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死人探偵  作者: 鷹樹烏介
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深く静かに

 ホテルの部屋に戻り、ポケットからジップロックに包まれた缶を出す。

 備品の鉛筆をナイフで縦に半分に断ち割り、芯の部分を慎重に削る。

 そうして出来た黒い粉末を便箋の上に集めた。

 使い捨てのぴっちりとしたゴム手袋を嵌めて、ジップロックから缶を取り出し、鉛筆の芯を削った黒い粉末を静かにそっと振りかけてゆく。

 万遍なくまぶし、静かに息を吹きかけると、男が触った場所に指紋が浮かび上がった。

 それを崩さないよう、セロハンテープを貼りつけて、移し取る。

 親指と人差し指らしき指紋を採取出来た。

 白い便箋を下地にして貼り付け、スマホで写真を撮る。

 その画像データと、遠距離から撮った男の顔写真のデータを、魔法使ウィザードに送った。

 彼女に電話をかける。

 今は、昼食を終えて、食休みの時間のはず。

 電話するにはいいタイミングだった。

「なあに」

 機嫌がいいか悪いか、判断のつかない声。

「古矢田が自白うたった金子から、もう一匹釣れた。顔認識と指紋の参照を頼みたい」

 ため息が聞こえる。今日は機嫌が悪い日らしい。

「伊藤君の仕事は、いつも退屈」

「そう言うなよ、でも大事な手順だ」

 また、ブツンと通話を切られそうなので、言葉をつなぐ。

 スピーカーから、ため息が聞こえた。

「黒澤が掴んでくれた情報だ、無駄にしたくないんだよ」

 しばしの沈黙。

 また、黒澤をダシにしている自分に、反吐がでそうだ。

 もう一度、ため息が聞こえた。

「いいわ、クロちゃんの為にやってあげるんですからね。伊藤君の為じゃないんだからね。勘違いしないでよねっ」

 検索してくれれば、誰の為でも構わない。

 俺はそう思ったが、口に出すほど愚かではない。

「助かるよ。恩に着る」

 ふふふと、魔法使が笑う。

「やっぱり、伊藤君は面白くないわね」

 ここでブツンと電話が一方的に切られた。

 まぁ、引き受けてくれたのだろうと思うことにした。

 靴のまま、ベッドに横たわる。白い天井を見た。

 急に疲労感が襲ってくる。傷つけられた誇りを雪ぐため、俺は執拗に何者かを追っている。

 如月の顔が浮かぶ。俺が今やっている事と比べれば、まだあの男の方が明確な動機がある。

 それが正しいかどうかは別として、彼奴なりの正義のために動いているのだ。

 俺はどうなのか?

 顔すら思い出せない、殺された女への同情か?

 この「殺し」をなかった事にした権力への義憤なのか?

 知り合いの元・売春婦が殺された。

 それを調べる過程で、俺も殺されかけた。

 ゴミ箱を漁る「野良犬」と嘲られた。

 単に俺は殴られたので、殴り返したいだけではないのか?

