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死人探偵  作者: 鷹樹烏介
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猟犬は臭跡を辿る

 如月が、カウンターに珈琲を取に行ったついでという風に、俺の前に茶色の書類封筒を置く。

 俺には、見慣れたものだ。

 これは、警察で使われている捜査資料を入れる袋。

 中身は、おそらく裕子の事案のものなのだろう。

「自殺。事件性なし。早々に捜査は打ち切られたよ」

 そんなことを言う如月を、俺は換気扇の下に引っ張っていった。

 こんな話、エイブ老人には聞かせたくない。

「俺は、元警察官ですが、今は民間人。捜査資料なんか見たらだめなんじゃないですかね」

 あてこすってやる。

 如月は気にも留めていないようだ。手にした珈琲を旨そうにすすっている。

 そして、ポケットから片手で独特な形状のジタンの箱を出し、器用に片手だけで一本抜き出した。

 ジタンを咥えたまま「ん」とだけ言う。

 片手に珈琲。片手にタバコの箱。なので、「火をつけろ」ということらしい。

 舌打ちしたくなるのを堪えて、安っぽい半透明のプラスチックのライターを出す。

「だめだめ。私は、マッチで火をつける事にしているのだよ」

 と、如月がタバコを咥えたまましゃべる。

 火がついてないジタンがタクトの様に上下に振られて、イラつく。

 コイツのポケットを探るなど、遠慮申し上げたいので、カウンターに戻ってブックマッチをエイブ老人からもらう。

 彼がデザインした図案。

 円形に書かれた波にカモメが三羽、翼を広げて旋回しているデザインだ。

 店名の由来になったスコットランドのアイラ島のウイスキーラベルを意識したものだそうだ。

 電話番号も店の所在地も書かれていない。

「ほら、よく探偵がメモ帳代わりにブックマッチ使ったりするでしょう?」

 などとエイブ老人は言っていた。

 そんなシーン、見た様な気がするが、題名まで思い出せない。エイブ老人も教えてくれなかった。

 ブックマッチを持って、如月のもとに戻る。

 その間に、珈琲を床に置いて、マッチでもバーナーでも好きなものでジタンに火をつければいいものを、如月は咥えたまま待っていた。

 俺が火をつけてやると、「ん」とだけ言って、軽く頭を下げる。お礼でも言ったつもりだろう。

 マッチの火が消えないうちに、俺も胸ポケットからハイライトを片手で取り出し、一本口で引き出しながら、吸いつける。

 換気扇がカタカタと鳴る下で、俺たちは無言で紫煙をくゆらせていた。


「ずいぶん準備がいいんですね]


