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死人探偵  作者: 鷹樹烏介
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銭を洗う

 新しく手筋に上がってきた会社は、『華央貿易』という。

 今は、検索エンジンに便利なモノがあり、小さな企業でも社名を入力すると会社の概要が記載されているサイトに到達することがある。

 『華央貿易』はすぐにヒットした。

 この会社は、中国と日本の企業との合弁会社で、日中間の貿易を担う小規模な個人輸入の会社だった。

 日本側の出資は、『サクラ貿易』。中国側は、『中華貿易公司』。持ち株は半々らしい。

 いかにも実態がなさそうな企業だが、果たしてそうだった。

 『サクラ貿易』と『中華貿易公司』。この正体を知ることが、桑田と接触があった『華央貿易』とは何なのかを知る鍵となる。

 しばらくすると、『華央貿易』の窓から明かりが消え、桑田と接触していた男が雑居ビルから出てくる。

 池袋北口に向かっているらしい。

 その後を尾行する。

 男は池袋駅からJR山手線に乗って、大塚駅で降りる。俺が握り飯屋で朝食を摂ったあと、黒澤に連絡つなぎをとった場所だ。

 大塚駅周辺にもラブホテル街があり、ここは昔「派遣型風俗」が多かった場所。

 これも、不景気と警察による浄化作戦により、その数は激減しているらしい。

 噂では七十歳の婆さんが風俗嬢として働いていたらしいが、買う方も、働いている方も、どうかしていると思う。

 ラブホテル街を抜けると、下町特有のごちゃごちゃした細い路地が網目の様に広がった古い住宅街となり、男はそこにある一階に三部屋、二階に三部屋という、いかにも昭和なアパートに入ってゆく。

 ここが、この男の住居やさだろうか。

 一階の中央の部屋に男は入り、すりガラスを通じて部屋の灯りが点く。

 ポストの名前を確認する。

 そこには「楊」と書いてあった。中国人だろうか。

 住所と名前をメモして現場を離れる。

 現役の警察官なら、捜査線上に現れた人物には監視がつく。

 そのための人員も補充される。

 だが、俺はもう警察官ではない。手持ちのカードは少ない。いかにも人手が足りない。

 利点はある。制約がないこと。

 正式な手順を踏んだうえで、証拠品の押収や家宅捜索を行わないと、違法捜査となり裁判で証拠として提出出来ないが、俺が今やっているのは、起訴するための証拠固めではない。