 その延長上で、生きていても害悪になるだけとはいえ、古矢田という悪党が死んだ。

 俺がやっている事は、人が死ぬほどの価値があるというのだろうか。

 黒澤は毀れかけている。

 魔法使ははじめから毀れている。

 松戸はずっと怒りに身を焼いている。いつか、燃え尽きちまうだろう。

 俺もまた…… いつか……


 トロトロと眠ったらしい。

 スマホが受信コールをしていた。

 通話ボタンを押す。

「調べた」

 それだけを言って、ブツンと通話は切られた。

 低く罵りながら、受信したメールを見る。

 人事記録データ。預貯金口座の流れ。直近の顔写真。そういった物が圧縮されて送信されている。

 名前を見る。

 桑田くわた英雄ひでお。警視庁麹町警察署勤務。地域課防犯係の巡査部長。

 年齢三十一歳。独身。高校在学中は拳闘ボクシング部主将。インターハイ出場経験があった。

 こいつが、新宿駅のコインロッカーの所で俺をぶちのめしてくれた野郎だ。

 妙に拳を当てるのが上手いと思ったら、ボクサー崩れだったか。

 ドロリとした昏い炎が俺の胸に灯る。

 俺は既に毒を喰っちまった。なら、皿ごといっちまおう。

 金子を監視していたホテルをチェックアウトする。

 既に、振り込みで滞在費は払ってあり、多分これは魔法使の仕業だ。

 出しかけた財布を仕舞って、上野駅に向かう。

 今まで監視していた金子かねこ修二しゅうじをどうするか、まだ決めていない。

 だが、今は桑田を追跡するのが先決だ。

 無理やり引き込まれた感じがする金子と違い、どうも桑田は主犯に近い臭いがする。

 上野から地下鉄銀座線で赤坂見附駅に向かう。

 有名な洋酒会社を横目に、桜の名所のお堀を抜け、大久保利通が暗殺された通りを渡る。

 服部一族が暮らしていた半蔵門方面に警視庁麹町警察署はある。

 周囲を歩き回った。

 俺はいつも地形の把握から始める。

 麹町消防署、老舗の眼鏡屋、英国大使館、女性用下着メーカー、ラジオのFM放送局、皇居の堀端、そういったランドマークを頭に叩き込む。

 オフィス街なので、上野警察署と違って監視場所が少ない。

 なぜか喫茶店も少ない。

 麹町警察署横の道路は狭く、頻繁に通過すると顔を覚えられてしまう危険があった。

 俺は仕方なしに、新宿通りを挟んで斜め向かいにある喫茶店を監視場所に選んだ。

 窓際に陣取って、警察署の正面玄関を見張る予定だ。

 長時間粘ることになるので、店の従業員に顔を覚えられてしまう可能性があり、何度も使える手段ではないが。

 珈琲とサンドイッチを頼む。

 エイブ老人に鍛えられて舌が肥えてしまったのか、どこの喫茶店に行っても珈琲を旨いと感じることが出来なくなってしまった。

 桑田に関しての基本的な情報は、魔法使を通じて入手できる。

 ただし、それは表面に出ている情報で、俺が欲しいのは極私的なこと。

 どういう歩き方をするのか? とか、どこに立ち寄るのか? とか、彼奴にとっての『ネズミの通り道』はどこなのか? とか、そういうものだ。

 こればかりは、タワーマンションの天辺で、俺には使い途もわからない機械を駆使しても探りきれない。

 昔ながらの方法を使って足で稼ぐしかない。

 定期的に追加の珈琲や軽食を注文して、店が赤字とならないように気を使いつつ、俺はスマホを使って作業をしているフリをしつつ、ひたすら桑田の動きを待った。

 喫茶店で張続けること三時間ほどで、やっと桑田に動きがあった。

 時刻は夕方六時。

 退署の時間らしい。

 俺は、一万円札をテーブルに置き、

「長居して申し訳なかった。釣りはとっておいてくれ」

 と言って、店を出る。

 広い新宿通りを挟んで、桑田を尾行する。

 後ろ姿に見覚えがあった。

 ボストンバッグを持って歩み去る覆面の男の姿に重なる。

 桑田は新宿通りを四谷方面に歩いていた。

 自分が尾行されているとは、露とも思っていないようだ。

 上野警察署の金子は、常に追い詰められたげっ歯類みたいに、ビクビクと背後を気にしていたが。

 昔、日本テレビがあった通りにさしかかると、桑田はそこを曲がった。

 JR市ヶ谷駅に至る、長い坂道が続いている。

 俺は、点滅している信号を走って渡った。

 桑田が、坂を下ってゆくのを追う。

 歩きながら、なんとなく桑田が何処に向かっているのか俺には類推出来ていた。

 裕子が勤めていた財団法人。そこがクサい。

 JR市ヶ谷駅からお堀添いの有名な釣堀を横目に橋を渡る。

 ここは、靖国通りと外堀通りの合流点だ。

 桑田が外堀通りを渡って、神楽坂方面に抜ける道に入ってゆく。

 裕子が勤務していた財団法人の入っているオフィスビルがそこにある。

 間違いない、桑田の目的地はここだ。

 尾行して、桑田が慣れた様子でビルに入ってゆくのを見届ける。

 たしか、犯罪被害者の心のケアを目的とした、警視庁が監督省庁の財団法人だったはず。

 如月のターゲットは、ここか。

 警察官僚の誰かが、ここに『天下り』しているはずで、裕子はおそらくここから金を盗もうとしていた。

 彼女は愚かだが、馬鹿ではない。

 横領しても表沙汰にならない金があるのを、探り出していたのだ。

 その結果、殺された。

 古い何の変哲も無いビル。

 名前だけ見れば、お堅い団体。

 だがここに、殺人者が潜んでいる。

 俺は『死人』。誰にも存在を知られていない男。

 深く静かに監視を続け、敵を追い詰めてゆく。

 なぜ、こんな事をしているのか? と、自問しながら。


 

 

  

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