は、見てもいいということか。

 碁盤に鼻緒をつけたような顔をして、いちいちキザな野郎だ。

 ひったくるようにして、検死報告を見る。

 署外に持ち出すのも一般人に見せるのも、禁止されている書類だが、如月は気にしていないらしい。

 変わったエリート様だよ。

 検死官の所見に目を通す。

 眼球には点状出血。縊死した遺体ほとけの特徴だ。

 血中アルコール濃度は高い。

 首の鬱血跡は二本。

 首から後頭部にかけて真っ直ぐ走る線と、耳の後ろにかけて走る斜めの線。

 吉川線はない。

 吉川線とは、絞殺されそうになった被害者が、振りほどこうとして自分の首につけるひっかき傷のことで、他殺か自殺かの判断基準になる。

 この吉川線が無いことで『自殺』と判断されたのだが、それにしては首の皮下出血の痕跡がおかしい。

 裕子は意識を失うほどのアルコールを摂取したうえで、一度地面に平行になって自分の首を絞め、その後座って締め直した事になる。

 それに、胃の内容物も変だ。

 アルコールは大量の甲類焼酎とあるが、彼女は「焼酎は悪酔いするから嫌いなんだぁ」と言っていたのを、思い出す。

 最悪だ。

 これは、警察の捜査をある程度知っている奴の犯行。

 間違いない、裕子は他殺。証拠がそれを示していた。


「俺の手に余ります。ここで、俺は手を引きますよ」


 これは、警察絡みの案件の匂いがする。

 如月が独自に内部査察官の真似事をしているのも気に入らない。

 クサいなら、それを洗う仕組みが警察にはあるのだから、それを使えばいい。

 俺は、今は黒澤と名乗って傭兵まがいの事をしている同期と違って、社会正義などに興味はない。 

「意外だね。君は優秀な猟犬だと思ったのだが。好奇心が刺激されないか?」

 俺が返した資料を背広の内ポケットに収めながら、如月が言う。

 好奇心は確かに刺激された。

 殺された裕子も可哀想だと思う。

 だが、俺は『死人』。

 寄る辺なき者。

 冷たいようだが、他人の事など知ったことではない。

 ただ生きる。

 俺が生き残っていることが、俺を『死人』にしやがった連中への意趣返しなのだ。

 そのために、なるべく誰とも『縁』を結ばないように生きている。

 そして、好奇心は九個も魂を持っているしぶとい猫だって殺してしまうのだ。

 俺が何も答えないと、如月は俺に興味を失くしてしまったかのように、エイブ老人と話し始めた。

 如月は久留米の出身、エイブ老人は博多の出身で、同郷らしい。

 俺は、店を出た。

 如月の軽蔑したような一瞥に傷ついていた。

 今『BOWMORE』に居るのはいたたまれない。

 ポケットに手を入れると、コインロッカーの鍵が触れた。

 コインロッカーの保存期間は三日。

 それを過ぎても取りに来ない場合は、管理会社が合鍵であけて中身を回収する。

 クリーニングに預けた日の前日にコインロッカーを使ったなら、今日が回収される日になる。

 自然と、カレー屋がある西口の地下通路に俺は足を向けていた。

 この鍵で開くロッカーを探す。

 見つからなかったり、すでに回収されていたら、本当に追跡を終了しよう。

 俺はそんなことを考えていた。


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