 と、嫌味を言う。

 出来すぎている。

 俺に何をさせようとしているのが見え見えだった。しかも、エイブ老人まで加担させて。


「はっはっは。相変わらず、ひねくれているなぁ、君は」


 如月が快活に笑う。だが俺は騙されない。全部計算づくなのだ。コイツは。

 俺は『死人』にされた。

 その話を持ちかけてきたのが、この如月だった。

 他にも、こうして『死人』にされた者はいる。

 その結果、殆どがコイツの私兵みたいになっている。俺の同期で数少ない友人もまた。

 今は『黒澤』という名前になっているらしい。どこで何をやっているか知らないが。

 誰よりも早く警視正に上りながら、ある時から如月は出世争いから降りてしまった。

 そして『互助会』に傾注し始めた。

 如月こそが『互助会』の首領であるという噂もある。

 少なくとも、彼は『互助会』の為に動いていて、その加護も受けているはずだ。

 そうでなければ『重大犯罪捜査教導課』などというむちゃくちゃな部署など作れない。


「店じまいが、早すぎる。どうも気に入らないのだよ、この事案」


 ぼそりと、如月がつぶやいた。

 俺の腕に鳥肌が立った。

 下がり眉の下駄みたいな顔の下に、冷徹なキャリア警官の顔があり、更にその下にコイツは鬼を隠している。そんな気がするのだ。

 だから気に入らない。

 だから怖い。


「俺に探れっていうんですか?」

 ふふふ……と、如月が笑う。

「君は君のルールでしか動かんだろう? これは命令ではなくお願いだよ。情報を共有させてくれ」

 如月は他人の操縦が上手い。どうすれば、人が転がるかよくわかっている。

 もしも命令されたなら、俺は断った。

 だが、こうした頼まれ方をすると、同調してもいいかと思ってしまう。

 俺は、警官だったが、今は違う。

 簡単に情報は手に入らない。

 事件をなぞるのならば、如月の申し出は実に的を得た提案だったのだ。

 他に、情報を得る手段はなくはないのだが……なるべく使いたくない。

「何も出ないかもしれませんよ」

「それならその方がいい」

 もう俺は着手する気でいた。

 床に置いてあった灰皿を拾い上げて、短くなったハイライトをもみ消す。

 俺は、カウンターの上の捜査資料を取った。



 百円ショップで買い物をし、その金額をメモする。

 裕子から預かった二十万円を使い切るまでは捜査を続けるというのが、今回俺が自分に課したルールだった。

 新宿の外れまで歩いてゆく。

 如月が持ってきた捜査資料によると、裕子の勤務地は、市ヶ谷。住所は新大久保だった。

 中央線で一本なので、おそらく新大久保駅から徒歩で移動するのが、彼女の日常の移動ルートのはず。

 俺は、それを辿っていた。

 駅のガード下をくぐり、ラブホテル街を抜けて、ごちゃついた住宅街に入ってゆく。

 この辺りは、不法滞在の外国人が多い地域で、治安がいいとは言えないが、その分家賃は安い。

 六畳一間に十人近い不法滞在外国人が住んでいるようなボロアパートが並んでいた。

 彼ら、彼女らは、日本の文化に馴染みがない。

 なので、日本の不文律などお構いなしだ。

 夜中に大声で騒ぐ。

 ごみは適当に捨てる。道端がごみ箱とでも思っているかのように。

 当然、分別などせず、決められた曜日も時間も守らない。

 平気で家賃も踏み倒して逃げる。

 部屋は完全リフォームが必要なほど汚しまくる。

 耐え切れなくて、日本人は逃げてゆき、ますます不法滞在外国人の人口比率が増えてゆく。

 そんな街だった。

 裕子はこの街に居た。

 そして、浴室でひっそりと首を吊って死んだ。

 ドアノブに細引きをひっかけ、首が締まる様に座るという自殺手口。

 裕子は「この街を出る」と言っていた。

 その言葉に嘘はなかったように感じる。

 なので、「自殺」という死に方に違和感があった。

 それが、微かな臭跡となって、猟犬の『鼻』を刺激する。

 裕子のアパートの前に立つ。

 上下三部屋づつの古ぼけたアパートだった。

 彼女の部屋は、二階の一番端。

 歩くたびに、パラパラと錆が落ちる階段を上がり、その部屋の前に立つ。

 隣の住民が、盛大なフライパンの音を立てて何かを炒めていた。

 誰かと怒鳴り合うようにして会話しているが、どうやら中国語の様だ。

 換気扇から油っぽい煙が廊下に流れている。

 日本ではあまり嗅がない香辛料の匂いがした。

 百円ショップで買ったものをくたびれた背広のポケットから出す。

 ぴっちりとはまるゴム手袋と、シャワーキャップを二つだ。

 背広はポケット多くて、機能性が高い。それに目立たないのもいい。

 濃紺の上下のスーツ。何の変哲も無い白いワイシャツ。ネクタイは無し。ラバーソールの黒革靴。これが、基本的な俺の服装だ。都内では最も目立たない服装だろう。

 ゴム手袋をはめて、裕子の部屋のドアを開ける。

 旧式のカギなので、簡単にピッキング出来た。

 革靴の上にシャワーキャップを履かせる。

 裕子の部屋に土足で上がるのだが、現場にに足跡げそを残さないため。

 これは、習慣のようなものだ。

 入ってすぐ四畳ほどのフローリングの台所。その先に磨りガラスの引き扉があり、六畳の畳部屋という構造。

 地元警察が捜索に入ったのだろうが、妙に片付いた部屋だった。

 生活感が乏しい。


「ここは仮の住まい」


 裕子はそう思い込もうとしていたのかもしれない。

 キャンバス製の簡易クローゼット。

 小さな炬燵。

 それに乗った小型のCDラジカセだけが、遊興品だった。

 TVはない。玄関にNHKのシールも貼っていなかった。

 流しには歯磨きが一つ、安っぽいプラスチックのコップに差してある。

 台所には、ガスコンロと備え付けのストッカ―だけ。

 冷蔵庫は、学生が一人暮らしに使うような、高さ一メートルほどの冷凍庫も無い小さなものだった。

 中身は、ペットボトルの水と、缶ビールが二本。

 ラップに包まれた食べかけのサンドイッチが一つ。

 小さなオーブンレンジが流しの脇に置いてあった。

 壁には、ポスター類は無し。

 家族の写真もない。

 メモ代わりに出来る、カレンダーがピン止めしてあるだけだった。

 裕子は、このカレンダーを日記代わりにしていたようで、几帳面な字で予定や出来事などを書いてある。

 これは、証拠品になるはず。

 裕子の行動を類推できるから。

 だが、調べた形跡はない。

 自殺はまず『不審死』扱いになるので、自殺と断定されるまで捜査される。

 なのに、一通りなぞっただけで、さっさと打ち切られていた。

 現場の刑事は、上の意向に敏感な奴もいる。

 『自殺として処理したい』という要望が透けて見えると、その通りに動く。

 そういう奴が、出世するのだ。

 警察の職人気質が失われつつある原因が、これだ。

 つまり、この現場は見捨てられた現場ということ。

 元売春婦が死んだところで、労力を割くのは無駄。そう考えた者が上の方に居たのかも知れない。


「確かに、気に入らない」


 如月は、キャリア警官だが、俺たち並みに鼻が利く。

 確証はないが、何か引っかかったのだろう。

 だから、俺に捜査を押し付けた。

 同じものを俺が嗅ぐと読んでいたのだ。

 カレンダーをめくる。

 翌月の予定が書かれていたが、ここを洗った警官はカレンダーをめくりもしなかったのだろう。

 クリーニングの受け取り証が畳んで貼りつけてあった。

 彼女の勤務先の市ヶ谷にあるクリーニング店らしい。

 それを、俺はポケットに入れた。

 チラッと見えた『預け日』は、自殺の死亡推定日の前日。

 明日死のうと考えている者は、クリーニングの受取日など予定表に書き込まない。

 臭跡がくっきりとしてきた。


 こいつは、自殺なんかじゃない。


 裕子は殺されたのだ。

 

 

 



 

 


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