 それが、客観的に見て事実であるかどうかだけが問題であり、その過程に是も否もない。

 楊が何者か、そこから手を付けるべきだと、俺の中の猟犬が囁く。

 また、山手線に乗って、新宿で乗り換え、中央線で信濃町駅の近くにある俺の巣穴に向かう。

 追跡対象は皆、家に帰った。多分、今夜は何の動きもないだろう。

 三時間だけ眠り、また大塚に向かうこととして、俺は簡易ベッドに横になった。


 早朝、悪夢の残滓に軽い頭痛を覚えながら起きる。いつだってどういう悪夢なのか、記憶にないが、悪夢だという事は理解できるのだ。

 目覚まし時計代わりにセットしたスマホのアラームを、解除する。

 服を脱ぎ、下着はゴミ袋へ。ワイシャツはランドリーバック代わりにしている買い物籠に放り込む。

 干してあったバスタオルを腰に巻いて、サンダルをつっかけて、シャワールームに向かった。

 ボイラー室と直結している給湯施設なので、『お湯』をひねると熱湯が噴き出る危険なシャワーなのだが、水といい塩梅に混合させる。その下に身をさらした。

 熱いシャワーに叩かれながら、都会の片隅でひっそりと殺された裕子の事を思う。

 まるで「生ける死人」みたいな生活から、抜け出そうと足掻いていた女だった。

 それで、毒蛇の巣に手を突っ込むような愚かな真似をしてしまった。

 本当に愚かだと思う。だが、愚かだからといって、殺されることはない。

 しかも、何も無かったみたいに扱われる事も。

 裕子は、確かに存在して、生きて、話をし、故郷に帰るというささやかな夢まで持っていたのに。

 ぐつぐつと怒りが湧く。

 裕子を同情して……ばかりではない。

 俺自身を『死人』にしやがった、仕組み全体への怒りだ。

 固形石鹸を体に擦り付けて、洗う。頭もそれで洗った。

 だが、俺はすこしもさっぱりとした気分にはなれなかった。多分、これからもずっと。


 また、若造がサボったのか、佐々木さんが深夜勤務についていたらしい。

 ここのところ連続だ。

「顔色わるいですよ。大丈夫ですか?」

 佐々木さんに言う。

「大丈夫、こう見えて、戦争行ってるから」

 いつもの会話。まもなく戦後七十年。学徒出陣だとして、もう彼は九十歳に近いだろうに。


 大塚駅で降りる。

 以前に入った握り飯屋で朝食をとる。

 炊き上がった白米の香りと、味噌汁の匂いが、妙に郷愁を誘う。

 店は中年女性が仕切っていて、珍しい事に俺の事を覚えていたみたいだった。

 俺はあまり特徴がない顔なので、記憶に残りにくいのだが。

「また来てくださいね」

 という声を背に、店を出る。

 足は楊のアパートに向かっていた。

 ポケットには、裕子の殺害現場であるアパートに侵入した時に使ったピッキング道具。

 それに、手術用の手にぴったりするゴム手袋。

 靴に被せて足跡げそを隠すシャワーキャップは、かえって目立ってしまうので、今は履かない。

 ポストに新聞はない。昨夜はポストの夕刊が刺さっていたので、きっと朝刊もあるはず。

 換気扇は廻っていない。電気メーターの回転は遅い。

 通り過ぎて、その事を確認した。

 おそらく楊という名の人物は出勤している。

 慎重に楊の部屋に近づく。

 やはり、出勤後らしい。

 鍵穴にピッキング道具を差し込む。

 ここは古アパートなので、鍵の形式も古い。

 俺は、ディンプルキー以外なら簡単に外せる。

 ロックが解除された微かな音。

 ノブを回して、素早く部屋に入りドアを閉める。

 畳半畳ほどの土間があり、そこでポケットからシャワーキャップを出した。

 それを靴に履かせる。そして、土足のまま楊の部屋に上がった。

 裕子が殺されていた部屋と作りは良く似ていた。

 六畳ほどの台所があり、ユニットバスへの安っぽいプラスチックの扉と納戸の扉。

 磨ガラスの引き戸があり、八畳ほどの和室と区切られていた。

 中華料理の調味料が台所の棚に並んでいて、なぜか猿の縫いぐるみが畳の部屋にあるちゃぶ台の上に鎮座している。

 キャンバス製の簡易なクローゼットがあり、押入れは布団ではなく雑多なものが収納されていた。

 俺が使っているような折り畳みのカーキ色の簡易ベッドがあり、その上に丸められた同色の寝袋が置いてある。

 中国語が書かれた品物で、軍用品らしい。

 警官の眼で、家宅捜索をする。

 裕子の部屋よりは、まだ生活感はあるが、やはり「一時待機場所」という感じがする。

 いつでも逃げだせるような生活様式は、まぁ堅気かたぎではない事が多い。

 部屋の隅に脚立がある。

 つまりこれは、背が届かない場所で作業するため。

 脚立に埃は無い。普段から使っているのだ。

 部屋の高い場所を見回す。

 空き巣は、高所を見落とすものだ。素早く入り、素早く撤退するのが彼らの習性なので、一手間かかる高所は捜索から外す傾向があるのだ。

 俺は、天袋があるのを見つけていた。

 柱と同じ色の板を嵌め込んで、壁であることを偽装していた。わざわざ偽装したとなれば、何かあるはず。

 脚立を持ってきて、天袋の偽装板を外す。

 そこには、油紙で包まれた小さな物と、充電済のスマホがあった。

 油紙は、手に取るとズシリと重い。

「くそ、こいつは、拳銃ちゃかじゃねぇか」

 池袋で中国人となれば、どうせマトモじゃないと思っていたが、ビンゴだった。

 池袋のヤクザは暴対法で骨抜きにされ、その隙間に入ってきたのは、大陸系のマフィアだ。

 彼らの仕事しのぎは、売春と麻薬と地下銀行。地回りヤクザが「みかじめ料」を取っていた頃とは比べものにならないほど、中国人マフィアによって凶悪化しているのである。

 人身売買同然で女を集めて日本に送り込み、管理売春させながら、黄金三角ゴールデントライアングルから得られたアヘンやヘロイン、北朝鮮経由で入手した覚醒剤シャブを地下マーケットで売りさばいて、その資金は地下銀行で金に替え、日本の消費財の仕組みを悪用して、差額で一儲けする。

 それを支える武力が人民解放軍の汚職軍人。大陸マフィアの用心棒役が彼らだ。

 日本の土着のヤクザなど、武力の点で大きな差がある。

 俺は、楊のスマホにロックがかかっていないのを確認し、天気予報のチャンネルにかける。

 同時に、俺のスマホを取り出し、魔法使から教わった手順でアプリを起動させた。

 電子音が鳴り、同調完了のサインが出る。

 俺にはどういう仕組みなのかさっぱりだが、魔法使は

「これで、特定のスマホを盗聴できるの」

 と、言っていた。

 俺の作業で、魔法使の「電子の牢獄」にデータが自動送信されているはず。

 通話を切り、慎重にスマホと油紙をもとの位置に戻す。

 脚立も戻し、土間で靴のシャワーキャップを外し外に出る。

 この部屋の住人が堅気じゃないのがわかった。

 どうも大陸系マフィアの影がチラついて、キナ臭い。

 裕子が勤務していた『財団法人犯罪被害者支援会』と『社団法人心的外傷ケア協会』の解散と財産の移譲と、『華央貿易』がどう繋がって来るのか、おぼろげながらも見えてきたような気がする。

 大規模な『資金洗浄マネーロンダリング』だ。

 気が進まないが、そろそろ捜査二課出身で知的犯罪に詳しい魔法使と直接話さなければならないだろう。

 今回の協力者である如月にも中間報告を出さないといけない。

 これは、汚職警官が関わる案件。如月抜きだと、危険だ。


 実は俺はこの時致命的なミスを犯していたのだが、まだ気が付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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